アントニオ猪木が最期に会いたかった男 「人質解放の戦友」に遺した“最期のメッセージ”【報道の日2022】

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2024年12月17日 18:01  TBS NEWS DIG

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TBS NEWS DIG

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今年10月1日、アントニオ猪木氏が心不全で亡くなった。79歳だった。

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プロレスラーや政治家として広く国民に愛された猪木氏だが、亡くなる3か月前、体力が次第に衰えていく中、ある一人の男性を探し出し32年ぶりの再会を果たしていた。猪木氏のプライベートでの外出はこの日が最後だったそうだ。

「猪木さんは体調を悪くしているけど、もう一回会いたいと言ってくれたんです。戦友みたいに思って頂いたんじゃないかなと思います」ー

男性が、TBSテレビ系「報道の日2022」の取材に応じ、猪木氏との“最期の面会”について語った。

■“戦友”との32年ぶりの再会

記者:
32年ぶりの再会ということですが、どのような経緯だったのですか?

野崎和夫さん:
イラクで共に過ごした後、互いに忙しく会えない間に連絡先が分からなくなっていたんですね。そうしたら猪木さんが一生懸命探してくれたようで、関係者の方から連絡があって「猪木さんが、体調が悪いけれど、もう一度お会いしたいと言っている」と言ってくれて、私も「喜んで行きます」と答えて、32年ぶりに再会を果たすことが出来ました。

−面会が行われたのは、猪木氏が亡くなる約3か月前の7月11日。15分間の予定が1時間になるほど盛り上がったというー

■出会いは32年前 湾岸戦争直前のイラク

猪木氏が再会を望んだ男性の名前は野崎和夫さん(77)。2人の出会いは32年前、1990年9月イラクだった。

同年8月、イラクは石油資源を巡りクウェートに侵攻。日本人213人を人質に取り「人間の盾」とする事件を起こしていた。

日本政府が人質解放の糸口を見出せない中、現職の国会議員としてイラクに赴き人質救出に動いたのが猪木氏だった。そして、現地の日本人会の副会長として、人質救出に尽力していたのが伊藤忠商事の駐在員・野崎和夫さんだった。

猪木氏は人質解放に向けた一つの策として、イラクでスポーツや音楽による「平和の祭典」を開催するのだが、野崎さんは商社マンとして築いてきた独自のルートを駆使して協力したほか、時には通訳をするなどして猪木氏をバックアップ。猪木氏の良き理解者として人質解放のため奔走し、そこで親交を深めた。

■猪木氏の“密使” フセイン大統領宛の手紙

「平和の祭典」は大盛況で終わる。しかし、人質解放の糸口を見出せないまま猪木氏は帰国の日を迎えていた。

この日、猪木氏は一縷の望みをかけ、フセイン大統領宛の手紙を野崎さんに託す。
そして、手紙を受け取った野崎さんは、言わば“密使”としてフセイン大統領の側近に手紙を手渡すことになる。側近は「確かに渡します」とだけ答えたそうだが、この時、野崎さんは人質解放に向けた動きがあるのではないかと直感したという。そしてー

■人質事件発生から112日 全員解放

猪木氏のフセイン大統領宛の手紙が、人質解放の決め手となったのかは定かではないが、翌日、残されていた全ての人質が解放されることになる。
そして、人質達は猪木氏と共に帰国すると、日本で待つ家族等と再会を果たした。
この1か月後、湾岸戦争が開戦。まさにギリギリのタイミングだった。

■猪木氏と野崎氏 32年ぶりの再会

あれから32年−

難病「全身性アミロイドーシス」を患い闘病中の猪木氏は、プライベートでの最後の外出となった今年7月11日、都内のホテルで野崎さんと32年ぶりの再会を果たした。

■再会で猪木氏が語ったこと

記者:
猪木さんとはどのような話しをされたのでしょうか?

野崎さん:
もちろん、イラクでの人質解放の思い出話もしましたよ。猪木さんとイラクで一緒に過ごしたのはトータルでも1か月ないぐらいですけど、とにかく密度の濃い時間を共に過ごしました。人質解放に向けたイラク政府との一種の戦いですから、それで成果が出たということで猪木さんも私のことを戦友のように思って頂けていたんじゃないかと思います。人質解放が決まった後、猪木さんはイラク国民議会で演説もしているんですが、猪木さんに指名されて私も通訳を務めさせて頂きました。

他にも、今の日本の置かれている状況について話しました。猪木さんは「この頃、日本は平和ボケしている、もうちょっとしっかりしないといけない」というような話しもされていました。例えば、ある政党は「日本は専守防衛だから攻撃するような武器を持ってはいけない」と言うけれど、猪木さんは「馬鹿言いなさい、攻撃のない防御なんてあり得ないんだから、攻撃こそ最大の防御なんです。絶対に攻撃しないと分かったら、守りになりませんよ」と、そういう話しをしていました。

記者:
野崎さんは猪木さんをどのような人だと思っていますか?

野崎さん:
自分なりの信念をお持ちだし、やっぱり人に対する愛情や思いやりを強く持っている方ですね。それから物事をやり抜こうとする情熱、気迫がある。こういうものを持った人たちが国のリーダーの中からどんどん出てきてくれることを望みます。

■「生きる」 猪木氏から野崎氏への“最期のメッセージ”

記者:
猪木さんから最後、メッセージを頂いたそうですが・・・

野崎さん:
はい。もう力が入らないということで、ボールペンではなく筆で一編の詩を書いてくれました。猪木さんは「一生懸命書いたものなので、持って帰って下さい」って言ってくれました。

−猪木氏が野崎氏に伝えた詩−

「生きる」

花が咲こうと咲くまいと

生きていることが花なんだ

今、いくつもの年を重ね

川の岸辺に目をやると

きれいな大きな大きな

花が咲いている

今日も一日いくぞ

一、ニ、三、ダー

 79才アントニオ猪木

猪木氏は後日、面会の様子を自身のツイッターにあげ「イラク人質解放の一番の功労者だった 野崎さんと 30年ぶりの再会ができました」と喜びを語っている。

「燃える闘魂」アントニオ猪木。波乱に満ちながらも光り輝くその人生は、永遠に私達の心に刻まれることになるだろう。

「TBSテレビ 報道の日2022」
番組プロデューサー・中島哲平

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