「中学生で“ゲイ”に出合った」いま注目のドラァグクイーンが語る男性との結婚と亡き母への想い

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2024年12月14日 16:00  週刊女性PRIME

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ドリアン・ロロブリジーダ(39)撮影/山田智絵

今年、話題になった恋リア番組『ボーイフレンド』(Netflix)のスタジオMCを務め、中村倫也主演ドラマ『Shrink』ではすっぴんでバーテン役を演じ、音楽ユニット『八方不美人』ではドラァグクイーンDIVAとして輝きを放つー。プライベートでは結婚も果たした彼は、これまでどんな道を歩んできたのかー。

「皆様ごきげんよう。ドリアン・ロロブリジーダでございます!」

 ド派手なメイクと豪華な衣装を身に着けた181センチの長身に、頭には大きなウィッグやヘッドドレス、さらに高いハイヒールを履くことで優に2メートルを超す威容を誇るドラァグクイーン、ドリアン・ロロブリジーダ。上品に挨拶をした後に「名前が長くて覚えられないと思うので、“おまえ”って呼んでください!」とユーモアあふれるアグレッシブなトークで笑わせ、ゴージャスに歌い踊り、オーディエンスを魅了する。

男性の姿でも、自分の中では何も変わらない

「ごきげんようって本当に便利でいい言葉だなと思って、最近使うようにしているんです。こんにちはにもお別れの挨拶にも使えて、スノッブな空気をまといつつ先制パンチを食らわせることもできる。そしてやっぱり“機嫌良い”って、大切ですからね」

 近年は舞台でのパフォーマンスだけにとどまらず、テレビ番組やラジオ番組、俳優として映画やドラマにも出演、化粧を落としたスッピン姿での活動も行い、司会やコメンテーターも務めるなど、明るくポジティブな魅力で人気を集め、活躍のフィールドを広げている。

 しかしドリアンは「女装をしても、男性の姿でも、自分の中では何も変わらない」と言う。取材の際もスッピン姿でありながら、手には美しいネイルが光っている。

「所作やアウトプットの仕方を意識的に変えよう、というのはあるんです。なので男装でステージへ出るときは男役っぽく過剰に振る舞いたいし、ドレッシーなときは上品でありたい。でもメンタリティーは変わらないんです。活動の中心にはドラァグクイーンがあって、あくまで看板は“ドリアン・ロロブリジーダ”なんです」

 ドリアン・ロロブリジーダこと大竹正輝は1984年12月24日、大学時代にフォークソングのサークルで知り合った両親の間に、6歳上と3歳上の兄がいる三男として生まれた。東京東部の深川で幼少期を過ごし、3歳で西部郊外の一戸建てへと引っ越した。

 そのころから着飾って歌い踊ることが大好きで「兄貴のお遊戯会の衣装を着て、家族の前でミニコンサートを開いていました」と笑う。ドリアンの長兄は「小さいころから兄弟の中ではダントツの目立ちたがり屋で、人前で歌ったり踊ったりするのが好きだった」と幼少期の正輝のことを話してくれた。

「兄2人とは性格が全然違っていて、彼らはまじめで、堅〜い仕事についています。自分だけ浮いているんですよねぇ。堅い、堅いときてちゃらんぽらん、みたいな(笑)」

 その後、小3〜小5まで、父親の仕事の関係で家族で香港へと移り住む。ドリアンはこのころからオネエ的なしぐさをするようになったというが、「自分の中のフェミニティが湧き上がってきたというわけではなくて、そう振る舞うと楽しいから、面白いからそうしていただけだと思う」と語る。兄たちは学校でオカマの兄貴と揶揄されたというが、本人は「自分は好きでやっていただけなので、ノーダメージでした」と言う。

 香港までは家族一緒だったが、それ以降は父親が単身赴任をするようになり、日本へ帰国して母親と2人の兄との生活となった。中学生となったドリアンは吹奏楽部でテナーサックスを担当する。

「中学までは恋愛感情は女の子に抱いていました。吹奏楽部は女子が多いんですけど、彼女たちとフランクに接していたので、男子からは『大竹って女たらしだよな〜』なんて言われたり、告白されることも何度かありましたね。目立ちたがり屋で、キャッキャしていました」

 いじめに遭わなかったのかと聞くと、ドリアンは「なかった」ときっぱり答えた。

「でも中学、高校で下駄箱の靴を誰かに3回くらい捨てられているんです。でもそれは自分が目立っていたことへの妬みからの行動だと思ったので、『まあ、そうだよね〜』と納得して(笑)。もしかしたらいじめだったのかもしれないけど、そうは思わなくて。私には常に友人がいたので、学校では楽しく過ごしていました」

 このドリアンの魅力である明るさやポジティブ思考、自己肯定感の高さは母譲りだという。

「私はマザコンなので、母の影響がとても大きいんです。怒られたことはたくさんありますけど、いろんなことを肯定してくれて、否定されたことがなくて。だから今の自分の人格をつくってくれたのは、母だと思うんです」

 ちなみにサックスを選んだのは母親の助言だったそうだ。

「母は明るくて、歌うことが大好きで、ずっと合唱をやっていたので、吹奏楽をやりたいと相談したら『あなたは目立ちたがり屋だから、サックスがいいんじゃない?』とすすめられたんです。そうそう、学生時代に家に遊びに来た友人に『大竹の母ちゃんって……本当に大竹の母ちゃんだよな』と言われて(笑)。自分としてはいつも見ている普通の母なので『何のこっちゃ?』とは思ったんですけど、似ていると思われたことはうれしかったですね」

“ドリアン・ロロブリジーダ”の誕生

 中学生になったドリアンは、大竹家へやって来たパソコンの、インターネットの検索画面にいろいろなことを打ち込むようになった。ウィンドウズ95がリリースされ、パソコンやネットが爆発的に普及し始めたころだ。ある日、ちょっとした好奇心から「ゲイ」を検索してみたところ、次から次へと気になる情報が見つかり、それから毎日検索しまくったという。

「そこから私の人生が花開いてしまいました!」

 本格的な活動は高校生になってからだった。

「ネットを通じて、ウチの近所に住んでいたゲイの仲良しグループと知り合ったんです。そこでいろいろなことを教えてもらって、『ゲイってなんて楽しいんだろう!』と思ったんです。ちょうど思春期で、自分がゲイであることのアイデンティティーが芽生え始めていたころだったので、『生きててよかった!』と思えたんです」

 ドリアンが高3の年末、グループでカラオケ大会を行ったときのことだ。友人が派手なメイクと衣装を身にまとい、女装姿で登場したことに衝撃を受け、「カッコいい!」と思ったことがドラァグクイーンの始まりとなった。

「小さいときから着飾ったり、きらびやかなものや衣装が好きで、中学時代にはビジュアル系バンドにハマったこともあったんです。これがきっかけで女装を始めるようになって、どうやって化粧をしたらいいのか教えてもらったり、活躍しているドラァグクイーンや往年の大女優の小〜さな写真を拡大コピーしたりして、それを参考に試行錯誤しながらメイクをマネしていました」

 大学受験を控えていたが「受験勉強はそんなに苦じゃなかった」と語る。

「現代国語で学年1位、でも数学でビリから2番という完全な文系で。だから英、国、社は勉強している感じがなくて……とはいえ、私の頭脳はあそこがピークだったと思います(笑)」

 受験を勝ち抜いて早稲田大学法学部へと進学したドリアンだったが、入学早々大きな挫折が待っていた。

「ドラマとかを見て、大学って勉強するところじゃなくて遊んだり恋愛したりするところだと勘違いしていて、授業の履修登録へ行かなかったんです。後で同じ高校から早稲田へ進んだ友人から情報を聞いて真っ青、気づいたときには単位を取るのが難しい授業しか残ってなくて、初手から大コケ! そこからきれ〜いに大学生活からドロップアウトしていきました。二丁目大学のほうが水が合っていましたね(笑)」

 そのころ学園祭で初めて出会ったのが、現在ドラァグクイーン3人組ユニット「八方不美人」で一緒に活動するエスムラルダだった。

「当時学生だったドリアンが早稲田のゲイサークルのメンバーで、初対面は『すごいイケメンがいる!』と思って(笑)。背が高かったので、私のショーの後ろで暗幕を持つ手伝いをやってもらいました。今よりもはるかにピュアな感じがありましたね」(エスムラルダ)

 学業そっちのけでドラァグクイーン活動にのめり込んでいったドリアンは自室に大量の女装道具を置いていたが、母親には「サークルの衣装係」とウソをついていた。

「学園祭で女装をして勝手に練り歩いたり、ゲイパレードに出ていたんですけど、2006年12月に新宿二丁目で開催された『若手女装グランプリ』に出場して、優勝したんです。22歳のときです」

 その出場にあたり、ドラァグクイーン用の名前を決めなくてはならなかったため、自身が大好きな往年の大女優ジーナ・ロロブリジーダから名前を拝借。さらにフルーツの王様ドリアンと、背徳的な生活を送る美青年が主人公のオスカー・ワイルドの小説『ドリアン・グレイの肖像』からドリアンと名づけたという。

「濁点の多い名前がいいなと思って、そんなに悩まずにつけたんですが、今でも気に入っています。英語の表記は小説の“Dorian”ではなく、果物の“Durian”にしました。臭いけど、見る人にクセになってほしくて!」

 よく「ロロブリジータ」と間違われるため、最後にも濁点があることを強調するように「ダ」にアクセントをつけて自己紹介をしている。

 そんな駆け出しのころを、エスムラルダはよく覚えていると話す。

「正輝くんを初めてドリアンとして認識したのは、大学での出会いから数年後。新宿二丁目のクラブイベントでショーを見ていたら登場して、隣にいた友人が『ドリアン、面白いんだよね』と言っていたんです。

 まさかそれが、あの早稲田のイケメンくんだとは(笑)。ドリアンの魅力はビジュアルの良さ、華やかさと見せ方へのこだわり、サックスで鍛えられた肺活量と声量、頭の回転の速さ……といったあたりに魅力を感じる人は多いと思うけど、個人的にはきまじめで努力家なところ、価値基準が明確で判断が早い一方で繊細さを持ち合わせているところが素敵だと思っています」(エスムラルダ)

ビジネスシューズとハイヒールの二足生活へ

 順調に滑り出したドリアン・ロロブリジーダとしての活動とは反対に、大学生活は思うようにいかず、単位が足りず卒業できなかったため、留年を親に懇願。大学へ入学して5年目に入っていた。

「ドラァグクイーンの活動が楽しくなって、大学にはほとんど行ってなかったので、単位や卒業なんかのことはずっと見て見ぬふりをし続けて……どうにか1年留年させてもらったんですけど、これはもう無理だと思って、勝手に退学届を出したら通知が親に行って。母には泣かれましたねぇ」

 ところが海外赴任中の父親に代わってドリアンを叱った母親は、このときもその行動を否定しなかった。

「母にはものすごく怒られたんですけれど、怒られたのはその日だけ。翌日には『働いて、家にお金入れなさいよ』と言われて。そういうジメジメを引っ張らないのも、母に似ているところだと思います」

 なんとか新卒扱いで化粧品メーカーに入社し、二足の草鞋ならぬビジネスシューズとハイヒールの二足生活が始まるかと思いきや、社内で気になる男性と恋仲となり、同棲生活が始まった。

「大学生活がメタメタで終わったので人生立て直さないといけない時期だったし、彼がドラァグクイーン活動に肯定的な人ではなかったから、4年ほど女装をしませんでした。あそこでずっと女装を続けていたら、会社もすぐに辞めていたかもしれませんね。もし順当に大学を卒業してちょっといい会社になんか入っていたら、勘違いして、とても嫌なヤツになっていたと思うし、ドラァグクイーンもやらなかったかもしれない」

 出版社などへ出向いて商品PRのため駆けずり回ったり、マーケターとして売り出し方を考える毎日を過ごした経験は、今の活動の血肉になっているという。

「私は凡庸で、どこかで理性が働いてしまうタイプなんです。周りのドラァグクイーンの方たちはナチュラルボーンな才能をお持ちの方ばかりなので、つまらない私なんて本当に敵わない。

 なので会社員時代に培ったマーケター気質を発揮して、どうしたらいいのかを考え、ステージ上ではいつも頭はフル回転、毎回手を替え品を替え、口八丁手八丁でやっています。会社員時代だけじゃなくて、近所のグループとの出会いもそうだし、新宿二丁目で過ごした若いときも、女装しなかった期間も、すべてが今につながっているんです

 別れて同棲を解消してからは、ドリアン・ロロブリジーダとしての活動を再開、本格的にビジネスシューズとハイヒールの二足生活を送るようになる。

 またスッピン&タキシード姿で相棒のTADASHIと一緒に好きな歌を歌う歌謡ユニット「ふたりのビッグショー」を結成、活動の幅を広げていった。

 二足生活をスタートさせたドリアンが30歳になったばかりのころ、母親にがんが見つかった。

母への歌のプレゼント

 ドリアンは母親の話になると、思いが込み上げ、目が潤み始める。

「母とは一緒に美輪明宏さんのコンサートへ行って、2人で泣きながら帰ってきたり、ちあきなおみさんの映像を見たりしていました。映画『アナザー・カントリー』に出ていたゲイの俳優ルパート・エヴェレットも好きで、ゲイ的なものに対しての否定もなかった。

 たぶんね、私がゲイだってわかっていたと思うんです(笑)。そういえばあるとき、母から突然『あんたが結婚しようがしまいが、どこの国のどんな人を連れてこようが、それであんたがいいならいいよ』と言われたことがあって。それは今でも脳裏に残っています」

 最愛の母親は2015年、63歳で亡くなった。

「ステージ4のがんだとわかったときも、悲嘆にくれる姿は一切見せなかったんです。父の前では泣いたりしたのかもしれないけど、子どもたちに病気のことを告げるときも『結構ヘビーだよ〜?』みたいな明るい感じで。そういうところは本当に尊敬しますね」

 闘病中、何かできないかと考えたドリアンは、母親が好きな“歌”を贈ろうと考えた。

「亡くなる1か月ほど前、ふたりのビッグショーで実家近くのホールを貸し切って、『母に捧げるバラード』というコンサートをやったんです。歌は母からもらったものなので、それで感謝を表したいなと思って。お客さんは母をはじめ家族と親戚たちがホールの真ん中に座って、兄貴たちもステージに立ってくれて。

 それまでいろんな親不孝をしましたけど、あそこでひとつちゃんとできたから、母の死に対して悔いをあまり残さず済んだのかなって。今、思い返しても本当にやってよかったと思いますし、母からはいろんなことを受け継いでいる自覚があるので、死に対してネガティブな気持ちはないんです。今でも大きいステージに立つときは『母ちゃんがいたらな、見ていたらな……いや見てくれてるだろう!』と思っています」

“ドリアン”が広がった30代

 母の死で「これからは好きなことをしよう、やりたいようにしよう!」と決心、理性が働いて自身を制御してきたリミッターを外したことでドリアン・ロロブリジーダの存在が拡散、拡大したという30代を経て、間もなく節目となる40歳の誕生日を迎える。

「30代は本当にいろいろ、いいことも悪いこともありました。30代の初めに母の死があって、その1年後くらいに父が赴任先のタイの方と再婚することになり、そのタイミングで私の活動が家族の知ることとなってカミングアウトをするところになったりとゴタゴタが続きました」

 そのことについてドリアンの父親は「大学を中退したことに比べれば、カミングアウトしたのは全然ショックではなかった。それは僕が日本より多様性を認めている国に長く住んでいた、ということもあると思う」と話す。

「父は頭が堅い人間かと思っていたら、とてもさばけていて、スッと理解してくれたんです。タイでは周りにもたくさんいると言っていたし。勝手に見くびっていた自分が、恥ずかしくなりましたね」

 これ以降父親との距離が近くなったそうだ。

「自分が寝坊して家で慌てていたら、たまたま日本へ帰国していた父が『乗ってくか?』と車で送ってくれたことがあって。父は『昔このへんで母さんとデートしたぞ』なんてしゃべって、後部座席には必死にメイクしてる30過ぎの息子がいて(笑)。自分が思っていたより懐が深いことを感じて、尊敬するようになりました」

 2020年には会社を辞めてドラァグクイーン専業に。しかしその途端、コロナ禍に襲われた。

「外に出られなくなって、もともと決まっていた仕事も全部飛んじゃって、『さあ、どうしよう?』でしたね。とはいえ世界的に『どうしよう?』という時期だったので、逆に『さあ、今こそ私たちが世に一条の光を照らすわよ!』と。ネガティブな状況からポジティブなことを探し出すのは、わりと得意なほうなので!」

 2020年4月7日、東京、神奈川、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県に出された緊急事態宣言は、以降全国へと拡大していった。ドリアンは宣言が出る直前、パソコンに向かって昔のステージ映像を動画サイトへ載せる準備をしたり、ネット上でさまざまな人たちとのライブ配信を始めるなど、家でできることを試行錯誤したという。

「あのころは謎の使命感がありましたね。みんなコロナ禍だし、不安定だし、たぶん自分よりもっとしんどい目に遭っている人もいる……じゃあ、自分たちがやれるものをやろうって。

 でもそれが結果的に、世間にドリアン・ロロブリジーダを知っていただくきっかけになりました。コロナ禍でドリアンのYouTubeを見たよ、とおっしゃってくれる方がすごく多かったんですよ」

 2023年には映画『エゴイスト』に出演し、ドラァグクイーンではなくスッピン姿で主演の鈴木亮平の友人役を熱演。以降、俳優としても活躍している。

「『エゴイスト』の原作者の高山真さんはプライベートでも仲良くしていただいていたんですけど、映画化の前に亡くなって……。

 でも、まさか自分が出ると思っていなかったので、電話で出演依頼があったときは、『あの高山さんの!?』とビックリしすぎて、ベッドの上で立ち上がってしまったくらい(笑)。この作品は、私にとって大きなターニングポイントになりました」

思いもしなかった「結婚」

 36歳のとき、ドリアンにひとつの出会いがあった。

「私が不定期で開催している談話室ドリアンというバーがあるんですけど、彼はそこへ来てくれるようになったお客さんで。それ以前から存在は知っていて、可愛いなと思ってデートに誘ったんです。何度か会ううちに『若いのにしっかりした考えを持っているし、居心地もよいな』と思って、お付き合いしてくださいと伝えました」

 その彼こそ後に結婚することになる、現在ドリアンのネイルを担当しているネイリストのキラだった。

「正輝のことは八方不美人の活動で知っていて、物騒でおどろおどろしい歌を歌っているらしいと友達の間で話題になっていたんです。初対面の感想ですか? 圧が強い、声がデカいでした(笑)」

 キラはトランス男性のゲイ(女性として生まれたが心の性が男性で恋愛対象が男性)をSNSなどでオープンにしていたため、「物珍しさで誘われた?」と思ったそうだが、そうではないことに安心感を覚えたという。

「正輝は言葉にはしないんですけど、一緒にいることがうれしいと感じていることが伝わってきて。だんだん居心地がよくなってきて、一緒にいたいなと思ったのが始まりでした」

 ドリアンは付き合いが始まるとすぐに「いつごろ一緒に住もうか?」「ウチに来ない?」と同棲を提案してきたという。

「ちょっとまだ早くない?と言うと、『じゃあいつからがちょうどいい?』『一緒に住むために部屋をきれいにしたから安心して!』とめげずに言ってきて(笑)。気づいたら僕がすぐにでも入居できる状態になっていました」(キラ)

 付き合って2か月で同棲するようになったキラは、ドリアンの意外な面に驚くことになる。

「ドリアンのときはとても上品なんですけど、素の正輝はズボラで、全然気にしないタイプ。脱いだ靴がひっくり返っていたり、廊下に片方靴が落ちていたり、脱いだ服がそのままだったり……ホント、小学生男子みたいで。事前に聞いてはいたものの思っていた以上で、細かい性格の僕は最初『もー!』となっていました(笑)」(キラ)

 今では気になるところは話し合い、譲るところは譲って、2人なりのルールで生活をしているという。ドリアンの父親も「キラさんに出会う前、正輝の部屋は散らかり放題でしたが、その後は部屋をちゃんと片づけるようになった」と証言している。そして「部屋の散らかり具合はその人の生活や行動に影響してくるので、それがキラさんのおかげでちゃんとできるようになったことが今の正輝の活躍につながっていると思う。今後も正輝を支えてほしい」と言葉を続け、目を細める。

 これからもお互いにずっと一緒にいたいと考えていたとき、キラが戸籍の性別を変更していないことで「入籍できる」ことに気づいたというドリアン。キラは「付き合って2年目くらいから結婚についての話が出ていて、籍を入れるメリットとデメリットについて、お互いに考えたことを共有していました。僕の場合は婚姻届を出すと女性から男性に戸籍を変えられないという問題があったんですけど、自分たちにとって安心できることを優先させて、籍を入れました」と話す。

 ドリアンも「法律上の婚姻ができるとさまざまな社会保障が享受できるのに、何十年も連れ添っている同性パートナーたちが享受できないのはおかしい」と感じていたことが大きかったという。

「キラとは今後もずっと一緒にいたいし、いるだろうし、自分もそろそろ身体にガタがくる年頃だし、そういった中で同性婚ができない今、私たちが取れる最善の策として、2024年2月28日に籍を入れました。

それであんたがいいならいいよ』と母に言われていましたけど、まさかゲイの自分が結婚するとは思ってもみませんでした!」

 ドラァグクイーンで一本立ちしたころに受けたインタビューでは「目指せ、野垂れ死に!」と息巻いていたドリアンだが、「連れ合いができるとね、長生きしたくなっちゃう」と笑う。

「そのころは破天荒で無頼な存在を目指していたんですけど……下手すりゃ看取られたいなんて思う、つまんねぇヤツになったな、と。でもキラは14歳下なので、順当にいけば私が先にガタがくるから、おしめ替えてよね、なんて話をすると『いや、僕のほうが先』『いや俺だ!』なんて犬も食わない会話を家でしております(笑)」

人生に無駄はない!

 新たなチャレンジを続けるドリアンだが、休むのがとにかく下手なのだという。

「キラが『合わせて休もう』と言ってくれているので、それに合わせてスケジューリングするようになりました。ドリアンだと好きなことをやっているから、サラリーマン時代よりもストレスが少ないんですよ。だからあんまり気持ちが疲れないから、つい仕事しちゃうんでしょうね」

 キラは「とにかく本人が楽しんでやってくれたらいいと思う」と言うが、「仕事ができるのは健康な身体があるからなので、身体を大事にすることも仕事だと思ってほしい。そのために安らげる空間を自分もしっかりとつくっていきたい」と語る。

 またエスムラルダは「今、明らかに大きな波が来ているので、心身の健康に気をつけて、ご縁を大事にしつつ、行けるところまで行ってほしい。全力で走りつつ、40代のうちに自分なりの価値観や人生観を何となくでも確立することができれば、人生をより長く楽しめるようになると思う」とエールを送る。

 ドリアンもその言葉に「諸先輩方を見ていても40歳からの10年間が大切だなと思っていて、その後の方向性が決まるんだろうと考えているので、40代が楽しみなんです」とうなずく。

 今回の取材でこれまでの人生を振り返り、「改めて、挫折や失敗って人を強く、懐を深くさせるものだと思います」と言うドリアン。

「やっぱり道草や寄り道って、本当に人生を豊かにして彩りを添えてくれるなと思うので、私はこの人生で良かったなって思えるし、そう思うようにしています。過去は消えないですからね。だから自分が選択してきたことを正解にしないといけないな、って思うんです。人生に無駄はありません!」

 ドリアンの目標はキラと一緒に住むための家を建てることだという。そのため今後も新しいことにチャレンジし、さらに大きなステージへとステップアップしていくことだろう。

「それでは皆様ごきげんよう。ドリアン・ロロブリジーダでございました!」

<取材・文/成田 全>

なりた・たもつ


1971年生まれ。イベント制作、雑誌編集、マンガ編集などを経てフリー。幅広い分野を横断する知識をもとに、インタビューや書評を中心に執筆。「おしんナイト」実行委員。

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