大きな怪我がきっかけの一つとなり、現役18年目で引退を決めた元サッカー日本代表の石川直宏さん。「どんな出来事も良くも悪くも自分で変えていけると気づけた」と怪我を振り返りつつ、その経験が現在のキャリアにも繋がっていると語る。
今はFC東京のコミュニティジェネレーター、そして長野県飯綱町の農園「NAO’s FARM」の農場長として、東京と長野を行き来する生活を送る石川さん。インタビュー後編では、農園での取り組みやキャリアに悩むアスリートたちへのアドバイスを聞いた。
取材=飯嶋藍子
撮影=吉田英
――2021年から農業を始められた石川さんですが、サッカーと農業ってまた違う辛さがあるのではないでしょうか?
石川 今までやってきたことのなかで、体力的にも精神的にもサッカーがいちばん辛かったから、今のところそれ以上辛いものはないかもしれません(笑)。仲間と協力しながら作業すると、苦しいことすらも楽しくなるというか。もちろん大変なんだけど、辛さより喜びや楽しさのほうが勝っています。課題に直面しても、目の前のことに向き合い、思いを伝え合い、繋がりを広げていく。そういった意味では現役時代とやることは変わらないと感じます。
――農業をやっていていちばん楽しい瞬間は?
石川 畑や田んぼに来てくれた人たちが生き生きしている姿を見ることです。一時的かもしれないけれど普段の悩みや葛藤から解放されて、目の前の作業に一生懸命集中している姿、そして休憩して他愛もない会話をしている時のリラックス感、穫れたての作物を食べた時の驚きと喜びの表情……。たまらないですね。自分がゴールを決めたり試合に勝った時に人々が喜んでくれる表情や、苦しいなかでも仲間と協力してトレーニングをしたり会話をする空気感と、なんかすごく似てるんですよね。サッカーと農業のそういった共通点を見出せたこともとても嬉しいです。
――引退後もピッチ上で味わったのと似た喜びを感じられたんですね。
石川 はい。アスリートって何万人ものサポーターが喜ぶ爆発的な熱量を求めると思うんです。でも、その熱量も、もとを辿れば一人一人の笑顔と声が集まってできているじゃないですか。規模感は違うけれど、笑顔と熱量を作り出すという意味では、サッカーも農業も同じ。量や規模じゃなくて、向き合う距離感の近さや質に価値を見出すことで、結果的に現役時代と同じようにたくさんの人を喜ばせられると思います。
――応援してくれる人たちとの距離感が一層近くなったんですね。
石川 そうですね。僕は現役時代から、選手、ファン・サポーターの距離感について意識していて、全員結局人でしょ?って思っていたんです。だからファン・サポーターの方の言葉には必ず耳を傾けるし、フラットな関係を築くことでみなさんも「ナオが言うなら」と僕の声に耳を傾けてくれているんだと思います。そういうコミュニケーションで相互にエネルギーを与え合っていた実感があります。
――農業をやってみて、自分に不足していたと感じたものはありますか?
石川 めっちゃいっぱいありますよ(笑)。僕は認知的なところが非常に苦手なんです。僕の役割としては非認知的な感覚の部分でスポーツウェルネスやウェルビーイングを考えていくことですが、認知的な側面も併せ持ったコミュニティ作りをする必要があるなと感じています。多様な人々とコミュニケーションを取ることで、いろんな考え方が自分のなかに入ってきますが、それによって混乱するというよりは、自分のあるべき姿や大事にしたいことが明確になってくる感覚があります。NAO’s FARM農場長、コミュニティジェネレーター、解説者など、いろんな肩書きはあるけれど、その大元にある「自分」を大事にすること、そして一つの考えにとらわれないことを常に意識しています。
――今までの経歴や思考の集大成とも言えるのが、飯綱町で開催されたNAO’s FARM CUPではないかと思います。サッカー選手を招聘し、サッカークリニックや地元のサッカー大会を実施、農園で穫れた新米のおにぎりやローカルフードも振舞われました。これはどういう思いで開催したのですか?
石川 飯綱町では、小学校が統廃合された施設に滞在しているのですが、そこに立派なグラウンドがあって、子どもたちがサッカーの練習をしている様子を見ていたんです。でも、僕は農業のために行っていたからサッカーをする機会がなくて。一緒に農業をやっている株式会社みみずやのスタッフも学生時代にサッカーをしていたメンバーばかりで、「一緒に農業はやってるけど、サッカーはしたことないよね」みたいな話をしていたんです。そんな話をしているなかで、僕はやっぱりサッカーをずっとやってきたから、農業だけじゃなくてサッカーでも地域に何か還元したいなという思いがあって、NAO’s FARM CUPを開催しようということになりました。僕自身なり、NAO’s FARMなり、FC東京なりが、地域にあって良かったな、このおかげで笑顔になれたなっていう存在になれたらと思っています。
――最後に、キャリアに悩むアスリートのみなさんに一言お願いします。
石川 悩みのない人なんていないので、たくさん悩んでください。地域や社会、人と触れ合うことによっていろいろな価値観を知ることができるし、それによって自分を知ることもできます。同じ環境に居続けると、一方向でしか物事が見ることができなくなってくるので、とにかく多面的な自分を知ってほしいですね。そのためにいろんな環境に身を置いて、アクションしてみてください。
スポーツをやってきて思うのは、成功なんて2、3割だということ。ほとんど失敗するし、みんなが勝てるかといったらそうではない。でも、その世界のなかで一生懸命やってこられた自分に自信を持って、立場や年齢、地位、名誉関係なく、一人の人間として、現役時代からたくさんのアクションをしてほしいです。そうしていれば次のキャリアは自ずと拓けてきます。アクションという経験の点を繋げていくことを、ぜひ楽しんでください。
【石川直宏プロフィール】
横須賀市の少年団チーム横須賀シーガルズでサッカーを始める。その後横浜マリノスジュニアユース、横浜F・マリノスユースを経て2000年Jリーグデビュー。試合では、ずばぬけたスピードによる突破で得点をアシストする活躍を見せる。2002年、出場機会を求めてFC東京へ移籍。2003年から2004年にかけてはアテネオリンピックを目指すU-22日本代表とA代表の両方から招集を受け活躍。度重なる怪我を乗り越えて、圧巻のプレーと爽やかな笑顔でファンを魅了し続け、2017年に引退。現在はFC東京コミュニティジェネレーターとしてクラブの発展に尽力しながら、メディア・講演・農業・スクール活動等など幅広く活動をしている。