太田りゆ×田中佑美 パリ五輪アスリート対談 中編
パリ五輪に出場した自転車競技の太田りゆと、陸上100mハードルの田中佑美。競技初日が同日で、ともに予選2組目に登場して5着で敗者復活戦に回るなど、多くの共通点のあるふたりに、レースを振り返ってもらうとともに、大きな話題となった閉会式についても話を聞いた。
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【納得の結果だったパリ五輪】
――ふたりとも敗者復活戦を見事に勝ち抜けました。太田選手は敗者復活戦で1着となり、準々決勝に進出。さらにそこで4着となって準決勝に進みました。田中選手は12秒89で2着に入り準決勝に進出しました。準決勝のスタートラインに立った時はどんな心境でしたか。
太田 準決勝では、金メダル争いだといってもおかしくないメンバーでしたので、私も対等にそこに上がれたことがうれしかったです。もうメダルが見えている状態ですごく興奮していましたが、そこは逆に反省点でもあったかもしれません。映像を見返すと、体をバンバン叩いていて、すごい興奮状態でレースに臨んでいました。今でも自分のあの状態をあまり理解できないです。体を叩きすぎてアザができていましたし。
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田中 私は逆に落ち着きはらっていましたね(笑)。ただ私はこれまで「緊張する」とか言わないし、体を叩くようなことも全然しないタイプだったんですが、オリンピック前の大会でそれを少し後悔したんですよね。私は小さくまとめるほうのメンタルコントロールは得意なんですけど、それを発散させるほうもひとつのメンタルコントロールだと考えているので、それをパリで実践しました。緊張するなと思った時にカムダウンするんじゃなくて、発散しようと。動作として表れたのが「緊張する」と叫ぶことでした。
――結果的にともに準決勝で敗退しました。今はその結果をどう捉えていますか。
田中 実力差だなと思いました。もう何段階も実力を上げないとファイナルに名乗りを挙げられないということを実感しました。
太田 私は自転車をこぎながら声がもれるぐらい120%の力を出してまくりにいきました。内側を走る選手も声を出して踏み合っている状態が続いていて、それで敗れたので、やりきらずに終わったわけではなかったです。そこは納得していました。
――陸上でも隣の選手の息遣いや踏ん張る声みたいなものが聞こえることはあるんですか。
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田中 ありますね。2年くらい前なんですが、日本トップクラスの選手と走っている時にすごく競り合っていて、その選手がハードルを越えるたびに叫んでいたんです。途中から私も感化されて最後の3台くらい一緒に叫んでいました(笑)。ハードルは同じ感じで一緒に動いているんで、二人三脚みたいなものなんですよ(笑)。あれが最初で最後でした。
――太田選手はケイリンの後、スプリントにも出場しました。そこでも敗者復活戦に回りましたが、残念ながら勝ち上がれませんでした。その後は涙を流されていましたが、どういった思いだったのでしょうか。
太田 スプリントの結果が悔しくて泣いていたというよりは、私はパリ五輪で競技の引退を決めていたので、それについて感極まる部分がありました。メダルが獲れなかったことは悔いではありましたが、自分の実力を出しきった結果だったので今はすっきりしています。
――太田選手はナショナルチームでの8年間を通して、どんなことを学びましたか。
太田 普通の大学生だったところから、自転車を始めて半年で日本代表になったので、プロアスリートとしてどうあるべきかということをたくさん学びました。「支えてくれる人がいて競技ができる」とよくアスリートは言いますが、ナショナルチームのコーチ、リザーブだった頃からずっとサポートし続けてくれたブリヂストンの方々をはじめ、多くの方々に対して、本当の意味でそれを感じることができました。あとは当たり前のことを真面目にコツコツやり続けることの大切さを学びました。
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【「すごい目の人がいる!」】
――ちなみにパリ五輪の選手村で、おふたりは顔を合わせていたんですか。
太田 かわいくて美人だなと思ってみていました。自転車競技の男性陣も、「りゆさん、田中さん見ました? やべぇっすよ」「きれーだわ」と(笑)
田中 いやいや、すっぴんで歩いてるだけで。
太田 スタイルも抜群だし。自転車競技の男性陣は喜んでました。
田中 私も太田さんは認識していて、本当にすれ違うたびに思っていたんですよ。
――どんな印象を持ったんですか。
田中 目!(笑) 太田さんの目がすごいと。選手村にはいっぱい人がいるので、私はなかなか覚えていられないんですけど、太田さんを初めて見た時から、すごい目の人がいると思って。
太田 選手村で?
田中 そう。選手村で太田さんの目を見て、SNSで調べて、「あ、自転車の人なんだ」と(笑)。
――お互い競技が大会終盤ということで閉会式には出られていましたが、あの雰囲気はどうでしたか。
田中 みんなで「オー・シャンゼリゼ」を歌っている時がピークでしたね(笑)。
太田 トム・クルーズが来るという噂はあったし、ビヨンセが来るという噂もあったんですよ。私たちの周りはビヨンセ待ちだったんですけど、出てこなくて残念でした。
田中 みんながステージに走った時にびっくりしなかった?
太田 バンドに向かって選手たちがみんなダッシュして、ステージに這い上がった瞬間ですよね。私は全然ついていけなくて。ついていけた?
田中 私は先陣切って行ったのはいいんですけど、ステージに上がる勇気はなくて、後ろの人に倒されて死ぬかと思った(笑)。
太田 私は遠くで見ていました。足が速い集団にはかなわないので。
田中 最初はステージに登っていいのかわからなくて、ボランティアの人に聞いたら「いいよ、行けー」と(笑)。
太田 あれ、普通の人にはなかなか登れない高さにあるんですけど(笑)。
――選手たちはみんな記念撮影をしていましたが、しましたか。
太田 自転車競技の日本チームの人たちと集まって撮影しました。あまり他の競技の選手たちとの交流は少なかったかなと思います。あの場で他の選手に声をかける勇気はなかなか出ないよね。
田中 私は......(笑)。
太田 出たの?
田中 閉会式の前はサブグラウンドで自由に過ごす時間が長かったんですよ。陸上は人数が多いのもあって、結構散らばっていて、気がついたら陸上の人たちとはぐれてしまったんです。だから「われらはぐれジャパン」と言いながらそんな人が集まって後ろのほうでちまちましていました。
太田 確かにみんな点々としていましたね。その意味では私たちも「はぐれジャパン」だったかも。
田中 入場の順番もわからなくて、「エクスキューズ・ミー」と言いながらいろんな国の人を抜かしていったら、途中で同じく「はぐれジャパン」のブレイキンの選手たちを見つけて、合流して、「はぐれジャパン」が大きくなっていきました。
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【Profile】
太田りゆ(おおた・りゆ)
1994年8月17日生まれ、埼玉県出身。中学・高校と陸上競技の中距離選手として活躍し、大学時に競輪学校の試験を受けて合格。2016年に入学すると在学中にナショナルチームから声がかかり、2017年2月のアジア選手権大会のチームスプリントに出場し3位となる。その後も数々の国際大会に出場して結果を残し、2022年、2023年のアジア選手権女子スプリントで連覇を達成。パリ五輪では女子ケイリン日本勢歴代最高の9位となった。ガールズケイリンでも活躍し、いくつかのビッグレースで決勝を走るなど、屈指の実力を誇っている。
田中佑美(たなか・ゆみ)
1998年12月15日生まれ、大阪府出身。中学から100mハードルを始め、関西大学第一高校ではインターハイを連覇し、第9回世界ユース選手権に日本代表として出場する。立命館大学では関西インカレ4連覇、2019年には日本インカレ優勝。2021年4月より富士通に所属し、2022年の日本選手権で3位、2023年世界選手権(ブダペスト)日本代表、2023年のアジア大会で銅メダルを獲得する。パリ五輪では準決勝に進出。