中学卒業後に15歳で社会へ。40代で超富裕層になった「みんなと合わせられない」男性の衝撃の半生

1

2025年01月16日 16:01  日刊SPA!

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

日刊SPA!

長原さん(42歳)
野村総合研究所の定義としては、純金融資産額が5億円以上の世帯が「超富裕層」とされているが、2021年に行われた調査の結果では9万世帯と意外に多い。にもかかわらず、その実態はあまり知られていない。
40代にして超富裕層に上り詰めた長原さん(42歳)。中学卒業後すぐに社会へ飛び出し、多岐にわたるビジネスを手掛け、一代で財を成した。

今回は、彼の成功の軌跡と、型破りな人生哲学に迫る。

◆15歳で社会へ「みんなと授業を受けるのが苦痛」

長原さんが社会に出たのは、中学を卒業したばかりの15歳だったという。

「地元である富山の喫茶店で、朝5時からモーニング営業が終了する9時まで働いて、その後はインド料理屋のランチタイムで11時〜15時まで働いていました。 そこは日本人が僕しかいなかったので、 初心者だけど受け入れてくれたんです。夜にはバーで22時まで働いていました」

高校への入学は考えなかったのだろうか。

「実は高校に入学はしていたんです。でも、みんなに合わせて授業を受けるのが苦痛で……。中学からあまり学校に行っていなくて、 たまに行くのは彼女に会う時だけ(笑)。母は『好きなようにしたらいいよ』と言ってくれましたね」

高校は中退したものの、大学への進学を諦めたわけではなかったそうだ。というのも、 長原さんの父親は叙勲されるほどの大物官僚で、防衛大学校への進学を望んでいたのだとか。

「16歳で大検をとっても、18歳まで待たないと大学に入れないんです。だから、18歳になるまでは働こうと思いました」

この「大検を取るまで」と始めた新しい仕事で、とんでもない成果を残すことになったのだとか……。

◆16歳で始めた携帯電話の販売「バイト先の客に営業、飛び込み営業も」

「携帯電話の販売を業務委託でするようになったんです。

当時は携帯が珍しかったから、ホームセンターに飛び込み営業をしたり、インド料理屋に来るお客さんのお店に無料で置かせてもらうように交渉したり、バーに来るお客さんに『携帯変えませんか?』と営業したりしていました」

この商売が非常にうまくいったという。しかし、その矢先に名古屋で一人暮らしを開始。せっかく築き上げた富山での地盤を、なぜ捨てたのだろうか。

「父はとても厳格な性格で、早く家を出たかったんです。父も母も公務員なので、性格がすごく合うというわけではありませんでした」

名古屋でも選んだのは、携帯電話の販売。好成績を叩き出していくうちに、徐々に業務委託の内容が変わってきたのだとか。

「代理販売の会社から 『赤字店舗をどうにかしてくれ』という依頼が舞い込むようになったんです。 店舗のポップを外に貼るようにさせたり、夜も電気をつけさせたり、 業務改善のアドバイスが中心になっていきました。

そのうちに他にも何社かから業務委託の話を受けるようになって、『 代理店から仕事をもらうより、自分で会社を作った方が儲かるのでは?』と気付いて、17歳で合資会社を作りました」

1台あたり約3万円のリターンで、1ヶ月で100台を売って、月300万円を稼ぐまでになったという。

◆20歳で専門学校に入るも「みんなと合わせられない」

携帯電話の仕事を続けつつ、20歳になると、専門学校「資格の大原」に通い始めたそうだ。しかし、ここでも周囲に合わせることができなかったと語る。

「やっぱり、授業を一緒に受けられないんです。先生に『 じゃあ、今からみんなで問題を解きましょう』と指示されても、15分くらいで終わっちゃう。『みんなに合わせて、こんなくだらない授業を60分も受けるなんて……』って考えていました。

先生にお願いして、 テストだけ受けて、自分のペースで勉強させてもらいました。簿記1級も取れたし、大検も取れました」

勉強仲間を作ってモチベーションを維持する者もいるが、長原さんは「学校でも専門学校でも、友達は作らなかった」と断言する。

「お金がもらえないのに、人間関係に縛られるなんて嫌だなと思っていたんです」

何事にも縛られない長原さんは、携帯電話に限らず、次々と新しいビジネスに挑戦していった。

「ニュースを見ていてひらめいたバイアグラの個人輸入、iMacの購入をきっかけに知ったパチンコ攻略法、テレビの有料チャンネルが日本に進出するためのパラボラアンテナ販売、ネットワークビジネスで流行っていたプロポリスの通常販売……。稼げそうなものは何でもやりました」

ネットワークビジネス(マルチ商法)に加担していた、という意味だろうか?

「ネットワークビジネスって、中にはいいものもあるんです。 ネットワークビジネスの商品を見ていたら、プロポリスが流行っていたから、普通に買いたい人に向けて売ろうと思い立ちました。 注文が入ってから仕入れて売ればいいから、在庫を持つ必要もありませんしね」

飲食業の中の “ナイトレジャー産業”にも進出し、数々の店舗の経営にも携わったそうだ。しかし、これが富山へ戻るきっかけになったと話す。

「20歳の時、名古屋のお店から駐車場まで歩いている途中に、いきなりガラス瓶で後ろから殴られたんです。僕はみかじめ料を払わなかったから、 反社会的勢力の人たちの怒りを買っていました。当時、界隈でみかじめ料を払っていないお店は僕だけ。オープンしたら火炎瓶を投げ込まれたり、嫌がらせをされたりしていました。

いきなりガラス瓶で殴られたことは2度もあって、僕のことを両親は心配していました。身の危険も感じるし、そろそろ地元に戻ろうと思い立ったんです」

またしても、せっかく築き上げた事業を手放すことになるわけだが、抵抗はなかったのだろうか。

「当時はドコモはドコモショップ、auはauショップと、キャリアごとの専売制が確立されてしまったんです。加盟店になるには資本金1億円が必要で、あの頃の僕にはそんなお金はなかった。 それに正直言って、もう携帯ビジネスの終わりが見えていました。どこにいても仕事はできるし、抵抗はなかったです」

◆21歳で再び富山へ。新しいビジネスに挑戦

21歳で地元に戻ってからは、ナイトレジャー産業の他に、新たに不動産ビジネスを始めたそうだ。

「 きっかけは、空きテナントを有効活用したい大家さんと知り合ったことでした。『3〜4か月、家賃を無料にするから、何かやってくれない?』と頼まれたんです。 そこから、空きテナントや後継者の問題を抱えた人たちが、相談に来るようになりました。業種は美容業と飲食店が多いですね。

例えば美容室の経営者で70代の方から『俺は引退したいけど、スタッフさんたちはまだまだ40代で働きたいと思ってるみたいだ。 後継者を探してしてくれないか』と相談されたり、美容室のスタッフから『 経営者が突然亡くなって困っているんだけど、 誰か経営してくれる人を探してくれないか』と相談を受けたこともありました。

美容業も飲食店も経営が難しく、“3年で9割が潰れる”と言われています。 だから、この手の依頼は次々と舞い込んできますね」

また、今でもナイトレジャー産業は続けているという。

「直営店は1店舗のみですが、出資している店舗は100店舗を超えています。顧問契約という形で、福岡をはじめ全国各地から『出資してほしい』と依頼が舞い込んでくるんです。1店舗あたり5万円の顧問料で、500店舗くらい契約しているんじゃないかな」

◆型破りな人生から学ぶ「みんなに合わせなくてもいい」

長原さんの成功を支えているのは「みんなに合わせない。自分で考えて行動する」という価値観なのだとか。

そんな彼のSNSでは、超富裕層にもかかわらず、ファミレスで家族と過ごしている投稿が多い。「成功した要因として、自己顕示欲がないことも関係しているのでは?」と尋ねた筆者に対して、彼は答えた。

「そうですね、 自己顕示欲は全くありません。会社の役員にも入らないようにしています。専門の業者を使って、自分の名前が出てこないようにするんです。SNSで顔を載せると『ブサイクは顔を載せるな』ってアンチからすぐに連絡が来るから、自己顕示欲なんてあってもいいことないです(笑)」

次はどんな新しい事業を始めようとしているのかを聞くと、「本当はもう、引退したいんですよ。でも相談を受けると、ついつい引き受けちゃうんですよね……」と笑いながら答えてくれた。その型破りな人生は、これからも続いていくのだろう。

——中学卒業後、15歳で社会に出て、様々なビジネスを経験してきた長原さん。その型破りな人生は、常識にとらわれない生き方の可能性を示している。

自ら道を切り開いてきた彼の生き様は、「みんなと合わせられない」と息苦しさを抱えている人にとって、新たな視点と勇気を与えてくれるだろう。

<取材・文/綾部まと>

―[超富裕層の生活]―

【綾部まと】
ライター、作家。主に金融や恋愛について執筆。メガバンク法人営業・経済メディアで働いた経験から、金融女子の観点で記事を寄稿。趣味はサウナ。X(旧Twitter):@yel_ranunculus、note:@happymother

このニュースに関するつぶやき

  • ま一つ言えるのは、フツーのサラリーマンで富裕層に達するのは簡単ではないと思う。自分もそういう立場になれたのは、資産運用がうまく行ったからに過ぎない。
    • イイネ!0
    • コメント 1件

つぶやき一覧へ(1件)

前日のランキングへ

ニュース設定