南雄太のプロGK生活〜光と影の26年 「20代は勘違いしていた。30歳で戦力外通告を受けて気づいた」

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2025年01月22日 07:10  webスポルティーバ

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 26年にもおよぶプロキャリアに終止符を打った南雄太が、昨年12月21日に大宮アルディージャの本拠地NACK5スタジアム大宮で開催した引退試合で、自らの花道を飾った。

 プロ入り前の1997年、高校3年生にしてU-20日本代表の正GKに抜擢され、ワールドユース(現U-20ワールドカップ)マレーシア大会でベスト8進出に貢献。2年後のワールドユース・ナイジェリア大会では準優勝という歴史的快挙を成し遂げた南にとって、四半世紀以上(1998年〜2023年)も続いた長い現役生活はいかなるものだったのか。

 光と影が交錯した自身のキャリアについて、包み隠さず語ってくれた。

   ※   ※   ※   ※   ※

── 先日の引退試合は、最後まで飽きることなく楽しませていただきました。サッカー人生の節目とも言える引退試合を終えて、どのように感じていますか?

「めちゃくちゃ楽しかったというのが、一番ですね。いろいろな人から楽しかったよって言われたことが何よりですし、とてもいい人生経験になりました。

 ただ、引退試合をやると決まってからの準備期間はとても大変でした。もちろん自分の引退試合なので自分が一番がんばらなければいけないことはわかっていましたが、それこそスポンサーを集めることから出場してもらう選手への声がけもして、そのうえで興行としての収支も考えなければいけないので、プレッシャーでしかなかったです(笑)。

 とにかく、無事に終えることができたのも、協力していただいた方々や来場してくれたファンのおかげなので、みなさんには本当に感謝しています」

── GKの引退試合は日本で初めてのことでした。90分を終えたあとにPK戦をやってくれたことがとても斬新で、そこにGKのこだわりみたいなものを感じました。

「やっぱりGKが一番目立てるのはPKだと思ったのでトライしましたが、あれもやらせなしの真剣勝負だったので、1本も止められなかったらどうしようかと、かなりプレッシャーを感じていました。結果的に、最後にカズさん(三浦知良)のPKを止めることができて個人的にいい思い出になりましたし、お客さんが喜んでくれたのでよかったです」

【中3はバスケしかしていなかった】

── GKの引退試合として、今後のお手本になるかもしれませんね。そんなGKとしてのキャリアを最後までまっとうした南さんですが、今日はご自身のキャリアを振り返っていただきたいと思います。

 南さんと言えば、静岡学園の1年生GKとして高校選手権で優勝して一躍脚光を浴び、高校3年生の時には飛び級でU-20日本代表の正GKとなってワールドユースに出場。まさに鳴り物入りで柏レイソルに入団という、まさにエリート中のエリートでした。

「いや、僕のなかではエリートという感覚はなかったですよ。そもそも中学時代は試合に出たことがありませんでしたし、中学3年の時はほとんど練習にも行かず、バスケットボールしかしていませんでしたから(笑)。高校に進学する時もサッカーかバスケットボールか、どちらを選ぶのか真剣に悩んだほどで、静岡学園のセレクションに受かっていなかったらサッカーをしていなかったかもしれません」

── とはいえ、高校1年生の時に正GKとして日本一になりました。わずか1年で急成長できたのはなぜですか?

「運がよかったんだと思います。静岡学園の井田(勝通)監督が下の学年の選手を積極的に起用する指導者だったこともあり、夏のインターハイの県予選で負けたあと、突然『お前が出ろ』って言われて練習試合に出て、それから正GKになりました。当時の静岡学園はめちゃくちゃ強くてほとんど負けることがなかったので、そのまま冬の選手権を迎えたという感じでしたね」

── そうは言っても、実力がなければ年代別の日本代表に選ばれることはないと思います。当時はどのあたりを評価されていたと感じていましたか?

「自分ではよくわかりませんが、ひとつ確かなことは、静岡学園にブラジル人のGKコーチがいたことが大きかったですね。当時はGKコーチがいる高校がほとんどないなか、僕は3年間GK専門のコーチの下でGK練習をすることができたので、ほかの高校のGKと大きな差が生まれたんだと思います。それも含めて、環境に恵まれていました。

 あとは運がよかったのもありますね。レイソルでも1年目に西野(朗)監督が僕を抜擢してくれたんですが、その背景には人間関係があったのではないかと思っていて、それは高校1年生の時も同じような経験をした記憶があります。そういう意味で、実力以外の部分でものすごく運がよかったというか、恵まれた境遇にあったと思っています」

【レイソル時代は練習が大嫌いだった】

── ひとつ聞きたかったのは、将来の日本代表正GK最有力候補と言われた南さんが、シドニー五輪予選のあたりから調子を落として、そのまま日本代表から遠ざかったしまったことです。あの頃にいったい何があったのか、教えていただけますか?

「完全に勘違いしていたんです。周りからチヤホヤされて、ふわふわしてしまったというか、その環境にどっぷり浸かってしまいました。物事がうまくいきすぎて、まったく努力をしなくなっていたというのが、当時の僕でした。

 そうこうしているうちに、周りの同年代の選手は海外などにも行ってどんどん活躍しているのに、僕はレイソルでJ2に降格したりして、うまくいかないことがずっと続いて、焦りばかりが先行するようになっていました。20代半ばの頃は、どうしたらいいのかわからないままサッカーをしていたのを覚えています。

 そんななかでも、矢印を自分に向けられなくて、監督に使ってもらえなければ他人のせいにして、結局、そんな状態のまま30歳を迎えた時にレイソルから戦力外通告をされてしまった。そこで、ようやく自分の問題に気づきましたね」

── 南さんが調子を崩した背景には、そんなことがあったんですね。

「ただ、レイソルとの契約が終わった時に、それに気づいたことで変わることができました。それからは、自分のキャリアはいつ終わるかわからないと思うようになり、練習も100パーセントでやるようになって、朝6時半から夕方4時頃まで練習場にいるようになりました。

 レイソル時代は練習が大嫌いで居残り練習なんかしたこともなく、練習の30分前にグラウンドに来て、終わったらすぐに着替えて帰ってしまうような選手でした。筋トレもしませんでしたし、ケガをしても面倒だからと言ってまともに治療もしない。たぶん、ロアッソ熊本時代以降に僕を知った人は、想像もつかないと思いますよ(笑)。

 ただ、今はレイソル時代の経験があったからこそ、その後に長くプレーすることができたと思っています。もしあのままレイソルにいて気づかないままだったら、おそらく30代前半で引退していたんじゃないかと思うので、そういう意味でも、いろいろ気づかせてくれたレイソルにも感謝しています」

【高校生にいつも言っていること】

── その後の努力があったからこそ、あの経験がよかったと言えるんでしょうね。

「先のことを考えなくなったのもよかったと思います。若い頃は日本代表とか、海外移籍とかワールドカップとか、大きな目標ばかりにとらわれすぎて、今自分がやらなければいけないことにフォーカスできなかった。ただ、熊本に行ってからは目の前のことを必死にやるようになって、気づいたら44歳まで現役生活を続けることができた。自分のキャリアを振り返る時に、今はそう思えるようになりましたね」

── 現在は横浜FCのアカデミースクールで次世代のGKを指導しているほか、流経柏(流通経済大学付属柏高校)でもGKコーチを務めています。プロ選手時代の経験が指導にも役立ちそうですね。

「すでに、めちゃくちゃ役に立っています(笑)。自分の若い頃を棚に上げて、悔いのないように一日一日を大事にしないとあとで後悔するぞ、と高校生にも言っています。でもそれは、自分が経験したことだからこそ言えると思うので、若い子を指導していて、やっぱり自分がプロ選手を経験していてよかったと思えることが多いですね」

── 最後に、これからプロを目指すGKに指導者としてアドバイスをお願いします。

「今指導している高校生にもよく言うんですけど、たとえばGKは10回同じシチュエーションがあったら、サボることなく10回とも同じようにポジションを取らなければいけないので、1回1回のプレーにこだわれるかどうかが大事だということ。ということは、練習の1本1本をどれくらいきちんとできるか、ということに行きつくわけです。

 だから、毎日の練習で1本1本にこだわれない選手は絶対にいいGKにはなれない、ということを伝えたいですね。10回のうち1回でもサボってしまうと、試合の大事な場面で1本に泣いてしまうことになり、結局は自分が後悔することになります。

 僕は、若い頃にそれができなかったからダメになってしまった。早い段階でそれに気づいていればって思っているので、これからもそのことは伝えていきたいと思います」


【profile】
南雄太(みなみ・ゆうた)
1979年9月30日生まれ、東京都杉並区出身。静岡学園時代に高校選手権で優勝し、1998年に柏レイソルへ加入。柏の守護神として長年ゴールを守り続け、2010年以降はロアッソ熊本→横浜FC→大宮アルディージャと渡り歩いて2023年に現役を引退。1997年と1999年のワールドユースに出場し、2001年にはA代表にも選出された。現在は解説業のかたわら、横浜FCのサッカースクールや流通経済大柏高、FCグラシオン東葛でGKコーチを務めている。ポジション=GK。身長185cm。

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