武岡優斗さんは34歳で引退するまで、5クラブでプレーした元Jリーガーだ。川崎フロンターレ時代はユーティリティプレイヤーとして活躍し、J1制覇やAFCチャンピオンズリーグ出場も経験している。
引退後の2015年5月には再生医療関連事業を展開する「セルソース株式会社」へ入社し、ネクストキャリアのスタートを切った。「やりたいことがない」状況で踏み出した転職活動から、現在は入社から4年目を迎えている。インタビュー後編ではプロサッカー選手としてのキャリアや挫折が生きた部分、30台の半ばで「新入社員」となった苦労や、セカンドキャリアに関する「提案」を語ってもらった。
取材=大島和人
撮影=須田康暉
――武岡さんは川崎に5シーズン在籍したあと2019年にヴァンフォーレ甲府、20年にレノファ山口FCでプレーをしました。そこからどうやって今の仕事にたどり着いたのですか?
武岡 2021年の冬には「J2以上」「開幕まで」という2つの線を引いていたんですが、そこに合うオファーが来なかったので、開幕1週間前のタイミングでスパッと決めました。1週間で気持ちの整理を付けて、3月1日に引退を発表して「さあ、何をしよう?」という感じです。
――ほぼゼロからの転職活動ですね。
武岡 やりたいこと、興味のあることが本当に何もなかったです。でも「サッカー界には残らない」と決めていました。
――それはなぜですか?
武岡 色々なものを見すぎました(苦笑)。あとサッカークラブは基本的に稼げませんし。指導者も順番待ちがあります。だから外の世界を見たいと思いました。友人にアスリートのキャリア支援をしている社長を紹介してもらって、3月に食事をして、「ざっくばらんに」という感じの話をしました。
そうしたら3月23日か24日に、セルソース社に関して「面接の日時詳細」というLINEが入ったんです。まだ人から話を聞きたい段階で、心の準備はまったく出来てなかったです。だけど(山口から関東に転居するための)家の内見もあるから、とりあえず行くか……という流れでした。
――どういう面接をしたんですか?
武岡 オフィスに行ったら1対2の数的不利で「この経歴で、他にも再生医療の企業がある中でなぜ弊社を?」と聞かれるわけです。「ずっとサッカーを軸に生きてきました。それがなくなった今、やりたいこと、興味のあることはまったくない状態でここにいます。絶対ここに入りたい心境ではありません。本当に申し訳ないですけど、この会社も他社もよく知りません」とはっきり言いました。普通の面接だったら絶対アウトですよね。
ただ「自分は4回膝のオペをしてもうボロボロです。この会社にいる誰よりも膝の痛みに関しては分かると思います」とは言いました。
――普通は何となくそれらしい「志望動機」を用意すると思います。
武岡 そもそも僕は絶対ここに入りたいと思っていなかったし、本音を隠すのも違うなと思いましたし、等身大の自分をさらけだしました。
――なぜ採用されたかは会社の人に聞かないと分かりませんね。
武岡 整形外科は基本的にスポーツの好きな先生が多いとは聞いています。それに軟骨損傷、変形性膝関節症は多い症例で、僕はそれを両膝やっていますから。
――それから3年半、セルソース社で勤務しています。今の業務について教えてもらえますか?
武岡 セルソースは再生医療関連事業を展開している会社です。クリニックで患者さんから血液や脂肪を採取して、それをセルソースに送っていただいて、加工してクリニックに戻します。自己血を用いた治療方法である血液由来加工受託サービスと、脂肪組織から脂肪由来幹細胞を抽出・培養する脂肪由来幹細胞加工受託サービスの2つを展開しています。
――野球の投手が肘の治療で「PRP(多血小板血漿)療法」をやる話は知っています。
武岡 セルソースの血液由来の商品はPRPをさらに加工したものです。田中将大投手、大谷翔平選手がトミー・ジョン手術(肘内側側副靱帯再建手術)を受ける前に、PRP療法を選択したことが報道されて、一般的な認知も広がっていますね。サッカー界でも使っている人は結構います。「手術をしました」というリリースは出ることがありますが、PRPを打つだけでは出ないので、そちらはあまり知られていないと思います。
――膝や肘の関節の調子が悪いときに、患部に注射で打つのですか?
武岡 例えば膝の故障があり、何か対処をするとなったときはまずヒアルロン酸が多いです。最終手段は人工関節などのオペですが、それとヒアルロン酸の間がPRPです。それが俗に言う「再生医療」「バイオセラピー」ですが、自費で保険は利きません。血液由来なら3万から30万円くらいの幅があって、脂肪由来などもっと高いものは3桁まで行ったりします。でもアスリートなら払うレンジにあると思います。もっともJ3の選手が出せるかというとキツいですし、チームドクターの先生によっても見解は分かれます。
――入社後はどういう部署にいたのですか?
武岡 最初は営業で、先輩社員に同行して先生のところを回ったりしていました。今はマーケティング部に属しています。僕が5月10日に入社して、3ヶ月後くらいに弊社とスポーツチームとの提携が始まったんです。スタートが横浜F・マリノス、ガンバ大阪、ジェフ千葉、サガン鳥栖で、Webで商談に入ると「お久しぶりです」となりました。
――それは強いじゃないですか。
武岡 その窓口をやったり、選手にヒアリングして世に出したりすることを、2021年の最初はやっていました。マーケティングに移動しても、そういう動きです。
――サッカー選手のキャリアが生きますね。
武岡 そこに関しては生きています。営業の人に同行して、PT(フィジオセラピスト=理学療法士)さん向けの説明会をやったとき、僕は自社製品を1回膝に打っているから実体験ベースで話せました。それは他の社員にない、僕だけの強みです。ヒアルロン酸を毎週打っていた社員、誰もいないですから(笑)。
先日はセルソースで元バレーボール選手の大友愛ちゃんにインタビュー(卵子凍結UPDATES)を実施しました。僕がキャスティングしましたね。
――ご自身の人脈ですか?
武岡 完全にそうです。(東京都北区の)西が丘サッカー場の横にJISS(国立スポーツ科学センター)という施設があります。自分は2011年のオペの後にそこでリハビリして、人脈が一気に広がりました。バレーの栗原恵ちゃんとか、柔道の杉本美香ちゃんがいて、ケガはしていないけどスノーボードの竹内智香選手もトレーニングしていました。競泳も松田丈志くんとか、寺川綾ちゃんとか……他競技の仲間ができました。ケガの経験が回り回って仕事に生きています。
――逆に「35歳の新入社員」として苦労はあったと思います。
武岡 自分のスケジュールをGoogleカレンダーに入れるところから大変でした。会議で「ローンチ」「アジェンダ」「アサイン」というような横文字が飛ぶと、すぐ携帯で検索して調べていました。
自分はパワーポイントもエクセルも使ったことがない状態。ビジネスメールを打つのも大変でしたよ。敬語は使えますけど「存じます」とか、そんなのは使ったことがなかったです。社内で飛んでいるメールを見たり、ネットを調べたりして、3つ4つの文章から引っ張ってきたこともあります。読んでもらった人から「何人かの文章が混じっているよね?」と突っ込まれました。
医療用語はもっと大変です。1カ月くらい研修があったのですが「新しいものに触れている」みたいな気分でいられたのは1週間くらいで、その後はもう地獄でした。先生の言葉はもちろん分かりません。「応報記録」というレポートを書くのですが、録音して、後で聞いて書くこともよくありました。
――ビジネスの世界に入って、「これは現役のときにやっておけばよかった」というポイントはありますか?
武岡 「スポンサーの会社に行けば良かった」って思っています。色々な会社の人に会って、話を聞けば良かったです。社会を知れただろうし、人とのつながりは財産になります。それに選手のときなら「この会社に行きたい」といえば、スポンサーの人は絶対喜んでくれますよね。難色を示すのは強化部くらいで、クラブの営業も喜ぶはずです。
プロサッカー選手は1日6時間も7時間も拘束されるわけではないし、近場なら往復も入れてせいぜい3時間じゃないですか。週1回でもいいから、行けば良かったと思います。
――それは面白い発想だし、納得です。
武岡 他にも選手のうちにやれることはあると思いますけど「何をやるか」が大事です。例えば現役選手にパソコンを学べと言っても難しいという感覚があります。パワポを勉強しても、学んだことをすぐ使わないですから。英語は海外でプレーする目的があったり、チーム内に話す相手がいたりします。だけどパワポを勉強するなら「資料を作って企業にプレゼンする」「気に入ったらスポンサードしてもらう」くらいまで導線を引かないと、おそらく意味がないでしょう。
――Jリーグもオフに入って、4年前の武岡さんと同じ立場の人が、まさにこれから出ています。ネクストキャリアに向かうアスリートにアドバイス、メッセージをお願いします。
武岡 僕が後輩に言うのは「自分が興味あることは何だろう?」と自問自答ぐらいはしておいた方がいいよということです。はっきりやりたいことがあるのがベストですけど、興味があることを探しておければベターです。
あとはもう、変なプライドを持たないことですね。サッカー界に長くいればいるほど、次のキャリアへ進むのは難しくなります。社会的に見たら35歳は経験を積んで、仕事ができるようになっている年齢です。僕は新卒よりも使えるか使えないかくらいのレベルでした。でもそれを受け入れないと、何も進まなかったと思います。
【武岡優斗プロフィール】
セルソース株式会社 マーケティング部 C.B.C(セルソースバイオセラピーコンダクター)
1986年生まれ 京都府京都市出身
国士舘大学から当時J2のサガン鳥栖に入団し、ルーキーながら40試合以上に出場。翌年横浜FCに移籍。2014年にはJ1の川崎フロンターレで5シーズンに渡り様々なポジションで活躍。その後ヴァンフォーレ甲府、レノファ山口を経て引退。膝の手術を4回経験するなど、苦しいシーズンも多かったが12年の現役生活を終えた。現在は再生医療事業を展開するセルソース株式会社に入社し、マーケティングを担当している。