染井為人氏の小説を原作に、横浜流星さん主演で制作された映画『正体』。一家惨殺事件の容疑者として逮捕された当時未成年の鏑木慶一(横浜流星)が、“ある目的”のために決死の脱獄劇を繰り広げるサスペンス作品だ。
【写真を見る】横浜流星・五変化『正体』──藤井道人監督が目指したリアリティと不変の“インディーズ魂”
メガホンを取った藤井道人監督は、大学時代の映画サークルでひたすら作品を作る青春時代を送り、卒業後はフリーランスの作家として、オリジナルビデオ作品やインディーズ長編映画を手がけてきた。そして、2019年公開の映画『新聞記者』で第43回日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞し、その名を映画界に知らしめることに──。
その後も話題作を次々と世に送り出している藤井道人監督。最新作『正体』は、公開規模の大きいビッグプロジェクトでありながら、その制作の支えたのは、監督自身の礎となっている“インディーズ魂”だったという。徹底したリアリティの追求を掲げる藤井組。その源となる、ものづくりへのポリシーや揺るぎない信念に迫る。
画で、物語をしっかり伝える秘訣──藤井組の真髄は“リアリティの追求”と聞きますが、その目的とは何でしたか。
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“リアルの軸”がないと作品のすべてが嘘になってしまいます。その部分がズレると俳優部が混乱してしまうんですね。それは映画を観てくださるお客さんも同じで、「映らないからわからないだろう」という考えは、制作者側のエゴだと思います。だからこそ、僕ら制作者がどれだけリアルを理解するかが大事なんです。それを踏まえたうえで崩すのはいいと思うんですよ。「リアルはこうなんだけど、ここは一緒に嘘をついてしまいましょう」という説明であれば、俳優部にも伝わりますから。
──『正体』で目指した“リアルの軸”とはどのようなものでしょうか。
たとえば、逃走中の鏑木の髪の長さ。逃走期間はこれぐらいだろうと演出部が計算してくれたスタイルに対し、現実的にはもうちょっと短めだろうという意見交換があったり。左利きの人に右利きの練習をどれぐらいさせたらどうなるのだろうとか。また、ホクロを自分でえぐったらどうなるのだろうと考え、特殊メイクの実験を細かく行いました。それは、説明を極力省き、画で物語をしっかり伝えたいからです。何回観ても新しい発見がある作品を作りたいという思いもあります。
──リアルの軸とフィクション、本作で特にバランスを意識されたシーンはありますか?
鏑木と警察官・又貫征吾(山田孝之)が対峙する取調室。いまの取調室はもうちょっと風通しがよい作りになっていますが、ここは、又貫の脳内を表現したいがための閉鎖的な環境にしています。実際の取調室を見た経験のある方は少ないと思うので、ここはフィクションでいいと割り切りました。やはり割り切れないのは肉体ですね。誰もが同じ構造の肉体を持っているので、そこは嘘をつけません。だから、髪の長さなどは綿密に考えているわけです。そのように、ひとつひとつの細かい設定にディレクションを入れています。
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──各キャラクターにテーマカラーの裏設定があるとお聞きしております。そこにはどのような意味がありますか。
“正体不明”の人物を描く物語である以上、主人公がどんな人間なのかを事象を追いながら観客をハラハラさせていくことが重要だと考えました。ただし、あまり「この人はこうだ」と決めつけない演出を心がけました。本作は色でキャラクターわけをするレンジャー作品ではないので、どういう思いでこの色を用いているという説明をしてしまうと、演者が「自分は何色の担当」と意識してしまいますから。なぜそのキャラクターにその色を差すのか、それは僕ら制作サイドが理解していればいい。俳優部がその色を使う意味を理解しないように努めながらその色が必然的に見えるように演出していくことは、結構おつな作業でしたね(笑)。
──横浜さんが持つ“瞳の力”も演出面での大きなポイントとのこと。そこに着目した理由は?
この作品の企画を受けたのは4年ほど前ですが、最初は“横浜流星・七変化”という提案があったんです。それを聞いて、いろいろな姿の彼が観られる作品はおもしろいのではないかと考えて取り組むことにしました。もともと、流星は瞳がすごくいい役者ですが、とくにここ数年は、言葉を使わずとも感情が伝わる芝居ができるようになっていたので。恋をしたり友だちとの触れ合いがあったり、辛かったり笑ったりというすべての流星の魅力が、彼の瞳や表情を通し、過去、現在、そして未来につながる姿として撮ることができたと思います。
自分たちの過去を否定することはしない──死刑確定囚の逃亡劇、さらに横浜さんの【5つの顔】を撮るといったハードルがある作品ですが、大きな挑戦だったと思うことはありますか。
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僕はインディーズ映画の出身ですが、メジャー作品を撮るからといって、自分のスタイルを変えてまで新しい挑戦をするようなことはしたくないんです。それは、自分たちの過去を否定する行為なので、いままでのやりかたを踏襲したうえで成長していきたい。つねに着実に経験を積み重ねながらものを作っているからこそ、たとえ規模が大きくなったとしても、インディーズ時代から培ってきた基礎や大事にしてきた考えを変えずにやっていくかが重要なんですよ。おもねらない、迎合しない。そういう考え方の僕たちと仕事をする方々は大変かとは思いますが、「結果は出すので見ていてください」と言い続けられるものづくりをする集団でいたいんです。
──ご自身のものづくりへのポリシーは、今後のエンターテインメント業界や映画界への思いと重なる部分はありますか。
今回はとても規模の大きな作品ですが、その座組に僕のようなインディーズ出身の監督を呼んでいただけたことはとても大きいと思います。だから、そのチャンスに応えたいんです。作品を観てさえもらえれば、僕らの伝えたいことはしっかり届くはずと信じて、制作にも宣伝にも力を入れました。
理解する、多面性が生み出すリスペクト──監督がお持ちのそのポリシーを貫く心の強さはどこからきていますか。
多面性だと思います。自分から見た正しさは他人から見たら正しくないこともあるかもしれない。それを理解することが僕が思う多面性です。ものづくりを続けていくと、いろいろな人に出会います。そういった人たちを知れば知るほど、それぞれの正義が見えてきます。立場が変われば、言うことが前と変わる人もいますよね? それに対して「前はああ言ったじゃないか。あなたは間違っている」と考える時代は、僕にとってはもう終わりでいいと思っていて。考えが違うもの同士が対話すれば、リスペクトが生まれると思いますし、実際、考え方が違う者同士が集まっても、作品への愛やリスペクトが一つになっていく姿を何度も目撃しています。だから僕は、そこを信じたいなと思っています。
──他者へのリスペクトは難しいですが、どんなことを心掛けていますか。
いまって“ラベリング文化”だと思うんですね。メディアが定義しているから、フォロワー数がこれぐらいだから…といったように、何事にもラベルを貼る。自分の目を信じなくても生きやすくなってしまった世の中だとも言えると思いますが、それは、今作にも通ずることかもしれません。結局、“正体”という言葉はとても難しい。たとえ、99%の人が「これは悪だ」と言っても、自分にとってそれが悪だと思えないときもある。そういう意味で、この映画を通して、鏑木の生きている姿をみなさんがどう感じてくれるかとても楽しみです。
ある目的を持ち、【5つの顔】に姿を変えながら逃亡し続ける鏑木慶一。どれだけ過酷な状況に置かれようと、目的のために闘う鏑木に藤井監督が込めたのは、人の本質が見えづらい現代への問題提起なのだろうか。監督自身、自分が置かれている立場が変わろうと、ものづくりへのスタンスは揺るがない。「難しいことは考えずに観て、楽しんでほしい」と監督は言うが、受け取り方はきっと人それぞれ。藤井監督に多種多様な考えを受け止めることができる許容力があるのは、映画を志したころから変わらないポリシーがあってこそだろう。