浦和・宇賀神友弥が引退を決意した瞬間「他人のプレーを心の底から喜んでいる自分がいた」

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2024年12月25日 10:20  webスポルティーバ

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引退インタビュー
宇賀神友弥(浦和レッズ)中編

◆宇賀神友弥・前編>>「あの時、見た夢は、ここに続いていたのかもしれない」

 宇賀神友弥は、2010年に浦和レッズでプロとしてのキャリアをスタートさせた。FC岐阜から復帰した今季こそリーグ戦2試合の出場だったが、チームが毎年のようにライバルを補強するなかで、10年以上もピッチに立ち続けられたのには理由がある。

 どのような成長曲線を描き、彼は浦和レッズが誇る屈指の左サイドバック、ウイングバックになっていったのか。選手としての宇賀神に目を向ける。

 その試行錯誤は、アドバイスを送った後輩たちが吸収し、伝統や財産になっていく──。

   ※   ※   ※   ※   ※

── 浦和レッズに復帰した今季、結果的に選手として過ごした最後の1年はリーグ戦2試合の出場でした。推察するに、苦しいことや悔しいことのほうが多かったシーズンだったと思いますが、思い返すとチームに何を残そうと思って取り組み続けてきたのでしょうか?

「浦和レッズで自分がたくさんの偉大な先輩たちから見せてもらった背中、姿勢、行動を、僕が次の世代に引き継がなければいけない。とにかく、その思いだけでした。

 それを多くのチームメイトが見てくれたと思っているし、最後にいろいろな選手が『ウガさんがいてくれてよかった』と言ってくれたのが、僕にとってはすべてでした。その言葉に、しっかりと先輩たちの思いを受け継ぎ、後輩たちに引き継ぐことができたと思うことができました」

── 今季、浦和レッズの選手たちに話を聞くと、多くの選手が、宇賀神選手からのアドバイスが変わるきっかけになったという言葉や成長するヒントをもらったと聞きました。

「それはうれしいですね。引退を発表してから、(小泉)佳穂は本気半分、冗談半分で、『持っているものをすべて落としていってください』と、毎日のように言っていましたから。

 あいつは特に『サッカー小僧』みたいなところがあって、最終節の数日前かな、『僕、サッカーがわかりました』と言って、練習の映像を引っ張り出してきて、僕に見せながら言ったんです。『ウガさんだったら、こうするだろうなと思ってやってみたら、自分のなかでつかめた感覚がありました』って。すごくうれしそうに『見て、見て』と映像を見せてくる姿が、本当に少年みたいでした(笑)」

【レッズを倒してやる気持ちしかなかった】

── 小泉選手以外には?

「(二田)理央も、年齢は離れていますけど、積極的に話を聞きに来てくれたひとりでした。練習後も『今日はウガさんをドリブルで抜きましたね』って、うれしそうに話してくれたのは、僕自身もうれしかった。

 きっと、彼らも、それを自分だけにとどめず、いつか『自分もこうしてもらったから』と思って、後輩に伝えていってくれると思うんです。それがきっと歴史であり、伝統になっていくんだと思っています。

 だから僕は、今まですごい先輩たちと出会ってきたので、それを次につなげたいという思いだけでした。最終節には(田中)達也さん(アルビレックス新潟アシスタントコーチ)も来てくれていました。本当は見に来る予定ではなかったらしいのですが、僕の最後の試合になるからと、その日の予定を終えて新潟から駆けつけてくれました。

 その達也さんを筆頭に、ヒラさん(平川忠亮)、鈴木啓太さん、阿部勇樹さん......名前を挙げたらキリがないレジェンドの人たちが、つないできてくれたものを、自分がまた次につなげることはできたかなと思っています」

── 浦和レッズでのキャリアについても思い出してもらいたいのですが、ジュニアユース、ユースを浦和レッズで過ごし、流通経済大学を経て2010年に浦和レッズでプロの一歩を踏み出した時は、どのような気持ちだったのでしょうか?

「浦和レッズへの加入が決まるまでは、ユースからトップチームに昇格できなかったことが悔しくて、本当に『浦和レッズを倒してやる』という気持ちしかなかったですね。冗談ではなく、本当に大宮アルディージャに入って、浦和レッズを見返してやるという気持ちだけで、サッカーを続けていました。

 その結果、浦和レッズに帰ってくることができて、それが決まった時には、『まずはこのクラブにタイトルをもたらして、絶対に恩返しするんだ』という気持ちに変わった。だから、プロ1年目から、自分が試合に出る・出ないではなく、とにかくタイトルをもたらす。その気持ちしかなかったですね」

【小野伸二に「キャリアも関係ないからな!」】

── ルーキーだった2010年は、J1リーグで26試合に出場して2得点という成績を残しています。振り返ると、どんな日々でしたか?

「先ほど話題に挙げた理央にも直接言っていたのですが、『まさにお前みたいな選手だった』と。ボールを持ったら、とにかく前みたいな(笑)。後ろのことなど気にせず、一瞬でも前を向けるスペースがあれば全部、仕掛けるような選手でした」

── まさに突貫小僧のような?

「そう(笑)。でも、関根(貴大)や原口(元気)も含めて、みんな若いころはそうでしたからね。先日、僕がルーキー時代、対戦した(小野)伸二さんに向かって『ピッチに立ったら名前もキャリアも関係ないからな!』って言ったことを思い出して、冷や汗をかいたくらい(苦笑)。でも、プレーも、それくらいの気持ちでした」

── そんな血気盛んな選手が、どうやって大人へと成長していったのでしょうか?

「ロビー(ロブソン・ポンテ)のような存在の選手が『お前、違うぞ』って諭してくれました。プロの世界なので、本来であれば見放すこともできるはずなのに、本当にロビーは毎日のようにバリカンを持って、僕のことを睨んでいた(笑)。だから、いまだにロビーは来日すると、バリカンを持った写真を僕に送ってくる(笑)。そうやって本気で、熱心に『違う』『そうじゃない』と言ってくれる先輩がほかにもたくさんいました。

 同時に、ロビーは絶対に僕のことを見捨てず、ずっと『お前はいずれ日本代表になれる』って言い続けてくれた。そうした先輩たちのおかげで、自分は少しずつ変わることができたと思うし、自分自身もこのままではいけないと思ったタイミングがあったことで、人として変わっていったように思います」

── 宇賀神選手は戦う姿勢やハードワークが特徴的でしたが、サイドバックやウイングバックとして自信を得たのはいつでしょうか?

「プロ1年目から自信はありましたが、2年目に勢いだけでJ1を戦うことはできない難しさを痛感しました。3年目のときにミシャ(ミハイロ・ペトロヴィッチ監督)が監督に就任して、まったく試合に出られない3カ月間を過ごし、そこから大きく成長を実感したのは、プロ4年目の2013年でした。

 ミシャに出会えたことは、『運も実力のうち』ではないですけど、僕の人生においては大きかった。あの人に出会えていなければ、こんなサッカー選手にはなれなかったと思っています」

【ミシャとの出会いで変わったサッカー観】

── サッカー選手としての人生を変えてくれたペトロヴィッチ監督との出会いによって、サッカー観はどのように変化していったのでしょうか?

「自分のポジショニングや動き出すタイミングによって、自分がボールを持っていない時でも周りを活かせることが、徐々にわかるようになりました。少しピッチを俯瞰で見られるような。

 この選手はこう動くから、こうしよう。この選手はこういうプレーが得意で、苦手だから、対戦相手も含めて当てはめてみて、こう対応してあげようとか。自分の手の届く範囲においては、まるで自分がコントロールしているかのような感覚を抱くことができるようになりました。

 そのうえで、ポイントでは自分も活躍しなければならないので、目立つところでは自分も目立つプレーを取捨選択できるようになっていったと思っています」

── 毎年のように同じサイドバックに新加入選手が加わりながら、試合に出続けられたのもそこに秘密がありそうです。

「先ほど言った、自分の手が届く範囲が少しずつ広がっていったように思います。また、浦和レッズに加入してくる選手の多くは、ほかのクラブですでに活躍していた選手たちなので、個々の能力が非常に高かった。そのなかで自分が生き残っていくために、そうした選手たちから何を学ばなければいけないのかも考えてきました。

 その選手は、どこが優れていて、どこを評価されて、浦和レッズに来ることになったのか。そこを分析して、自分にも落としこんでいく。また、新加入選手はどこかのタイミングで必ずチャンスがあるだけに、それがうまくいかなかった時に、自分が出たらうまくいったという結果を残すことも意識し続けてきました」

── 今、最後に言ってくれた「うまくいった結果」というのは、すごく大事なように思います。

「めちゃめちゃ大切だと思っていました。自分の経験をもとに、今季は若手選手とそうした話をたくさんしました。先ほど名前を挙げた佳穂とも。

『お前がボールを受けてから、うまいプレーをすることはみんな知っているよ』って。『でも、佳穂がいると、佳穂がボールを触っていなくても、チームはうまくいく領域には達してないよね』とも伝えました。そうなった時がチームは機能している時で、『お前のうまさを出すのは、その最後のところだ』とも伝えていました。

 僕には、佳穂はボールを触りたいがゆえに、すべての局面に顔を出そうとしているように見えたんです。でも、自分がパスコースから消えたとしても、ほかの人が生きて、その次で自分が関われればいい」

【小泉佳穂の成長が心からうれしかった】

── この話に、宇賀神選手のプレーの特徴や魅力、試合中の存在感がつまっている気がします。

「最終的に自分の頭のなかでイメージできていたことが、言語化できるようにもなりました。それをチームメイトと共有して、同じ絵を少しずつ見せてあげることができるようにもなったかなと。だからこそ、(第37節の)アビスパ福岡戦で、佳穂が久々に先発して見せてくれたプレーがうれしかったんです」

── それはアドバイスによるプレーの変化を感じたから?

「そうです。実際に福岡戦での佳穂のプレーは、今までとは少し違っていたことが見受けられてうれしかった。同時に、他人の活躍や他人のプレーを心の底から喜んでいる自分がいると知った時に、あらためて自分は引退だなって思いました」

(つづく)

◆宇賀神友弥・後編>>「自分は名将と言われる存在にはなれない」


【profile】
宇賀神友弥(うがじん・ともや)
1988年3月23日生まれ、埼玉県戸田市出身。中学時代から浦和レッズの下部組織に所属し、流通経済大学を経て2010年に浦和に加入。1年目からサイドバックで頭角を表し、チームに欠かせぬ戦力として2021年まで12年間プレーする。2022年からFC岐阜で2年間プレーしたのち2024年に浦和へ戻り、シーズン終了後にユニフォームを脱いだ。日本代表歴は2017年のマリ戦で先発デビューを果たしている。ポジション=DF。身長172cm、体重71kg。

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