『おむすび』第48回 5日目に来た永吉が7日目に来た 何を言っているのかわからないと思うが

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2024年12月04日 20:01  日刊サイゾー

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日刊サイゾー

 時系列一覧表とか作ってないのかな、と思うわけですよ。

 今回描かれたのは、以下のようなシーンです。

 震災から7日後、糸島から神戸に永吉おじいちゃん(松平健)がやってきて、それから毎日、どこかから食料をかき集めてきて避難所に届けていた。それによって、みんなとっても助かった。そういういい話でした。それだけならいい話なんです。

 震災から5日後、糸島から神戸に永吉おじいちゃんがやってきて、すぐに一家で糸島に引っ越すよう家族に進言した。避難所の人たちも、それを後押しした。それから2日後、パパの聖人(北村有起哉)を神戸に残して、一家は糸島に引っ越した。それが、過去に語られたエピソードでした。

 念のためですが、同じNHK連続テレビ小説『おむすび』での話です。何これ、「エンドレスエイト」なの? 震災からの1週間を何度もやり直してるの? 時間の渦から抜け出すことを目的としたドラマなの?

 せめてこの数日間だけでも、震災からの1週間ですよ、それを体験した全員にとって人生でもっとも濃密な時間だったはずなんですよ。その数日間に何をして、何を考えて、何を感じて、その1週間から物語が始まっているわけですから、そこは整理しておきましょうよ。

 なんかあちこちのインタビューでNHKの制作統括の人が震災についても専門学校についても「すごい綿密に取材した」ってアピールしまくってますけど、だからなんだよ、こんなことやってたら意味ないじゃんって思っちゃうよ。

 たぶんね、取材の中で、避難所に家族が迎えに来て、すぐに遠方に引っ越した家族があったんでしょう。そのときに、市役所の人に「仮設はいっぱいになるから、帰る場所がある人は引っ越してもらったほうが助かる」って言われたという、そういうエピソードがあったんでしょうね。

 一方で、田舎から親族が駆けつけてくれて、食材の確保に駆けずり回ってくれてすごく助かったというエピソードがあったのかもしれない。その人のおかげで、みんなが元気を取り戻したんですよ、なんて、当時の被災者が遠い目で語ってくれたのでしょう。

 その2つの取材で得た情報があったとして、それを永吉おじいちゃん1人にやらせてどうすんのよ。基本的なことを言いますけど、永吉おじいちゃんというキャラクターをドラマに登場させたら、それは1人しかいないんですよ。1つの時間軸に、1人しか存在できないんですよ。よろしくお願いしますよ。

 第48回、振り返りましょうか。

■それはギャグでやっているのか

 スランプに陥った翔也(佐野勇斗)が専門学校に結(橋本環奈)を訪ねてくるシーンがありました。翔也を見て、サッチン(山本舞香)がキャアキャア言いながら恥ずかしがるシーンがあるんですね。モリモリ(小手伸也)の背中に隠れて、翔也の顔を見ることもできない。いわく、若い男が苦手なんだそうです。別に翔也はサッチンに話しかけてきたわけでもないし、眼中にもない。それなのに、サッチンは過剰反応をしている。

 ツンツンしていたサッチンの意外な一面、ギャップ萌え、楽しいし、愛らしいだろ? そういう意図であることはわかるんですが、そんなわけないんだよ。

 小中高ずーっと女子校で外部との接触を断ってきた深窓の令嬢だというのならまだギリわかるけど、この人、陸上のオリンピック候補生なんだよね? インターハイで優勝してたよね? 同じトラックやフィールドには引き締まった肉体美を誇る男子高校生が山ほどいたはずでしょ。

 ドラマの世界には「行間を読む」という言葉があります。前後のシーンを理解して、その間にある「描かれていない時間」を想像するということです。例えば誰かが「いただきます」と言って手を合わせていて、次のシーンで「ごちそうさま」と言って食器が空になっていれば、ああこの人は食事をしたな、と誰もが想像できるわけです。

『おむすび』では前後のシーンの間に矛盾が発生するために、その間に何が起こったのかまるで想像できないというケースが頻繁に訪れます。しかも、物語上重要なシーンでも、今回のようなどうでもいいシーンでもそれが起こっている。むしろストレスになるのはこうしたどうでもいい、単にギャグとして提示されたケースなんです。冒頭に記したような永吉じいさんの矛盾については、まあそうしなきゃ話が進まないならしょうがないよ、飲み込むよという気分にもなるんですが、単に笑わそうとして余計な矛盾を押し付けられると、ナメんなクソが、と思っちゃうよね。サッチンが若い男苦手だなんて、別に全然おもしろくないんだもん。

■職業についての解像度

 あと、職業についての解像度の低さもけっこうしんどいんだよな。

 社会人野球の選手として就職した翔也が力んじゃってコントロールが定まらなくなってる。それを相談すべきは素人の彼女じゃなくて指導者なんです。真剣に野球に取り組んでいると思えないし、本気でプロやメジャーリーガーを目指しているようには思えないし、会社側も高校を卒業したばかりの若者を預かるにしては無責任だし、「社会人野球の強豪」を描くにしては簡単にやりすぎてる。野球の世界ってこんなに厳しいんだ、と思わせるような描写がない。ここは取材してないのか、取材のやり方に問題があるのか、集めた情報の使い方が下手なのか。

 あと、総菜屋からパン屋に転業した商店街の人が「パン屋やるまでパンを焼いたことがなかった」と発言するくだりもありました。パンを焼いたことがないのに、銀行から融資が下りてパン屋を始めたという。過去には、震災後に銀行が融資を渋ったためにみんな苦労した、長年靴屋をやってたナベさん(緒形直人)も資金の問題で建て替えをしていないと言っていた。なのに、パン屋未経験の総菜屋には新規事業の融資が下りる。また世界線が2つになってる。

 こういうの、些細なツッコミでもなんでもないんです。物語を楽しむうえで、最低限クリアされていなければならないラインに穴が開いてる。ドラマとしての評価以前の問題なんです。

 過去は変えられない。5日目に来た人は、7日目に来た人にはなれない。なくなったはずのシャンプーは、そこに現れてはならない。そこを疑ったら、もう何を見て何を記憶していたらいいかわからない。

「そんなもん、書き換えればいいっぺ!」って翔也は言うかもしれないけどね、ダメです。ダメだよ。

(文=どらまっ子AKIちゃん)

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