SNSで、全身の毛が抜け落ちる全身脱毛症であることを公表し、自分と同じ「ヘアロス」の人に向けてウィッグやメイクに関する動画を発信する葉月さん。発症した時は自ら命を絶とうとするほど思い詰めていたが、奮起して就職。脱毛症の自分を受け入れながら、結婚、出産を経てポジティブな発信を続けている。そんな葉月さんの復活ストーリーを教えてもらった。
全身の毛が抜け自ら命を絶とうと…
「厳しい両親に育てられ、幼少期から自分に自信が持てず10代から過食症に苦しんでいました。19歳でニューヨークの大学に留学しましたが、在学中にうつ病を発症。休学して帰国するも過食症とうつ病は悪化し、4年間実家にひきこもっていました。そんな中、ソファに寝転がってふと頭を触ると頭皮にツルッとした感触があって。母親に見てもらうと十円ハゲが見つかったんです。26歳の時でした」
近所の皮膚科クリニックで診てもらうと、円形脱毛症と診断され、塗り薬と飲み薬を処方されたが脱毛は止まらなかった。
「十円玉大だったハゲが五百円玉大になり、数も増え、つながっていって……。お風呂で髪を洗うと毛が束になって抜けるんです。それが本当につらくて耐え切れず、ある時思い切って残った髪をすべて剃りました。人生で一番悲しい瞬間で涙が止まらなかったです」(葉月さん、以下同)
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3か月後には頭髪だけでなく、眉毛やまつげなど全身の毛が抜け落ちた。
「通院していた皮膚科で、うちではもう無理だからと市内の大学病院を紹介されました。円形脱毛症にはいくつか種類があって、私の場合は円形の脱毛部が1か所ある単発型から徐々に悪化して、全身の毛が抜けてしまう汎発性脱毛症(全身脱毛症)になってしまった。円形脱毛症は自己免疫疾患の一種ですが、正確な原因は不明で、治療も簡単ではなく長期間に及びます」
転院先で患部に液体窒素を塗布する治療や、紫外線を照射する治療を受けたが、うつで外出がつらく数回しか通えなかったのもあってか、回復は見込めなかった。
うつ病と過食症の症状も残るなか、全身の毛を失ったことで自殺を図ったことも。
「つらすぎて当時の記憶は曖昧なんです。ただ、どん底の中でずっと惨めな自分のままでいるのは嫌だ!と強く思って。底まで落ちたらあとは這い上がるしかないんですよね。それから奮起し、就活を開始。ひきこもり生活でビーズアクセサリーを手作りしていた経験が生きてか、数か月後にはジュエリー会社に就職できました」
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「髪がない」はかわいそうではない
ひきこもりから脱出し、社会復帰を果たした葉月さん。その陰には両親や友人など、周囲の理解と温かいサポートがあった。
「厳しい親を恨んだ時もありましたが、愛情をたくさん注いでもらったのも確か。それが私の心の強さの源にもなっていて。脱毛症になった時も両親は私を受け入れ、変に気を使わず、支えてくれたのでありがたかった。もし、“かわいそうな娘”として扱われていたら立ち直れなかったと思います」
両親は外出に困らないよう、ウィッグやメイクの面でもサポートしてくれた。
「母親に誘われて大手ウィッグ店へ行き、人毛と人工毛がミックスされた25万円のウィッグを購入。当時は情報も少なく、有名なウィッグ店しか知らないのもありましたが、こんなに高いのかと。また、父親が買ってきてくれたメイク本を見ながら眉を描く練習もしました。でも夕方になると眉が消えてしまったり、友達と写真を撮ってもメイクが不自然で嫌になったりと落ち込んでばかりでした。たまたまプロのメイクさんに教わる機会にも恵まれ、少しずつ上達していきました」
職場にも事前に知らせたほうが働きやすいと思い、面接時に脱毛症とウィッグのことを伝えた。
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「普通に受け入れてくれて、嫌な思いもほとんどしたことがないので恵まれていると思います。一度だけ『あら、かわいそうね』と言われて心がチクッとしましたが……」
発症から2年たったころ、順天堂大学に脱毛外来があると知り、治療を再開。大量のステロイドを投与するステロイドパルス治療と、免疫を抑制するサドベ治療を提案されたが、顔がむくむステロイドの副作用を受け入れられず、サドベ治療を選択した。
「1年半治療を受けましたが、白髪が数本生えただけで効果はほとんどなくて。医師に発症から1年以内に治療を受けないと予後が悪いと聞き後悔しましたが、半数の人は治療を受けても良くならないと言う名医もいて、今となっては現状を受け入れてます」
2022年には広範囲の円形脱毛症に有効な飲み薬が初めて登場したが、葉月さんは服用していない。
「今の自分を発信することに満足していますし、薬価も高額で長期間飲み続けるのは、経済的にも負担になるので。髪のない自分を受け入れ、それを生かしたおしゃれができるようになったのも大きい。髪がない=かわいそうという世間のイメージを少しでも払拭できればと。ただ、勇気はすごくいりますが、後悔がないよう、脱毛症になったらすぐ専門外来へ行き、治療を受けてほしいと思います」
ありのままの発信が誰かの救いになれば
30代に入るとうつ病や過食症も少しずつよくなり、38歳で結婚。翌年には男の子を出産した。
「夫には3回目のデートで脱毛症のことを話しました。『そんなこと心配しなくていいよ』って、すぐに次のデートにも誘ってくれて。過去にも男性に打ち明けたことはありましたが、夫のように受け入れて安心させてくれた人はいなかったです」
出産を機にパートに転職し、これから何を目指そうかと考えていた時にSNSでの発信を思いつく。
「20年近く脱毛症とともに生きてきて、自分なりに習得してきたメイクやウィッグの情報をヘアロスで困っている人に届けたら役に立てるかもしれないと思いたって。2020年にインスタグラムのアカウントを開設しました」
その中で自分も有益な情報をたくさんもらえると気づき、多くの人に還元したいと思うようになったそう。
「今では数千円で買える可愛いウィッグや、自然な金髪やカラーのウィッグもあると知って驚いて。それに、『眉毛の描き方が上手すぎる』など、ポジティブなコメントもたくさんもらって自信につながりました。眉毛シールやウィッグは、私らしいおしゃれを後押ししてくれる、かけがえのない相棒です」
それからはYouTubeや、ヘアロスの人に向けたポータルサイトも開設し、積極的に発信を続けている。
「抗がん剤の副作用で起こる脱毛など、誰にでもヘアロスになる可能性はある。それでも人生は楽しめるし、おしゃれもできるんだということを、これからもSNSを通じて伝えていきたいです」
<取材・文/井上真規子>