与野党相乗り推薦の前参議院議員が、河村たかし前市長の後継者である無名候補にゼロ打ちで大敗! 「メダル噛み」など問題行動も多かった奇人は、なぜこれほどに市民から支持を集めるのか? 選挙戦の現地取材を通して、このどえりゃあ謎に迫ってみた!
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■「大塚先生はフワッとしたことしか言わない」
「総理を狙う男、アゲイ〜ン!」とぶち上げ、先の衆院選に出馬して当選を果たした河村たかし前名古屋市長。その後釜を巡り、11月10日に告示された名古屋市長選挙(24日投開票)には7候補が参戦した。
告示後は河村市政を「丸ごと引き継ぐ」と公約に掲げた広沢一郎氏(元名古屋市副市長)と、与野党相乗りで大村秀章(ひであき)愛知県知事まで応援に回る盤石の布陣で臨んだ大塚耕平氏(前参議院議員)による接戦が予想されたが、ふたを開けてみれば広沢氏が大差で当選。河村氏の変わらぬ人気ぶりを象徴する結果となった。
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本誌記者は投開票日の3日前から名古屋市に入り、選挙終盤戦を取材した。その時点で、河村人気の追い風を受けて晴れやかな広沢氏と、劣勢に焦り、ひどくやつれ気味な大塚氏―明暗は、両者の顔色にクッキリと表れていた。
終盤、大塚氏が街頭演説でしきりに訴えていたのは、「デマや誹謗(ひぼう)中傷で選挙をやるような人たちを勝たせては困ります!」だった。
事実、この選挙戦ではデマが流れていた。それは主に、河村市政の象徴といえる、12年度から継続されている市民税減税と、高齢者が市バスや地下鉄に実質無料で乗れる敬老パスに関することだった。大塚陣営の選挙スタッフがこう語る。
「告示前から、大塚氏について『市民税を増税するらしい』『敬老パスも廃止する』という話を吹聴するおばさん連中が、市内のコメダ珈琲店で複数目撃されていました。
告示後はこうしたデマがSNSで拡散され、炎上。選挙中盤には、若い層を中心に"大塚は増税派"という誤った認識が広がってしまいました」
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これには大塚陣営に隙もあった。広沢氏は減税率を「5%から10%に拡充」と公約に掲げたのに対し、大塚氏は「まずは効果を検証」と明言を避けた。市長報酬も、広沢氏は「前市長を継承(年2800万円→800万円に減額)」と公約したが、大塚氏は「審議会に委ねる」と弱腰だった。
複数の陣営スタッフが選挙中に指摘していた大塚氏のウイークポイントは、「先生って、フワッとしたことしか言わないんです」だった。
ある自民市議がこう話す。
「告示前、彼(大塚氏)の選挙公報を見たときは愕然(がくぜん)としたよ。名古屋をどうしたいのか全然伝わってこなかったから、作り直したほうがいいと進言した。
その後に出てきたのが『3つの負担金ゼロ(給食費、敬老パス、がん検診)』。私はバラマキをやれなんてひと言も言ってないんだがね」
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■鳴り響く「イッチロー」コール
他方、名古屋市緑区のスーパー「マックスバリュ」前の街頭演説で黄色い声援を浴びていたのは広沢氏だった。
「キャー、イッチロ〜!」
30人ほどのおばさま方を前に、広沢氏はこう訴える。
「与野党相乗りだと、各党にお伺いを立てなきゃいけないから、言いたいことも言えない。ある意味、それはかわいそうな気がします。ですが、私には大政党がついてないから誰にも忖度(そんたく)せず、自分の心に従って、市民のためになることをどんどん実行できます」
聴衆からは拍手とともに「イッチロー! イッチロー! イッチロー!」の大合唱が湧き起こる。聴衆の数こそ少ないものの、熱狂度は大塚氏をはるかに上回っていた。
「私たちは河村たかしというアイドルの追っかけ。広沢さんは後継者だから、今日は仕事を休み、すべての街宣場所を回って声援を送ります!」
聴衆の中では、そんな熱狂的な河村ファンも多かった。ただ、名古屋市民からはこんな声も上がる。
「広沢さんの選挙カーのスピーカーからは河村さんの声しか聞こえてきません。選挙ポスターも河村さんの顔がまず目に飛び込んでくる。いやいや、本人がもっと前に出なきゃ選挙にならんでしょ!」
一部の市民からは「河村氏の操り人形」と批判されるが、当の本人はこう言い放つ。
「私は顔も声もまだ知られていない。河村さんのダミ声があるからこそ、後継者なのだと認知してもらえる。そこは実利を取りました」
■市職員による河村市政の評価は?
名古屋市役所の庁舎内では、15年間の河村市政に不満を持つ職員もいた。
「市民税減税の財源を捻出するため、職員の給与も下げられています。住居手当は愛知県職員がもらう月2.8万円(最高額)の半分にも満たない約1.1万円です」(40代職員)
「河村前市長の話は聞き取りづらく、肝心な部分をゴニョゴニョとしゃべり、語尾の『ちょーよ』『だぎゃあ』しか耳に残らないことも多々。職員が市長のためにお膳立てしたことを平気でひっくり返すこともあり、正直、憎たらしいと思ったことも」(30代職員)
「デジタルを毛嫌いしていた方なので、15年間、庁内DXが遅々として進みませんでした。私の所属部署ではリモート環境がほぼ皆無だから、コロナ禍でさえ在宅勤務とは無縁でした」(20代職員)
それでも、今回の選挙では「広沢さん一択でした」と答える職員が少なくなかった。
「河村市政では、減税や名古屋城の木造復元、高校入試の廃止といった目立つ施策ばかりが注目され、その停滞ぶりがメディアでもよく批判されます。ですが、職員の視点では、基礎自治体の長としてやるべきことはやっていたという点に信頼感があるんです」(前出・40代職員)
例えば、出産時にベビーカーやチャイルドシートなどの5万円相当の品を新生児世帯に贈る事業や、18歳までの医療費無償化などだ。
「名古屋市では所得制限がありますが、給食費や修学旅行費の負担を軽減する就学助成もあります。また、全国で初めて市立中学校すべて(127校)に常勤のスクールカウンセラー(SC)を、市立小すべて(266校)に非常勤のSCを設置したのも河村前市長。
彼がよく言っていたのは、『ひとりの子も死なせない名古屋をつくらんといかん!』という言葉でした」
現場からも「SCの設置は良かった」(市内小学校教員)と評価を受けている。だが、15年に及ぶ河村市政下では、「ネグレクトリスト」と呼ばれる市長の側近だけで共有されるリストもあった。
「河村から指示が出たけど、局間調整がすこぶる難航しそうな施策や、議会から目をつけられそうな施策については、市長から何か言われるまでは手をつけず、そっと置いておこうというものを集めたリスト。
『名古屋にどえりゃあたきゃあ(非常に高い)ビル建てたるがね』と公言した1000mタワーの建設など、数多くの施策案がネグレクトリストに積み上がっていました」(40代職員)
一方、河村市長の肝いりで、最優先に着手しなければならない施策は庁内で「特命事項」と呼ばれる。
そのひとつが、今年1月中旬、能登半島地震発災から約2週間後に動き出した地震対策検証事業だ。防災担当職員らが石川県七尾市を対象に、被災地支援に携わった現地の関係者3000人にアンケートを実施。現地に入って綿密なヒアリングも行ない、「今どきの子供は洋式トイレしか使った経験がないため、和式の仮設トイレでは用を足せない」など数十に及ぶ課題を抽出した。今それらを名古屋市の課題に変換し、南海トラフ巨大地震にも備える具体的な対策を検討している最中だという。
「やる!と決めたら一気に進めるのが河村さん。特に子供の支援と、市民の命に関わる防災はどの首長より本気で取り組んだ人だと思います。
その実績があるから、いくら大塚さんが給食費無償化、敬老パス無償化と訴えたところで、われわれにはどうしても軽薄に聞こえてしまうんです」(前出・20代職員)
庶民派市長を象徴するこんなエピソードもある。
名古屋市東区にある東桜小学校の敷地内の角に、高さ10mほどの大きな桜の木がある。樹齢は推定50年超、地区住民には3世代にわたって親しまれ続ける「地域の宝」(桜の木の目の前にある中華料理店店主)だ。
だが、幹に大きなくぼみがあり、倒木を懸念した市の教育委員会が昨年12月頃、伐採する方針を固めた。これを受け、地区内では存続を求める声が上がり、ある住民が市公式の市長ホットラインを通じて河村市長に直談判。その後、河村市長は現場を見た上で、樹木医に診断してもらうよう市教委に指示した。結果、「樹勢の衰えは見られず、切らなくてもいい」と診断され、"地域の宝"は守られた。
前出の店主は「市長が河村さんじゃなかったら、今頃、桜の木はなくなっていたはず」と胸をなで下ろす。ここは「自民党支持者が圧倒的に多い地区」(地元住民)だが、今回の市長選では「河村さん側に票を入れないわけにはいかない」と、広沢支持を表明する住民が少なくなかった。
■広沢新市長を待ち受ける課題
11月25日、河村氏からバトンを受け取った広沢市長が市役所に初登庁した。公約に掲げた市民税の10%減税は「26年度予算には組み込みたい」と意欲を見せ、自身の市長給与削減は「(来年)2月の定例会に諮(はか)りたい」と話した。
だが、河村市政で取り残された課題が山積する。
一部の市民が懸念していたのはトヨタ自動車との関係性だ。軋轢(あつれき)が生まれたのは、21年の"東京五輪金メダルかじり事件"がきっかけだ。
河村氏に噛まれたメダルの持ち主は、トヨタ所属のソフトボール日本代表選手だった。その後、「『河村を許すな!』という趣旨の張り紙が、豊田章男社長(当時)名義でトヨタ社内の各所に掲示された」(市議会関係者)ことは地元では知られた話。
河村氏はトヨタ本社へ謝罪に赴いたものの、豊田社長との面会はかなわず、同社が出資する名古屋グランパスエイトと市の共同イベントが延期になるなど、トヨタとの関連イベントは軒並みストップしたという。
昨年2月、豊田章一郎名誉会長が死去した際、「大村知事と豊田市長には葬儀の案内状が届いたが、名古屋市では河村市長がスルーされて副市長にしか届かなかった」(市議会関係者)という話もある。
「広沢市長は紳士的な振る舞いができる人だし、河村さんには感じられなかった品の良さもあります」(地元住民)
その強みを生かし、トヨタとの冷え切った関係を修復できるかどうかが試される。
河村前市長は市議会とも対立関係にあった。前出の20代職員がこう打ち明ける。
「衆院選に出るために半年の任期を残して市長を辞めると表明した河村さんが、市議会の各会派からボロクソに批判されているのを見て、『この方は市議の人たちから本気で嫌われていたんだな』と気づきました。
この敵対関係は広沢市政でも継続されるでしょうから、市の職員も議会対応に苦労しそうです。この一点だけで考えれば、大塚市長のほうが良かったな......と思っちゃいますね(苦笑)」
河村氏は、くせ者ぞろいの最大会派・自民市議団を相手に、時にリコールをちらつかせる辣腕(らつわん)と、議会で厳しい追及を受ければ「75のおじいをよ、いじめたらかんて」と軽妙に受け流す対応力で切り抜けてきた。
選挙戦で広沢氏の街頭演説を聞き、単独取材も行なった記者の主観ではあるが、広沢氏に厳しい議会運営を乗り切るタフさが備わっているとはどうしても思えなかった。
だが河村氏の側近で、広沢氏をよく知る人物がこう話す。
「広沢さんは河村市政の下で17年から4年間、副市長を務めました。その任期中の実績として今でも語り草になるのが、中国との交渉です」
何があったのか?
「名古屋市は中国・南京市と40年以上にわたり友好都市関係を築いています。一方で河村市政下の19年、台湾側からの要望を受け、台中市とパートナー都市連携を結びました。
しかし、当時は台湾と中国の関係が悪化していたため、この動きに不満を抱いた中国総領事館が、国際交流事業を所管していた広沢副市長を呼び出しました」
そのとき、現在の自民党市議団団長・藤田和秀市議も同行したという。
「藤田市議から聞いた話では、広沢さんは中国総領事の詰問にも動じず、感情的になることもなく、台中市との都市連携は観光分野に限られ、中国との関係にも配慮していること、さらにその連携が名古屋市にとってどれほど重要かを淡々と説き、総領事を納得させたそうです。
この一件は、普段はあまり人をホメない藤田市議が『あいつはスゴい』と感心していたほどでした」
タフネゴシエーターとしての顔も持つ新市長は、市議会やトヨタと関係を修復し、名古屋を次なるステージへと導けるか。真価が問われている。
取材・文・撮影/興山英雄 写真/共同通信社