【平成の名力士列伝:妙義龍】「テッポウ」と「母校の道場」を原点に度重なる試練を乗り越えた大相撲人生

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2025年01月18日 07:30  webスポルティーバ

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連載・平成の名力士列伝28:妙義龍

平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、大ケガ等の試練の連続にも独自の押し相撲で乗り越えてきた妙義龍を紹介する。

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【相撲人生の原点であり続けた埼玉栄高の道場】

 強豪・埼玉栄高から日本体育大を経て、幕下15枚目格付け出しで角界入り。大相撲の世界でも3場所連続を含む技能賞を6回受賞し、金星も6個獲得。関脇を通算8場所務めるなど、輝かしい実績を残した妙義龍は、経歴を振り返れば、まさしく"相撲エリート"だが、その足跡は順風満帆とは真逆の、試練に次ぐ試練の連続であった。

 小2から相撲を始めたが、小学生時代は全国大会には出場できず、兵庫県予選で敗退。中学時代も全く無名の存在だった。名門の埼玉栄高に進学したが、同級生の豪栄道が1年生からレギュラーで活躍したのに対し、自身がコンスタントに試合に出場するようになるのは3年生になってから。それまではレギュラー陣が稽古をする土俵の傍らで四股、テッポウ、腕立て伏せといった基礎運動に黙々と打ち込む日々だった。

 山田道紀監督からは入部早々「テッポウで日本一になれ」と言われた。当時はその真意もよくわからずに手の皮が剥け、血が滲んでも一心不乱に鉄砲柱を打ち続けた。

「高校時代の自分はテッポウで強くなったようなものです」と本人が語っている。高3の高校総体では団体優勝に貢献し、個人戦では高校横綱に輝いた澤井(豪栄道)に次ぐ2位となった。のちの妙義龍の礎は、埼玉栄の道場で築かれたのだった。

 日体大時代は5個のタイトルを獲得すると平成21(2009)年5月場所、プロデビューを果たす。

 入門後は所要4場所で関取に昇進するが、新十両場所2日目に左膝前十字靭帯損傷の重傷を負い、入門早々に力士生活は突然、暗転した。翌場所から3場所連続休場で番付は急降下。いきなりの挫折で不安ばかりが募ったが、前を向くことができたのは、約半年間に及ぶ母校・埼玉栄高でのリハビリ生活のおかげだった。

 序二段も近い三段目94枚目から土俵復帰を果たすと(平成22/2010年9月場所)、破竹の勢いで番付を駆け上がり、平成23(2011)年11月場所は新入幕で10勝をマーク。翌場所は9勝で初の三賞となる技能賞を獲得した。

 膝がしっかり曲がった低い体勢のままで相手を一気に押し込む速攻の押し相撲は、妙義龍独特のスタイルだ。異様に盛り上がったふくらはぎは、鍛錬に鍛錬を重ねた下半身強化の証でもあった。入幕4場所目から3場所連続技能賞を獲得。アスリート然とした男によって、従来の押し相撲のイメージは一新されたと言っても過言ではなかった。

【満身創痍からの度重なる復活劇】

 一躍、大関候補にも名乗りを上げたが、その後は右わき腹の負傷、左目網膜剥離の手術を受けるなど、困難が待ち受けていた。平成27(2015)年3月場所で小結に返り咲くと5場所連続で三役に在位したが、その座を明け渡すとなかなか三役復帰はならず、平成29(2017)年5月場所限りで34場所連続で守ってきた幕内の座も手放すことになった。

 同年11月場所、3場所ぶりとなる再入幕場所でもさらなる逆境が待っていた。6勝3敗と勝ち越しペースから4連敗。左膝の半月板損傷で残り2日を休場し、再び十両転落の憂き目に遭った。松葉杖が手放せない状態で、すぐさま患部の内視鏡手術を受けた。1週間後に退院するが、まともに歩くことすらできなかった。

「こんな状態で相撲が取れるのか」

 不安や焦りで気持ちが圧し潰されそうになると思い出すのが、無心で鉄砲柱に向かっていた高校時代の強くなる前の自身の姿だった。

「あの時のテッポウが自分の原点です」

 力士になっても幾度となく埼玉栄の道場を訪れていたのは、リハビリだけが目的ではなく、原点に立ち返るためでもあった。

「テッポウを打って、振り向いたら鏡があって、それを見ながら『ちょっとは体が大きくなったかな』とか思いながら、またテッポウを打つ。自分が高校生の時とまったく変わらない場所にすべてが当時のまま、あるんです。それがすごく懐かしい」

 現役バリバリの力士が間近でリハビリに励む姿は、高校生部員にとっても大きな刺激になっていたが、妙義龍も、ひたむきに稽古に打ち込む部員たちからパワーをもらっていたという。

「ただトレーニングするだけだったら、近所のジムでやればいい。車で何十分もかけて、敢えてそこでやることに意味があったんです」

 十両に陥落した場所は10勝を挙げて十両優勝し、1場所で幕内に返り咲くと、平成31(2019)年1月場所でおよそ3年ぶりに三役復帰。令和3(2021)年9月場所では千秋楽まで新横綱・照ノ富士と優勝を争い、11勝で実に49場所ぶりの三賞となる6度目の技能賞を獲得し、35歳を目前にして復活を遂げた。

 令和6(2024)年9月場所後、37歳で引退を表明。何度も脚光を浴びてきた一方で、キャリアの大半はケガを負うたびに、原点に立ち返ってこれを克服するという地道な作業の繰り返しでもあった。それでも最後は「ケガが多かったので、ケガに負けない気持ちでやってきた。まさかこの年までできるとは思わなかった。幸せな土俵生活でした」と、満面の笑みで力士人生を締めくくった。

【Profile】妙義龍泰成(みょうぎりゅう・やすなり)/昭和61(1986)年10月22日生まれ、兵庫県高砂市出身/本名:宮本泰成/しこ名履歴:宮本→妙義龍/所属:境川部屋/初土俵:平成21(2009)年5月場所/引退場所:令和6(2024)年9月場所/最高位:関脇

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