箱根駅伝 駒澤大・佐藤圭汰、復活の区間新の舞台裏「9月の時点では絶望しかなかった」

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2025年01月07日 06:50  webスポルティーバ

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【4月と9月、同じところを二度もケガ】

 第101回箱根駅伝、復路7区のスタート前――。

 駒澤大の佐藤圭汰(3年)は、同じ区間を走る中央大の岡田開成(1年)と親しげに短く言葉を交わしていた。ともに洛南高校出身で佐藤が2学年上の先輩。お互いの健闘を誓い合ったのだろう。

 佐藤は、18秒先にタスキをもらった岡田に5km手前で追いつくと、徐々にその差を広げていった。前を行く青山学院大を懸命に追い、中継所で4分7秒あった差を、12km手前にある二宮の計測ポイントでは3分16秒まで詰めた。運営管理車にいた藤田敦史監督は7区起用がハマったと感じたという。

「最初、(3区を走った)谷中(晴、1年)の調子がそれほど良くないのもあり、圭汰を3区、7区のどちらで起用するのか迷ったんです。その際、どちらの区間のほうがアドバンテージを得られるのかを考えました。3区は圭汰でもそれほど差がつかないが、7区なら差がつきますし、復路でもう1回チャンスを作れることになる。谷中も復調したので、戦略的に圭汰を7区に置いたんです」

 佐藤はその後もペースをほぼ落とさずに快走。トップの青学大との差を1分40秒にまで縮める走りを見せた。藤田監督は「ここで追い上げムードができた」と佐藤の走りを絶賛した。

「圭汰は本来、7区を走るような選手ではなく、2区、3区を走る選手。そういう選手が7区に入れば、区間記録を1分近く更新するくらいの走りをしてもおかしくはないです。ただ、それをわかっていてもできないのがこの競技なんですが、いとも簡単にやってのけるあいつはやっぱりすごいですよ」

 6区を走り、佐藤にタスキをつないだ伊藤蒼唯(3年)は、「(佐藤本来の走りは)まだこんなもんじゃないですよ」と笑った。

「僕が6区で青学に負けてしまったなか、圭汰が勢いをつけてくれて、しかも区間新記録じゃないですか。ずっと故障していて、2カ月でここまでもってくるのが、圭汰のすごさを表していると思いますし、チームメイトとして心強いですね」

 佐藤は昨年4月に恥骨の疲労骨折が判明し、戦列を離れた。歩きでも痛みが出ることがあり、走ることはほぼ不可能だった。筋力を落とさないための補強を行ないつつ、治療に努め、6月には回復した。だが、練習を始め、いい状態に戻りつつあった9月に同じ箇所を痛めてしまった。

「その時はもう絶望しなかったです。競技に復帰できるのかどうかわからない状態になってしまいましたし、もう走れなくなってしまうんじゃないかという怖さもありました」

【箱根復路当日の状態は70%ぐらい】

 駅伝シーズンに入り、出雲駅伝や全日本大学駅伝など大事なレースを控えている時期でもある。篠原倖太朗(4年)と並ぶエースである佐藤にかかる期待は大きく、自分自身もそれを理解していたはず。そういう時期のケガの再発は、どれほど大きな精神的ダメージを与えただろう。ただし、佐藤はひるまなかった。ケガが起きた理由を徹底的に探った。

「同じところを二度もケガしたというのは、根本的な問題があると思ったんです。自分のフォームを見てもらって、ケガをした原因として、(尻回りの)殿筋あたりの筋肉が弱いというのがわかったんです。そこを鍛えつつ、足の接地(の仕方)を変えて、腕振りも以前は右腕をダイナミックに振っていたんですけど、コンパクトにしてバランスよく振るようにしたんです。その結果、ラクにスピードを出せるフォームになりました。いろんな人の力を借りて改善することができたので、ケガをする前よりも成長できたと思います」

 とはいえ、走れない状況でそうした地道なトレーニングを続けていたわけで、不安が頭のなかを駆け巡ることも多かった。そんななか、彼に復帰に向けてのモチベーションを保たせたのは、周囲の人やチームメイトからの励ましと、世界のトップレベルの選手たちの動画だった。

「世界のトップ選手へのあこがれが自分を強くしてくれたと思っています。自分は(パリ五輪の5000ⅿ金メダリストである)ノルウェーのヤコブ(・インゲブリクトセン)選手が好きなので、その選手が活躍している世界陸上とかの動画を見ていました。自分もこういう選手になりたいし、ケガしたからといって腐っていたらこういう選手になれないので、がんばってやるしかないとモチベーションを維持していました」

 11月には本格的な練習を再開し、1月3日、なんとか7区のスタートラインに立った。2カ月の突貫工事で箱根に間に合わせてきたため、いくらポテンシャルの高い佐藤といえども、スタート前は少なからず不安と緊張があった。

「状態は70%ぐらいで、20kmも走れるのかなという思いもあったんですが、往路が終わった時、(6区の)伊藤と『自分たちでいい流れを作らないといけない』という話をしたんです。もう覚悟を決めて、絶対にやってやるという気持ちで走り出しました。ただ、練習不足のせいか、18km過ぎからペースが上がらなくなって......。10カ月ぶりの実戦だったので、最後はきつかったですね」

 それでも、約10カ月ぶりのレースで異次元のタイムをたたき出した。第96回大会で明治大の阿部弘輝(現・住友電工)が出した1時間01分40秒の区間記録を57秒も更新する1時間00分43秒の区間新記録を樹立し、チームを勢いづけた。この区間新は今後、エースレベルが走らない限り、そう簡単にやぶられることはないだろう。他校にあらためて「佐藤、強し」と思わせたことも含めて、非常にインパクトが大きい走りだった。

【パリ五輪不出場の悔しさを東京の世界陸上で晴らす】

 駒澤大はそのまま2位の座をキープし、復路優勝を果たしたものの、佐藤は優勝した青学大との差を痛感した。

「順位を2位に押し上げることができたのはいいですけど、優勝を目標にしていたので、勝てなかった悔しさはあります。青学大は個々が強く、往路復路で区間新や区間賞を何人も取っています。自分たちはそのレベルで走っている選手が少ないので、今回箱根を走った1、2年生が現状に満足せず、もっと強い選手になれるように努力して、しっかりと区間賞を取れるぐらいにレベルアップしないといけない。あと、出雲、全日本を走れたのに箱根を走れていない選手もいるので、距離への不安を解消しつつ、基礎的なレベルも上げていかないといけないですね」

 1月4日には駒澤大の新体制がスタートし、山川拓馬(3年)がキャプテンになった。

「次は、自分や帰山(侑大)、山川、伊藤ら新4年生がひとつになってチームをまとめていくことになりますが、自分は篠原さんのように競技以外の面でもみんなの士気を上げるとか、そういうのがあまり得意じゃないので、走りで引っ張っていきたいです」

 佐藤は今年上半期の大きな目標として、東京2025世界陸上への出場を掲げている。駒澤大OBの田澤廉(トヨタ自動車)がそうしたように、これから世陸が終わるまでは個人種目に集中していく予定だ。

「パリ五輪に出られなかった悔しさを東京の世陸で晴らしたいと思っているので、2月からはスピード練習を入れていきます。まずは世陸への出場権を得られるように、参加標準記録(5000ⅿは13分01秒)をクリアして日本記録を破り、12分台を出していきたい。そのためには1500mや3000mも大事になってきますが、それらの種目でも日本記録を出して、5000mにつないで、世陸でいい走りができればと思います。世陸が終われば気持ちを切り替えて、最後の箱根をしっかり走りたいですね」

 佐藤にとっては苦しいシーズンだったが、意味のある1年間だったのではないだろうか。二度もケガを経験し、新しいフォームを身につけ、箱根の7区で結果を出した。ようやく心技体が整い始め、学生ラストシーズンでは個人種目、駅伝ともに爆発しそうな気配を漂わせる。

 第102回箱根駅伝、はたして佐藤はどこを走り、どんな走りを見せれてくれるのだろうか。

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