広島・呉の「海軍グルメ」 細うどんが好まれた理由とは? 街の歴史を紹介

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2024年12月03日 17:10  J-WAVE NEWS

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広島・呉に関する歴史や魅力、独自の風習について、作家・文献学者の山口謠司さんが語った。

山口さんが登場したのは、J-WAVEでオンエア中のコーナー「PLENUS RICE TO BE HERE」。放送日は8月19日(月)〜22日(木)。同コーナーでは、地方文化のなかで育まれてきた“日本ならではの知恵”を、山口氏が解説していく。ここではその内容をテキストで紹介。

また、ポッドキャストでも過去のオンエアをアーカイブとして配信している。山口さんが呉を訪ね、そこに暮らす人から聞いたエピソードの詳細が楽しめる。

呉の海上自衛隊カレー

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広島県の南西部に位置する呉市。瀬戸内海に面しており、温暖な気候に育まれ、冬のカキなど豊富に魚介類が獲れる地域だ。戦前において戦艦「大和」を建造した東洋一の軍港、日本一の海軍工廠(こうしょう)の街としても栄えた。

山口:世界最大の戦艦大和が作られたのが広島県の呉市です。呉には「大和ミュージアム」という施設があります。ここには大きな大和(戦艦)を縮尺して作ったものが置いてありました。2025年2月中旬から26年3月末まで、リニューアル工事のため休館するそうなので、興味ある方はぜひその前に行かれるといいと思います。

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ところで車を運転してくださる方が「呉に入りますよ」と言われた瞬間に驚きました。僕の故郷・佐世保に帰ってきたかのように気持ちになったからです。島に囲まれているのもそうなんですけど、丸い山がほわんほわんとそびえ立っていまして、「これは佐世保の景色」と思い、写真を撮って両親にLINEしましたら、すぐに「佐世保に帰ってきたとね」と返事がきました。

日本の造船業は山口さんの出身である長崎県、そして瀬戸内地方に集中している。そういった共通点もある。

山口:呉の人口は約26万人だそうです。佐世保も25万人をちょっと超えたくらいで同じくらいの規模です。ほしいものはなんでも揃いますし、田舎な部分も残しながら、都市部もあるというので、佐世保や呉は過ごしやすい街なんだろうなと思います。

佐世保、呉、舞鶴、横須賀、この4つの旧軍港に共通するのはカレーが名物ということです。呉にある海上自衛隊のカレーには「呉海自カレー」というものがありますが、「大和ミュージアム」のなかには何種類も呉海自カレーが並んでいました。

どれを選んでいいのかわからず、買ってきて食べていましたら、全てに桃と林檎のすりおろしピューレが入っていました。カレーなのでもちろん辛いですが、辛さのなかに果物の甘さがちょうどいい感じで入っている。海に行って、これを食べるとおいしいだろうなと感じられます。

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呉市には公式キャラクター「呉氏」がデザインされた郵便ポストが設置されている。山口さんも現地で見かけたそうだ。

山口:呉には「呉」と書かれた「呉氏」というキャラクターがいっぱいいます。青はおそらく海を表していて、呉は白地で書かれてあります。マスコットキャラクターなんですけど、街を歩いていると青いものがときどき目につくんです。

その青いものはポストなんです。市内には12〜13種類くらいの青いポストが設置されているそうなんですけど、それぞれのポストに「呉のグルメを食べにきてクレ!」とか「カキを食べてクレ」などと言っているキャラクターが描かれています。

全部を写真に撮ってInstagramにあげるといいのかもしれませんが、私にはできませんでした。「大和ミュージアム」の前にもひとつありました。ぜひ、呉市に行かれたら青いポスト見つけてみてください。そしてぜひカレーも食べてクレ〜。

「安芸蒲刈御馳走一番」と言わしめた歴史

呉市は、江戸時代に広島藩の領地内だった。元々は紀州藩、あるいは安芸藩と呼ばれていた。

山口:関ヶ原の戦いがあり、江戸時代になるわけですけど、その前は毛利氏という今の山口県の長州の方々が広島を治めていました。しかし、毛利は関ヶ原の戦いで負けてしまい、その後、広島には尾張清洲から福島正則という方がやってきました。そんななかで、1619年に大洪水が起こり、広島城が壊れてしまいました。

江戸時代に城を改修工事するためには幕府に届け出をして、将軍様に許可を得ないといけませんでした。しかし許可をもらわないうちに改修工事をしてしまったということで、福島正則は信濃に流されてしまったのです。

その後にやってきたのが紀州の浅野幸長で、広島を守っていかれます。広島は豊かなところです。鉄も取れるし、山の方に行くと紙を作るための三椏(ミツマタ)なども。今でも日本の紙幣のなかには広島でしか取れないような繊維が混ぜてあります。新しく渋沢栄一の紙幣に変わりましたが、偽造紙幣が作られないように、特別な広島の繊維が入っているのです。

江戸時代には朝鮮半島から呉に外交使節団が来日。呉の下蒲刈島の松濤(しょうとう)園が所蔵する朝鮮通信使の関連資料などは、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録されている。

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山口:朝鮮半島の地図を思い浮かべてほしいのですが、朝鮮使節団の方々は船に乗って釜山から津島に南下してきます。津島には朝鮮語がペラペラの通信士、今で言う通訳さんがたくさん住んでらっしゃったのですが、その人たちと一緒になって関門海峡を通り抜けてピューと入ってくると、呉の下蒲刈町に辿り着きます。

そのとき「朝鮮から通訳さんがやってくるぞ」と、島の方々がご馳走をいっぱい用意して歓待したそうです。今でも毎年10月になると韓国大使館の領事の方々が広島市からやってこられて、村総出で江戸時代から迎えるような服装をして、お祭りをなさるそうです。

竜の頭がついているような大きなお船を漕いでいって、みんなで迎えて「どうぞここに上がってください。ご馳走を用意してございます」と言って歓待するんですけど、その料理は同行した対馬の藩主に「安芸蒲刈御馳走一番」と言わしめたものなのだそうです。

下蒲刈島にある朝鮮通信使資料館「御馳走一番館」では、豪華な膳を忠実に復元した展示が行われている。

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山口:当時、朝鮮からやってきた通信士の方々は、新鮮な材料、そして旬のものを使った料理に対し「これほどおいしいものがあるか」ということで喜んで食べたそうです。大きな鯛の尾頭付き、キジのお肉、そういうものを綺麗にいただかれて、大阪に上ぼり、そして江戸へと下りていったそうです。

こういった歴史が残っているところは全国でもありません。呉の料理というのは海上自衛隊のカレーだけでなく、もっともっと古い伝統を持っているんです。下蒲刈島にはすてきなビーチもございます。それからキャンピング用の施設もございます。ぜひ、気になる人は足を運んでみてはいかがでしょうか。

呉の海軍グルメ「細うどん」

海軍とともに発展した呉の街。戦前は海軍の重要な拠点だった。

山口:呉は海軍の街です。そして呉には標高は730メートルの灰ヶ峰という山があります。展望台がありまして、ここから呉を見ると驚きの光景が見られます。街が漢字で「呉」と見えるんです。わざと作ったのかはわかりませんが、環状線が呉の口の部分になっていて、それに沿うようにして、漢字の呉という文字が浮かび上がっていくんです。これを見ると“幸せになる”、あるいは“恋が実る”と聞きました。ナスカの地上絵ではありませんが、呉の夜景には“呉愛”というものを感じます。

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水軍の兵は英語で「Sailor(セーラー)」と言う。

セーラーと聞くと、セーラー服と並んで「セーラー万年筆」を思い出します。僕は小学校のときに、昔の海上自衛隊の人に万年筆をもらい大事に箱のなかにしまっていましたが、調べてみるとセーラー万年筆の本社は呉にあるんです。

セーラー万年筆のペン先をよくよく見てみると、碇(いかり)のマークが見えます。「人びとの感性をゆさぶる道具を、つくり続けていくこと」がセーラー万年筆のモットーだそうですが、そういう機能美と感性というのは、軍艦とか船を作るときにも一番大切なことのように思います。食べ物でいうと、長期の航海を乗りきるための健康食も機能美を極め、感性を揺さぶるものが必要なのでしょうね。

呉には海軍グルメと呼ばれるいくつかの食事がある。

山口:肉じゃが、ラムネ、コーヒー、オムライス、そしてカレーですね。明治時代にあった海軍工廠、つまり軍艦を作ったりするような人に向け、これらとは別に細うどんを提供するお店がたくさんあるそうです。

細うどんは茹でる時間が短いし、食べる時間も短縮できる。何かあったときにすぐに作業に戻れるということで、今でも呉の方は細うどんを好んで食べるそうです。それから呉はイワシの稚魚である縮緬雑魚(ちりめんじゃこ)がいっぱい獲れるところで、ご飯のおかずとして朝からちりめんじゃこと卵を食べるそうです。

呉には「アレイからすこじま」という公園がある。

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山口:世界でも珍しいんですけど、ここでは潜水艦を間近で見ることができます。また、大和ミュージアムの目の前には実際に海上自衛隊が使っていた潜水艦「あきしお」が飾られています。中に入ることができるそうなので、興味がある方はぜひ行ってみてください。

呉を存分に観光するには1泊ではとても足りません。2泊でも足りないと思います。「とびしま海道」ではシーカヤックも出来ますし、そんなことをやっていると3泊あっても足りないのかなと思います。そんなゆっくりした旅を、いつか再び呉に訪れてしたいなと思いますね。

(構成=中山洋平)
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