「批判」から「感謝・信頼」へ=東日本、能登で変化実感―阪神大震災派遣の自衛隊員

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2025年01月13日 07:31  時事通信社

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資料を見ながら阪神大震災を振り返る山本晃大1等陸曹=2024年12月、兵庫県伊丹市の陸上自衛隊伊丹駐屯地
 阪神大震災の被災地に派遣され、その後、東日本大震災や能登半島地震でも活動した現職の自衛隊員らは、自衛隊を取り巻く環境の変化を実感している。

 「激しく揺れ、真っ暗に。何が起きたか分からなかった」と30年前を振り返るのは、陸上自衛隊第36普通科連隊の山本晃大1曹(53)。今と同じ伊丹駐屯地(兵庫県伊丹市)勤務だったが、捜索救助に出て、変わり果てた町並みに言葉を失った。入隊5年目で「これが自分の仕事か」と痛感したといい、「命じられた区域に向かう途中、助けを求める声全てに応じられないのがつらかった」と話す。

 当時は自衛隊への風当たりも強く、「何しに来た」「なぜ自衛隊がここにいる」と不審がられることも。制服を嫌がられたり、理不尽な文句を言われたりもしたという。しかし、その後に派遣された東日本や能登の被災地では、状況が大きく変わっていた。「今は被災者に『やっと来てくれた』『安心した』と歓迎される。被災地で活動する自衛隊の姿に憧れて入隊した若者もいる」と顔をほころばせた。

 当時入隊7年目だった中村勇1曹(53)は、陸自今津駐屯地(滋賀県高島市)からヘリコプターで神戸市に入った。不明者捜索で初めて遺体を目にし、「申し訳ないと思いながらも直視できず、毛布を掛けて作業した」と明かす。その経験が糧になったといい、「東日本ではより悲惨な現場でも冷静に行動できた。若手にも精神面でアドバイスしている」と説明する。

 乏しかった救難救助用の機材も今では充実し、ボランティアや行政との連携も進むなど「活動しやすくなった」と語る。能登半島地震では被災者のニーズを聞き取って物資を配布するなど、きめ細かい支援に取り組んだ。

 「渋滞で車両が立ち往生した阪神と違い、『頑張って』とトラックに道を譲ってもらえる。感謝の声と期待を裏切らないよう任務に取り組みたい」と気を引き締めた。 

取材に応じる中村勇1等陸曹=2024年12月、滋賀県高島市の陸上自衛隊今津駐屯地
取材に応じる中村勇1等陸曹=2024年12月、滋賀県高島市の陸上自衛隊今津駐屯地

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  • 友人に元自衛隊員の方がいます。定年退職後は学校の用務員をやっていそうですが、手先が器用な方で頼まれごとを嫌な顔をすることなくこなしているのだとか。
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