大阪市の大動脈、御堂筋の「淡路町3」交差点を西へ折れてしばらく歩いたら、路上に忽然と現れる鳥居。Googleマップには「御霊神社南鳥居」と表記されているが、鳥居の向こうは駐車場があるだけ。駐車場になる前は、ある企業の自社ビルが建っていたそうだ。初めて訪れる人には、きっとインパクト抜群の光景に見えるだろう。
神社の入口ではない場所に、なぜ鳥居だけがポツンとあるのか。由来を調べてみた。
明治時代に地元有志らによって建立された
鳥居の北側にある駐車場を挟んで「御霊(ごりょう)神社」がある。駐車場になっている土地も、かつては御霊神社の境内だったのではないか?
御霊神社に問い合わせると、江戸時代の境内は現在より広かったという。また神仏習合の時代だったため、神社の敷地内に「宝城寺」という寺が併設されていた。時代が変わり、明治政府の神仏分離令により寺の敷地が切り離された。
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だから鳥居だけが取り残されたのかと納得しかけたが、そうではないという。御霊神社によると「鳥居は明治になってから建てられたものですが、当時から神社の所有ではありません」とのこと。
鳥居が神社のものではないとは、どういうことだろう。
「神仏分離令によって廃止されたお寺の土地は、国に没収されたそうです」とのことだが、それを裏付ける史料はないという。
鳥居に関して分かっていることは、1884(明治17)年に参道の入口に地元の有志らによって建てられた鳥居が、今も「南鳥居」として残っていることだけだそうだ。たしかに柱の裏面には、「明治十七年三月建之」と刻まれている。また、鳥居の建立に携わった人たちだろうか、「発起」2人、「献主」(献は旧字体)12人の名も刻まれていた。
今は誰が鳥居を管理しているの?
140年前に地元有志らによって建てられた鳥居は、当時もそれ以降も、御霊神社の所有になったことがない。ならば現在は誰が、あるいはどこが所有または管理しているのだろうか。
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まずは中央区役所へ問い合わせてみた。メールで届いた返事には「伝聞にはなりますが神仏習合時代の寺院にあった鳥居とお聞きしております。その後廃仏毀釈により鳥居だけが残ったと聞いておりますが、その寺院がどうなったのか、また鳥居の所有権につきましても大阪市におきましては把握しておりません」とあった。
先述した通り、鳥居には「明治17年」に建てられたことが刻まれているから「神仏習合時代の寺院にあった鳥居」という情報は誤りだと分かる。
鳥居は道路上にあるため、この地域を管轄する東警察署にも問い合わせてみたが、明確な情報は得られなかった。
今となっては「昔からそこに鳥居があること」が当たり前になっていて、地元の人たちが代々引き継いで守り続けてきたのだろうと想像できる。
もし真相をご存じの方がおられたら、ぜひご一報いただきたい。
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(まいどなニュース特約・平藤 清刀)