日本は生産性が低い国と言われている。2023年の日本の1人当たり労働生産性(就業者1人当たりの付加価値)はOECD加盟38カ国中31位。主要先進7カ国で最低となっている。
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人手不足の中で、どのように効率的な働き方改革を進めるのか。労働集約型のホテル・旅館業で、ユニークな方法で労働生産性を高める取り組みを行っているのが、星野リゾート(長野県軽井沢町)だ。
伝統的に日本のホテル・旅館業では、各セクションで専門性を高めて、スペシャリストを育ててきた。例えば、フロントはフロント、レストランはレストランに専念することで、スキルを磨き、高いサービスを実現してきたのだ。つまり、究極までシングルタスクを追求することが最善とされてきた。
それに対して、星野リゾートでは、1990年代より、国内外の施設ごとにサービスチームを形成して、マルチタスクにチャレンジしてきた。つまり、1つのタスクではなく、フロントもレストランも横断的に複数のタスクをこなせる人材を育成してきたのだ。
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これにより、フレキシブルなシフトが可能になり、繁忙期の人手不足にも耐性が高い組織になっている。その成果や、働き方の実態を取材した。
●4つのタスクを身につける
星野リゾートでは、サービスチームのタスクは大きく4つに分類される。「客室清掃」「調理」「レストランサービス」「フロントサービス」だ。4つの枠に収まり切らないものもあるが、臨機応変に担当者を割り当てていく。
新入社員として入社すれば、新卒、キャリア採用にかかわらず、OJTにより、複数のタスクの習得を同時並行で進める。
タスクを一通りこなせるまでには、人によって習得のスピードは違ってくるが、概ね半年ほど掛かるという。
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調理の現場に、料理人以外の人が入って大丈夫かと思うかもしれない。もちろん、専任で調理業務を行うスタッフもいる。しかし、厨房では、材料を切ったり量ったり、調理する食材を個別に仕分けしたりと、専門に勉強してきた料理人でなくてもできるさまざまなことがある。そうした部分が、マルチタスクに組み込まれている
夕食の前には仕込み仕事をしていた人が、実際の夕食の時間にはレストランのスタッフとして顧客の案内や注文取り、配膳をしているケースもある。自分たちが参加して作った料理を、顧客の席にまで運ぶと、気持ちの入り方がそうでない場合とは全く違ってくる。
このような実践の積み重ねが、質の高いサービスを生んでいく。
料理を料理人のアンタッチャブルな専門分野にし過ぎないことが重要だというのが、星野リゾートの考えだ。
サービススタッフも厨房に入ることで、時には料理の盛り付けを変更してもらうように料理人にリクエストできる。逆に料理人からは顧客に苦手な食材があっても、調理の仕方で食べやすくなっていることを提案するように、サービススタッフに求めるといった取り組みが行われている。
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●ホテルや旅館業のオールラウンドプレーヤーになれる
「マルチタスクのメリットは、複数のタスクに従事することによって、顧客接点を増やせること。そこから得られる気付きをもとに、今の業務を改善したり、将来いらっしゃるお客さまに新しいサービスを提案したり、といったことにつなげている」と語るのは、同社・採用担当の鈴木麻里江氏。
星野リゾートに入社すれば、ホテル・旅館業の運営に必要なスキルを一通りこなせる、オールラウンドプレーヤーになれる。それが大きな魅力だ。施設全体として見た場合に、どのような運営がそれぞれの場面で行われているか。各自が理解することで、全体的な視野を持って、業務に携われる。自ずと社員の経営に対する参加意識が高くなってくる。
宿泊施設では、顧客が24時間、さまざまな動きをするので、その行動に合わせて対応し、シフトを組んでいくことになる。例えば、朝、チェックアウトする人が多い時間帯には、フロントに人を集中。その後は、客室清掃に集中させるなど、シフト担当者が施設の刻々と変化するニーズに合わせて、配置を決めていくのだ。
●マルチタスクの効果は?
実質的なマルチタスクの効果として、星野リゾートの各施設で提供されている多くのサービスが、トップダウンではなく、サービススタッフによって考案されていることが挙げられる。
星野リゾートでは、社員の提案により、大半の新しいサービスが始まっている。
サービススタッフは、施設のある地域に暮らしているので、地域の人でしか分からないようなディープな魅力を発見して、それを新たな観光サービスに反映させる取り組みが日々行われている。
典型的な例として挙げられるのは、青森県十和田市の「奥入瀬渓流ホテル」で提供されている「苔」にまつわるサービスだ。中でも「苔さんぽ」は、ルーペやスマートフォンのレンズで奥入瀬川流域の苔を観察して歩く、人気のアクティビティだ。2014年から行っている。
同ホテルの渓流コンシェルジュである丹羽裕之氏は、奥入瀬渓流の景観が、約300種と豊富な種類が生育する苔がもたらしていることに気付いた。実は、2013年には日本蘚苔類学会によって「日本の貴重なコケの森」の1つに奥入瀬渓流が選ばれ、2014年には日本蘚苔類学会43回大会が、青森県で初めて奥入瀬渓流ホテルで開催されている。
最初は、渓流を目当てに観光に来る人に苔さんぽを推奨しても、参加者はごくわずか。星野佳路代表すら、よく理解できなかったという。しかし、丹羽氏は、ルーペを通して見る苔のバラエティに富んだ形状の面白さ、苔から見た生態系の変容のダイナミズムを、自ら深く研究して説き続けた。その結果、苔さんぽは人気アクティビティに成長した。
今では、奥入瀬渓流ホテルに「苔スイートルーム」という、本物の苔を使い、苔に包まれているかのような客室まである。館内パブリックエリアには、幅8.5メートルの「苔アートウォール」を設置。苔玉そっくりな外見の「苔玉アイス」も、ラウンジで販売している。
苔観光は顧客の期待を超える、奥入瀬渓流ホテルのメインコンテンツとして、スポットライトを浴びるまでに成長した。
●意思決定の主体は各施設なので「本社」がない
このようなフラットな組織の働き方と表裏一体のものとして、星野リゾートには「本社」という概念がない。
星野リゾートは、長野県の軽井沢町が創業の地であり、本拠地でもある。その意味での本社は存在する。また、運営する施設が増えるに従って、東京にも拠点を設ける必要性が高まり、銀座にオフィスを構えている。そこでは、各施設で行うよりも、一拠点でまとめて行った方が効率的な情報システム、財務管理、一部の採用活動などの業務を行っている。
各施設の総支配人を中心とするサービスチームは、自らの施設の収益性、顧客満足度向上に責任を負っている。
「本社」という言葉から連想するのは、意思決定の主体がそこにあり、そこで決められたことを、各施設が履行する組織体制だ。
ところが、星野リゾートでは、意思決定の主体が各施設にあって、サービスチームが主体性を持って自律的に運営に携わっているのだ。その意味で「本社」が存在していない。
●大学1年生に内定を出すのは「青田買い」か?
星野リゾートの働き方改革で、直近で話題になったのは、2024年10月に始まった、学年を問わず選考に参加できる、大学の1年生からでも内定を出す取り組みだ。「青田買いではないのか」といった批判も一部にあった。
しかし、真の目的は、1年生から採用の内定を出すことではなく、学生がどのタイミングで進路を決めるのか、主体的に選択できる自由を提供しているという。
最近は就職活動を始める時期がどんどん早まり、大学2年の夏から動き始める人も増えている。それなら1年生からでも、ニーズはあるはずだ。いつでも、学生が就職したいとの考えが固まった時点で、星野リゾートとしては会う準備がある。
新たな採用方式に対して、想定した以上の反響があったが、既にユニクロのファーストリテイリングなどでは始まっているので、今後一般化していくのかもしれない。
鈴木氏自身も、星野リゾートに入社して、沖縄県西表島の「西表島ホテル」、福島県磐梯町の「磐梯山温泉ホテル」など、これまで訪れたことがなかった場所の宿泊施設で働いた。その土地の特徴的な植生、食文化などを勉強し、顧客に感動をいかに伝えるか、勉強の日々だったという。
星野リゾートが目指す働き方改革は、必要な人員を必要な場所にという、トヨタ式のかんばん方式、ジャストインタイムの考えに近い側面がある。それに加えて、各施設のサービスチームに所属する個々人が、ルーティーンワークを超えて、全体的視野から新しいサービスを生み出す、モチベーションを高める場となっていることに独自性がある。
(長浜淳之介)
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