2024年、デビュー27年を迎えた漫画家の小田原ドラゴン先生。そんな巨匠が24年9月より週プレNEWS(集英社)で新連載『堀田エボリューション』を開始! というわけで、小田原先生がどんな道のりを経て、本作品にたどり着いたのかをジックリ語っていきます。
新連載第3回はレンタルビデオ店の思い出を振り返ります。
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1990年、僕はアルバイトを辞め、途方に暮れていました。
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そりゃそうです。20歳の僕は高卒無職の自宅警備員で、恋人はおろか、遊ぶ友達すらひとりもいません。ましてや、この先、自分がどこに進みたいのか。向き合いたい世界はなんなのか。どこに手を伸ばせば、何をつかみ取れるのか。さっぱりわからない......。
孤独と絶望を抱えた20歳の僕の支えは、中古で買ったホンダの軽を深夜に運転することでした。しかし、アルバイトを辞め、収入が途絶えてしまったので......ガソリン代はゲームソフトやビデオデッキを売って工面していました。
ホンダのトゥデイを手に入れたばかりの頃は、深夜、暗闇をあてもなくさまよう感じでした。しかし、いつしか目的地に向かってトゥデイを走らせていた。その目的地のひとつが、レンタルビデオ店です。
ネットで簡単にエロ動画を目にできる令和とは違い、1990年はAV(アダルトビデオ)を見たくなったら、いちいちレンタルビデオ店に行くしかなかったんです。
僕はAVを物色している姿を知り合いに見られたくなかったので、自宅からクルマで1時間ほど走ったところにあるレンタルビデオ店にAVを借りに行っていました。
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今振り返ると、AVを借りるのは大変でした。というのも、当時の僕は童貞なので、少しでも気を緩めたら、棚に並ぶ刺激的なパッケージにやられ、ち●ちんが勃ちかねなかった。
もちろん、童貞にも尊厳はありますから、ちん●んを勃てながらAVを選ぶ姿など誰にも見せたくないわけです。だから僕は集中を切らさず、シッカリ理性を保ちながら、吟味に吟味を重ねてAVを選んでいました。
いざAVを借りるときは......無頼な男を気取ったもんです。要するに一般作にAVを挟み込むような姑息な真似はせず、胸を張って複数のAVをバーンとレジに出す。これが当時、レンタルビデオ店でAVを借りる際の僕の流儀でしたね。
こうして選び抜いたAVを抱え、トゥデイに戻ると、大仕事をやってやった感みたいなものが心に広がるんです。34年も前の話ですが、今もそのときの誇らしい気持ちが鮮やかによみがえるから不思議なものです。
《つづく》
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撮影/山本佳吾