2004年のイチロー〜シーズン262安打に隠された真実(後編)
野球が生まれた19世紀、讃えられたのはライナー性の速い打球だった。そもそも原っぱで生まれた野球に"柵越えのホームラン"は存在しなかった。スピードこそが野球の醍醐味だったのだ。
ところが、ベーブ・ルースの登場で野球が劇的に変わる。ボールを遠くへ飛ばす──時が止まるホームランの魅力に野球好きは惹きつけられた。1920年、ニューヨークのルースは 54本のホームランを放って、それまでのホームラン記録を大幅に塗り替えた。同じ年、セントルイスでコツコツとヒットを積み重ね、257安打の新記録を達成したのがジョージ・シスラーだった。パワーに傾く時代の流れにシスラーが必死で抗っていたようにも見える。
【シスラーそっくりの打撃フォーム】
シスラーは1973年の春、セントルイスで80年の生涯を閉じた。奇しくも同じ年の秋、日本でイチローが誕生する。2人を結ぶ運命の糸は、この時から結ばれていたのかもしれない。
イチローがシスラーの記録を超えた2004年の夏のことだ。
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7月1日、試合前の練習中にイチローがふと、ミスを減らせるかもしれない試みを思いついた。ほんのわずか右足を引くと、自然にバットが寝た。その状態でスイングをするとバットのヘッドがより遅れて出てくるため、ボールを引きつけることができる。ミスショットは劇的に減った。7月以降、イチローは驚異的なペースでヒットを打ち続けた。
6月まで 333打数105安打 打率.315
7月以降 371打数157安打 打率.423
イチローはこう言っていた。
「球場に着いて、バットを握ってケージの近くにいった時、ふと、右足を少し引いた状態で構えてみようと思いました。そうしたら懐が広がって、ピッチャーとバッター、ボールの三角形を今までよりも立体的に見ることができたんです。新鮮な感覚でした。僕はボールを線で捉えるバッターなんですが、その三角形を立体的に見たら、線に早く入ることができる感覚を得たんです」
スタンスを狭めて、なおかつ背筋を伸ばすと、バットは自然と寝る。そうすると身体とバットが頭で描いた線に正確に入る──これはイチロー独特の感覚だ。その動きに伴ってバットのヘッドがさらに遅れて出てくるようになり、ボールをギリギリまで見ることからミスが減り、ヒットにできる球は劇的に増えた。
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不思議だったのは、バットを寝かせたイチローのバッティングフォームがシスラーにそっくりだったことだ。身体のサイズもほぼ一緒、三拍子揃ったプレースタイルも似通っている。84年の時を越えて、イチローが蘇らせたシスラーの記録。野球がパワーに引きずられそうな21世紀初頭にこの記録が蘇ったのは、偶然ではなかったのかもしれない。
【ヒットを打つことは簡単ではない】
記録達成の際、シスラーの家族はイチローに一通の手紙を託している。シスラーが息子のために書き残したバッティングの極意。そこにはこんな一文が認められていた。
"the fundamentals to good hitting are timing, balance and a controlled? bat."(バッティングの本質は、タイミング、バランス、そしてバットコントロールです)
イチローは、「タイミング、バランス、バットコントロールの3つが揃って初めてパワーが生まれると、シスラーはそう言いたかったはずですよ」と話していた。
ところがスポーツ科学の発達は、この3つのうちの何かが欠けた時、それを補うためにはウエイトトレーニングや薬物による筋肉が効果的だという誤解を選手たちに植えつけてしまった。
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この3つを揃える野球の鍛錬を怠り、安易な近道としてウェイトトレーニングに必死になり、なかには禁断の果実に手を出す疑惑まみれの選手たちが現れてしまったというわけだ。そのせいで野球界は退化したとイチローは嘆いていた。
イチローがヒット1本を打つために、どれほどの努力を積み重ねているのかを知る人は多くない。彼の努力をひと言で言い表すとしたら、「ルーティンの徹底」ということに尽きる。
毎日、同じことを繰り返すのは簡単なようでいて難しい。文化や習慣の違う国に住んでいれば予想もしないことが起こる。荷物が届かなかったり、ホテルの電話で起こされたり、食事先で待たされたり......それでもイチローが試合に向けた準備を疎かにすることはない。例外なく、決めた準備はすべてこなして試合に臨む。自分に対する言い訳は絶対にしたくないからだ。天才だと言われるたびに、イチローはこう言っていた。
「僕にとって、ヒットを打つことは簡単ではありません。持っているすべての力を出さなければ、ヒットは打てるものではないからです。もし何もしないでヒットが打てれば、それは天才なのかもしれませんけど、僕の場合はそうではない。
もちろん、たまにいますよ。たいしたことをやってないのにヒットを打っているバッターが......そういうときは、アイツは天才かよって思いますけど(笑)、僕はもうこれ以上できることはないというところまでやってきましたからね」
しかも、がむしゃらに練習してきたわけではない。常に、何のための練習なのかを考えてきた。やるべきことを考え抜いて、それを地道に続けてきたからこそ、ヒットが打てる。自分を厳しく追い込んできたから、ヒットを簡単に打っているように見せることができるのだ。それを「天才だから」と簡単にまとめられてしまうことに、彼は抵抗する。決して才能だけで上り詰めてきたわけではない。
258本の新記録を達成した直後、イチローは最初にこう言った。
「小っちゃいことを重ねることが、とんでもないところにたどり着くただ一つの道なんだなと、今、感じています」
2004年、イチローに262本のヒットをもたらしたあの閃き──シスラーは忘れられつつあったバッティングの奥義を、イチローに伝えてもらいたかったのではないだろうか。シスラーそっくりのフォームに変えた7月1日の夜、イチローは初めてセントルイスを訪れた。そこには今でもシスラーが眠っている。
あの日、イチローが聞いたのは、やはりシスラーの声だったのだ。