浦和・宇賀神友弥が振り返る、埼玉スタジアムでのラストゲーム「あの時、見た夢は、ここに続いていたのかもしれない」

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2024年12月25日 10:01  webスポルティーバ

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引退インタビュー
宇賀神友弥(浦和レッズ)前編

 2024年12月8日、宇賀神友弥は15年に及ぶ選手生活に別れを告げた。

 試合後に埼玉スタジアムで行なわれた引退セレモニーでは、浦和レッズのアカデミーで育った彼らしく、アカデミーに在籍する子どもたちに見守られながらレッドカーペットを歩き、ステージに上がった。

「今シーズン、『引退しに浦和レッズに帰ってきたわけではない』と豪語して帰ってきましたが、チームの力になることができず、もどかしい日々を過ごしました。ただ、今、横で聞いてくれているチームメイトたちは、僕が日々100パーセントでプレーする姿を、背中を見続けてくれたと思っています」

 選手として過ごした最後の1日、そして引退スピーチにこめたメッセージについて聞いた。

   ※   ※   ※   ※   ※

── ホームの埼玉スタジアムで行われた引退セレモニーは、宇賀神選手らしさがあふれていました。あらためて15年に及ぶプロサッカー選手生活を終えた今の心境はいかがですか?

「本当にスッキリしています。一時は、選手を引退するかどうか、それとも来季も続けるのかどうかで悩んだ時期もありました。その期間は気持ち的にきつかっただけに、(引退を)決断してからは精神的にもスッキリしました。だから試合を終えて、あらためて(選手として)やりきったと思うことができました」

── アルビレックス新潟との最終節でメンバー入りすることがわかってからは、どのような思いで過ごしていましたか?

「できればスタメンで、(興梠)慎三くんや周ちゃん(西川周作)、原口(元気)、関根(貴大)といった、長い時間をともに過ごした選手たちと、一緒にプレーしたかったというのが本音です。でも、監督から事前に『スタートから試合に出ることはない』と言ってもらっていたので、いつもどおり準備しようと。

 また、クラブからチケットが完売しているという話も聞いていたので、ファン・サポーターで満杯になった埼玉スタジアムの記憶をたどり、またその環境でプレーできることにワクワクしていました」

【浦和レッズ最高だなって思いました】

── 試合前日の夜も、試合当日の朝も、すべてが選手として迎える最後になるわけですよね。

「まさに、そういう気持ちでした。だから、バスでスタジアムに向かう時も、ふだんだったらスマホで動画を見ながら過ごしていたのに、選手として、このバスに乗って、この景色を見るのは最後になるからと、この目に焼きつけようと思って、ずっと窓の外を眺めていました。

 試合後の会見でも質問がありましたけど、そのおかげで、家の外に僕と慎三くんのユニフォームが掲げられているのが目に飛び込んできて。そこでウルッときたというか。あらためて自分はみんなに応援してもらっていたんだなと、感じた瞬間でした。

 でも、埼玉スタジアムが見えてくると、自然と戦うスイッチが入ることも思い出したし、やっぱり身体が覚えているんですよね。すべてがグッとよみがえってくるような。そんな感覚でした」

── バスでスタジアム入りするのと同様、ウォーミングアップをするためにピッチへ踏み出した瞬間も?

「そこもグッときましたね。最高だなって。浦和レッズ最高だなって思いました」

── 実際、試合のピッチに立ったのは80分でした。その時も少し感傷的になりましたか?

「いや、原口がその前のフリーキックの時から怒鳴っていて、交代する時も怒っていたので、感傷に浸れるような状況ではなかったんですよね。ただ、交代する瞬間、そうした感情を押し殺しながらグッと抱きしめられた感じは、その力加減から、あいつなりに『がんばってこいよ』みたいな、メッセージや思いが伝わってきました」

── ハグの力強さも含め、頼もしい選手へと成長した後輩の姿を感じたのではないですか?

「引退セレモニーのスピーチでも言いましたけど、彼の浦和レッズに対する愛は、もしかしたら僕より強いかもしれない。このクラブを優勝させたいという思いや覚悟。そういう気持ちは頼もしいからこそ、今季のあいつのプレーのままではダメだと思う。

 それは本人が一番わかっていると思いますけど、僕は海外に行く前のすごかったドリブラー・原口元気を知っているからこそ、思っている以上に、お前はみんなの期待を背負っているんだぞということを言いたいですね」

【浦和レッズに必要なのは「これじゃん」】

── アディショナルタイムも含めて、プレーしたのは15分くらいだったと思いますが、表情が少年のように無邪気で、楽しそうに見えました。

「試合後、チュンくん(李忠成)に会った時も、『ピッチに入る時、うれしそうだったね』って言われました。自分ではそんなつもりはなかったんですけどね。自分としては0−0の状況だったので、とにかく試合に勝ちたいと思って必死でした。でも、周りから言われて、笑顔だったことを知りました」

── どんな15分間でしたか?

「試合前に多くの人から、『最後までウガらしく泥臭くやってきてね』と言われていたので、自分らしさはあらためて見せられたと思っています。

 プレーのことではないですが、一度、ブライアン(・リンセン)がプレスに行き、(長沼)洋一がそれに続けず、ふたりが少し口論する場面がありました。そこに(渡邊)凌磨が加わり、僕も加わって、お互いに意見をぶつけ合った時は、どこかうれしかったですね。試合中にチームメイト同士が意見をぶつけ合っている姿に、浦和レッズに必要なのは『これじゃん』って思えて。

 自分がピッチにいたことで、そうした議論が生まれたような気がしてうれしかった。同時に、浦和レッズというチームは『これでいいんだよ』って、あの一瞬に思いました」

── たしかに、誰かが一方的に意見を言うのではなく、お互いに思いをぶつけ合って解決しようとする姿に熱量を感じました。

「今季は特に、そうしたシーンがなかったように思うんですよね。本当に何気ない場面なんですけど、試合中のそうしたところに、自分自身も感じるところがありました」

── 引退セレモニーのスピーチでは、原口選手のほかに、チームを牽引していってほしい選手として関根選手、渡邊選手の名前を挙げていました。その思いについても聞かせてください。

「ほかのチームメイトや、外からチームを見ている人たちも言っているように、今の浦和レッズにはリーダーになりきれる選手がいないなかで、来季以降、誰がキャプテンにふさわしいのかと問われたら、僕は関根だなって思っています」

【関根貴大と渡邊凌磨に伝えたいこと】

── 関根選手のどういうところがキャプテンにふさわしいと。

「彼は、勝利に対する飢えや、自分が活躍することへの意欲がものすごく強い。そういう部分も含めて、キャプテンになって、自分だけではなく、もうひと回り大きなものを背負ってほしい。

 また、そうした覚悟を持ってチームを引っ張っていく存在にならなければいけないとも思うので、あの場で名前を挙げさせてもらいました。実際、僕もキャプテンをやった経験はないので、見えない重圧があるとは思います。でも、このクラブに対する愛が強い選手が、僕はキャプテンをやるべきだと思っているので」

── 渡邊凌磨選手については?

「この1年間、ほとんどの試合をスタンドから見ていましたけど、彼のプレーに、どれだけの覚悟を持ってこのクラブに来たかは表れていました。日ごろのトレーニングにおいても、自分に厳しく、周りにもレベルの高い要求をしているところも、ずっと見ていました。

 今はまだ、その熱量がひとり歩きしている時もあるように感じたので、凌磨には、ほかの選手を巻き込みつつ、チーム全体を引き上げ、チーム全体を見られるような選手になってほしいと思って、あえて名前を挙げさせてもらいました」

── 引退セレモニーで涙ぐむことはなく、アカデミーの選手たちに囲まれて、終始笑顔だったのが印象的でした。集合写真を撮る際には、子どもたちの距離感も近かったですよね。

「みんな、よそよそしく近寄ってくるのかなと思っていたら、あっという間に駆け寄ってきて、気がついたらもみくちゃになっていました。実は、ふざけて『おい、宇賀神!』って言われていたので、そこは一度、教育し直さないといけないですね(笑)。先輩だぞって(笑)」

── 浦和レッズのアカデミーで育った自分が、浦和レッズで選手としての最後を迎えられた幸せを感じたのではないですか?

「最終節の当日から、またLINEのメッセージがずっと50件くらい溜まっている状態なんですけど、返事が追いつかないくらい、いろいろな人から連絡をもらいました。それだけみんな、浦和レッズが大好きで、僕のことを応援してくれていたことがわかって、あらためてうれしかったですね。

 その多くが、『浦和レッズで引退してくれてよかった』『浦和レッズの選手として送り出してあげられてよかった』という言葉ばかりでした」

【浦和で引退しなければいけない人間だった】

── FC岐阜でキャリアを終えずによかったと。

「僕自身、2年間在籍したFC岐阜にも本当に感謝していて、昨季の終わりにはそこで選手を終えようと思っていました。当時は、自分がそこまで積み重ねてきたキャリアのなかで、それほど終わり方は重要ではないと考えていて、自分の気持ちが一番、大切だと思っていました。

 でも、引退した今、周りからのメッセージや、アカデミーの子どもたちの立ち居振る舞い、クラブが考えてくれた演出を見たら、宇賀神友弥という選手は、浦和レッズで引退しなければいけない人間だったんだなと思えました」

── 運命という言葉を使うとチープに聞こえるかもしれませんが、導かれていたのかもしれないですね。今季開幕前に話を聞かせてもらった時に、浦和レッズへの復帰に際して「浦和レッズの背番号35のユニフォームを着て、埼玉スタジアムでサポーターに向かって手を叩いている夢を見た」と聞いたことを思い出しました。もしかしたら......。

「そうか。あの時、見た夢は、ここに続いていたのかもしれないですね」

(つづく)

◆宇賀神友弥・中編>>「他人のプレーを心の底から喜んでいる自分がいた」


【profile】
宇賀神友弥(うがじん・ともや)
1988年3月23日生まれ、埼玉県戸田市出身。中学時代から浦和レッズの下部組織に所属し、流通経済大学を経て2010年に浦和に加入。1年目からサイドバックで頭角を表し、チームに欠かせぬ戦力として2021年まで12年間プレーする。2022年からFC岐阜で2年間プレーしたのち2024年に浦和へ戻り、シーズン終了後にユニフォームを脱いだ。日本代表歴は2017年のマリ戦で先発デビューを果たしている。ポジション=DF。身長172cm、体重71kg。

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