秋篠宮さま「娘は一所懸命取り組んでいる」2024年、佳子さまの活躍とワンピースに込められた“決意”

1

2025年01月05日 21:00  週刊女性PRIME

  • 限定公開( 1 )

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

週刊女性PRIME

佳子さま

「手話のみならず、いろいろなところから声をかけていただいて公的な活動の幅が広がっていると思います。私から見て娘はそれ一つひとつ非常に大切に、そして一所懸命取り組んでいると思っております」

佳子さまの仕事ぶり

 昨年11月25日、59歳の誕生日を迎える前に行われた記者会見で秋篠宮さまは、次女、佳子さまの1年間の仕事ぶりをこのように高く評価したが、2024年の佳子さまは忙しかった。

 新しい年が明けたばかりの元日の午後、石川県の能登地方は巨大な地震に見舞われ、多くの死傷者が出た。1月22日、東京都内で開催された「聴覚障害児を育てたお母さんをたたえる会」に出席した佳子さまは、手話を交えて、「能登半島地震により亡くなられた方々に深く哀悼の意を表しますとともに、大切な方を亡くされた方々、被災された方々に心からお見舞い申し上げます」と挨拶した。

 4月12日、佳子さまは東京都渋谷区にある明治神宮を訪れた。明治神宮には佳子さまの先祖である、明治天皇と、后の昭憲皇太后が神として祀られている。昨年は、昭憲皇太后が亡くなって110年にあたることから、佳子さまが参拝した。

 天皇、皇后両陛下主催の春の園遊会が4月23日、東京・元赤坂の赤坂御苑で開かれ、両陛下の長女、愛子さまが初めて参加した。この園遊会で佳子さまは、初参加で緊張している愛子さまを気遣い、優しく何度も声をかけるなどして、頼りになるお姉さんぶりが話題となった。

 5月25日から6月1日までは、ギリシャを公式訪問した。両国の外交関係樹立125周年などにあたり、ギリシャ政府から招待されたもので、大統領を表敬訪問し、首都アテネのパルテノン神殿や国立ろう者施設などを視察した。

 まじめな性格である佳子さまは、訪問前、かなり熱心に準備に取り組んだ。訪問先では、明るい笑顔と華やかなルックス、それに加えて思いやりあふれるやさしいしぐさで多くのギリシャ国民を魅了した。

 10月、佐賀県で開催された「国民スポーツ大会(旧国民体育大会)」総合閉会式に出席し、男女総合優勝した東京都代表に天皇杯を、女子総合優勝した同じく東京都代表に皇后杯を手渡した。天皇、皇后両陛下主催の秋の園遊会が10月30日、東京・元赤坂の赤坂御苑で開かれ、パリ五輪の金メダリストや各界の功労者など約1400人が出席した。

 この日、女性皇族は和装だったが、振り袖姿の若い佳子さまと愛子さまは、特に華やかで、出席者たちから大いに注目された。11月5日、天皇、皇后両陛下は、文化勲章受章者と文化功労者を皇居・宮殿に招き、茶会を催した。

 佳子さまと愛子さまも出席したが、この場でも2人の活躍ぶりが話題となり、週刊誌やネット報道などで大きく取り上げられた。佳子さまと愛子さま、という20代の女性皇族の活躍が目立った年でもあったと思う。

秋篠宮さまの誕生日当日

《秋篠宮邸が建つ場所にかつてあった、表町御殿(旧秩父宮邸)の門や建物、庭園、池などの写真をご覧になり、殿下が建物や庭園などの移り変わりについて紹介されながら皆様でお話しになり、往時に思いをはせておられました。写真をご覧になった後、皆様でお庭にお出ましになり、池のほとりからかつて表町御殿が建っていた場所や、当時とほとんど変わらない池をご覧になりながら、お話しになっていました》

 11月30日の秋篠宮さまの誕生日当日、発表された家族写真と一緒に、宮内庁皇嗣職の前述のような説明が綴られていた。秩父宮雍仁親王(1902―1953年)は、大正天皇と貞明皇后との間に生まれた。昭和天皇の1歳下の弟で、高松宮さまや三笠宮さまの兄となる。勢津子妃と結婚し、戦前、今の秋篠宮邸のある場所に表町御殿という豪壮なヨーロッパの城のような洋館、秩父宮邸が建てられ、そこに暮らしていた。

 敗戦の年の1945年5月25日夜、この連載で以前、紹介したように米軍爆撃機のB29による空襲で三笠宮邸などと同じく秩父宮邸も焼失した。ラグビーやスキー、あるいは登山などの振興に尽力し、「スポーツの宮さま」「山の宮さま」として生前、国民に親しまれた。ラグビーの聖地と呼ばれる秩父宮ラグビー場は、秩父宮さまのこうした業績を偲んで名づけられた。

 宮内庁の説明を読むと、秋篠宮邸の周囲には当時の遺構などがあるようだ。佳子さまや悠仁さまという若い皇族たちと一緒に、過ぎ去った昔に思いをはせ、秩父宮さまや勢津子さまの業績や人となりを、これを機会に勉強することになれば、それはとてもよいことだと思う。秩父宮さまの幼少時代のエピソードを紹介してみよう。ご自身の随筆『思い出の明治』の中の「少年時代の兄上(昭和天皇、筆者注)」から引用する。

《ねだらなくても珍しい玩具は次から次と降ってくるし、まわりの人々は僕の「ご機嫌」をそこなわないように面白く遊ばしてくれるのだから、このめぐまれた環境の日々には満足していたことだろう。もっとも、このころは友達とてはなく、比較すべき対象がなかったのだから、幸福とか不幸とか、あるいは自由とか束縛とかの観念は存在するはずがない。

 しかし「お相手」と称する人々ができ、さらに小学校に通うようになって、同年輩の友達と自分とを比較する機会が多くなるにつけ、目に見えない何かの力に縛られている「宮様」の生活に対し、子供心にもなんとなく不満を感じ出したのも自然のことといわねばなるまい。あるとき、兄上とこんなことを話し合ったのであった。

「質素が好き、だけど身分があるから困るね」

「そうなの、不自由なんですもの。花屋敷(東京・浅草にある遊園地、筆者注)なんどへ行かれないんですもの」

 自由や不自由、それに束縛などという言葉が出てくる。皇族を取り巻く環境は、昭和天皇や秩父宮さまが育った明治、大正時代とは大きく変わったかもしれないが、根本的な部分は似ていて、佳子さまたちもあるいは同じような悩みを抱えているのかもしれない。

 父親の誕生日写真の佳子さまは、目が覚めるような鮮やかなブルーのワンピース姿だった。それがとても似合っていて、「来年も頑張ろう」という佳子さまの決意を、私は感じた。昨年の12月29日に30歳となった佳子さまは、今年もまた、攻めると思う。

<文/江森敬治>

えもり・けいじ 1956年生まれ。1980年、毎日新聞社に入社。社会部宮内庁担当記者、編集委員などを経て退社後、現在はジャーナリスト。著書に『秋篠宮』(小学館)、『美智子さまの気品』(主婦と生活社)など

    前日のランキングへ

    ニュース設定