鈴木聡美インタビュー(1)
昨夏のパリ五輪で獲得したメダルは銀ひとつと低調に終わった日本競泳界のなかで、数少ない光明となったのが、日本競泳史上最年長の33歳で出場した鈴木聡美(ミキハウス)だった。個人種目では平泳ぎ100メートルと200メートルに出場し、100メートルこそ準決勝敗退に終わったが、200メートルでは自身12年ぶりとなる決勝に進出し、4位入賞。また、女子400メートルメドレーリレーでも1分05秒08と、自身の過去最高タイムを叩き出し、日本の5位入賞に貢献するなど、気を吐いた。
2012年ロンドン五輪で、平泳ぎ100メートル(銅)&200メートル(銀)、メドレーリレー(銅)で3つのメダルを手にした鈴木は、その後、思うような成績を残せず、苦しんだ時期もあった。だが、経験を重ねるなか、23年以降は複数の種目で自己ベストを更新するなど、年齢を感じさせない泳ぎで、見る者を驚かせている。
大会前には誰もが「パリ五輪が集大成の場になるだろう」と思っていたが、本人はあっさりと"現役続投宣言"をして、いまもプールで泳ぎ続けている。そんな不屈のスイマーに、パリ五輪のことから現役続行を決めた理由や、今後、目指すべき道について聞いた。
前回の東京五輪出場を逃していた鈴木にとって、パリはリオデジャネイロ大会以来、8年ぶりの大舞台だったが、どんな記憶が刻まれているのか。
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――パリ五輪が終わってしばらく経ちましたが、いまはどんなシーンがいちばん印象に残っていますか。
「五輪の会場というよりはパリの街並みですかね。レースはレースとして充実していたのですが、私はヨーロッパの街並みが好きで、そっちの印象のほうが強いです」
――結果については、どう捉えていますか。自己ベストには届きませんでしたが、200メートルでは予選(2分23秒80)、準決勝(2分23秒54)とタイムを縮め、決勝は6年ぶりの2分22秒台で4着でした。
「全体として点数をつけるなら90点くらいはつけていい気がします。メドレーリレーではありましたが、100メートルでは自己記録を更新できました。
200メートルではスピードに特化して(強化して)きたなか、決勝の前半は競技人生でもベストラップを上回る記録(50メートル 32秒15)で入れました。後半は50メートルを36秒でまとめたかったところ、37秒かかってしまったのは反省点で、そのぶんマイナス10点。選考会よりいいタイムが出せたという最低限の目標は達成できましたが、結果、3位まであと少し、ということで悔しさが残りました」
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【蘇った12年前の記憶】
――海外のレースは久しぶりだったと思いますが、好調ぶりがうかがえました。
「23年に中国(杭州)でのアジア大会はありましたが、ヨーロッパでのレースは久しぶりで、私の記憶が正しければ17年のブタペスト(ハンガリー)での世界選手権以来でした。
選考会後の国内での強化期間、アミアン(フランス)での直前合宿などを含め、調整はうまくいったと感じています。アミアンは暑すぎず寒すぎず、過ごしやすい気候で、生活しやすい環境でした。この年齢なので、合宿中は練習後の疲労回復など難しい面もあるのですが、代表のトレーナーさんたちに甘えまくったこともあり、いい状態で臨めました(笑)」
――8年ぶりの五輪でしたが、過去の大会と比べ気持ち的に変化はありましたか。こみ上げくる感情があったとか。
「ロンドン(五輪)のときの記憶がフラッシュバック的に蘇ってくるようなことはありました。コロナ期間は国内の大会で無観客の状態も経験しましたし、23年の福岡での世界選手権も大勢の方が会場に来てくれましたが、やっぱり海外で開催される五輪は雰囲気が違いますから。会場中に響く拍手や指笛が懐かしく感じられましたし、観客の方がスタンドの座席から落ちてしまうんじゃないかってほどの盛り上がりを見て、ロンドンのときのことをいろいろ思い出しました。
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最初にも言いましたが、私はヨーロッパの街並みや風景が好きで、ロンドンの結果もあって、勝手にいい意味でのジンクスを感じています。私はヨーロッパを舞台にした映画『ハリー・ポッター』や漫画『黒執事』なども好きですし、ディズニー映画にも出てくるノートルダム大聖堂を見て『ああ、これかっ!』ってテンションが上がったり。そんな気持ちの高ぶりが、少なからず競技にいい影響があったのかなと思っています」
――競泳はメンタル面が結果に大きく影響するとも言われていますが、心身ともにいい状態で臨めたことがいい泳ぎにもつながったということでしょうか。
「海外に行けば、言葉の壁や環境の違いがあり、それをストレスややりにくさと感じてしまえば、結果を出すのは難しい。そういう意味で私自身、リオ五輪やロンドン五輪と比較しても、心の余裕があったからか広い視野で大会を見られたと実感しています。多少の理不尽は織り込み済みで、どんなことに対しても『そういうもの』だと思うようにしていたのがよかったのかもしれません(笑)」
【「もっとできたことがあった」という思い】
――パリの競泳会場は、水深が通常の3メートルより80センチ浅い2.2メートルだったことも話題となりました。海外の選手からはクレームもあったようですが......。
「海外の選手は背も高いので、気になった選手もいたようですが、私は特に気にすることなく、プールはプールですし、『へぇ、そうなんだ』って感じで、気持ちを乱されることはなかったです。もちろん、それがわかったのが大会の数日前だったので、もう少し早く情報があれば、とは思いましたけどね」
――年齢を重ねるなか、パリ五輪だけでなく、たとえば23年には50メートルの自己記録を4度更新するなど、好調を維持しています。その要因は自身ではどう分析されていますか。
「いろいろと経験はしてきましたが、私の場合は、考えたところでわからないことが多い。性格的には悩めば悩むほど考えこんでしまい、ネガティブで解決できないタイプですので。だから、悩むことすら馬鹿馬鹿しく感じていて、もう考えることをあきらめてしまったというか......。そういう意味で、監督やトレーナーの手のひらの上で、いい意味で転がされているのがいいのかなと思っています(笑)」
――泳ぎについて、あまり自己分析はされないのですか。
「ふだん細かい分析はそこまでしません。もちろんレースであれば、予選、決勝でどんな泳ぎだったのかは即座にフィードバックできるように、頭のなかで何があったか考えを巡らせてはいますが......。なぜフィードバックするかというと、どんなに監督やトレーナーから客観的な視点でアドバイスをもらっても、泳ぐ本人が自分の状態を理解していないと、進歩がないからです。
レースでタイムが悪ければ、誰だって落ち込むと思います。ただ、なぜダメだったかがわかれば改善は可能ですし、わからなければいつまでも引きずってしまいます。だから、あまり深く考えていない私でも、レースで泳いだ感覚だけは常にフィードバックするようにしています」
――鈴木さんはこれまで、競技を続ける理由について「達成感を欲しているから」と話されていました。パリ五輪では達成感を得られたのでしょうか?
「半々ですかね。レースの直後は、しっかりと自分の力を出しきれたという部分では達成感に近い感覚はありました。一方で、少し時間が経ったいまは、どちらかといえば『もっとできたことがあったのに......』との思いのほうが強いです。
200メートルで4位に入賞も、メダルには届きませんでした。もし個人種目で自己ベストを出してメダルでも獲れていたら、そこで満足していたかもしれません。でも、五輪前からコンディションがよく、そこを狙えると監督たちとも話していたのに獲れなかった。だから、まだ心残りがあるんです」
(つづく)
【profile】
鈴木聡美(すずきさとみ)
1991年1月29日、福岡県生まれ。ミキハウス所属。山梨学院大学在学中の2012年ロンドン五輪で、女子平泳ぎの100メートルで銅メダル、200メートルで銀メダル、400メートルメドレーリレーで銅メダルと3個のメダルを獲得。2016年リオデジャネイロ五輪は100メートルで準決勝進出、400メートルメドレーリレー出場。2024年パリ五輪では100メートル準決勝進出、200メートル4位、400メートルメドレーリレー5位。