100km世界選手権王者・山口純平インタビュー(前編)
【100kmをフルマラソン2時間37分のペースで走り抜いた】
42.195kmのフルマラソンを走るのも大変なのに、その倍以上の100kmという距離を走るウルトラマラソンとは、いったいどんな世界なのか――。
昨年12月7日、インドで第32回IAU100km世界選手権が行なわれ、日本の27歳、山口純平(ELDORESO)が6時間12分17秒で優勝し、金メダルを獲得した。1km平均3分43秒、フルマラソン2時間37分のペースで100kmを走り抜いた。
「今回のレースは、もう優勝しか狙っていませんでした」
山口がそんな決意を抱いていたのには理由がある。
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「前回大会で2位になって、日本では周囲の人からすごいなって言われたんですけど、世界に目を向けると、2位だと全然評価してもらえないんです。例えば、1位の人が招待されたレースに自分は呼ばれないとか。そういう差をすごく感じた2年間だったので、今度はもう勝つしかない。そう思って臨みました」
今回の世界選手権は1周4.8652kmのコースを20周余り走る形で行なわれ、前回大会で優勝した日本の実業団選手(コモディイイダ所属の岡山春紀)との一騎打ちになった。山口が世界記録更新ペースの1km3分40秒で入れば、岡山も20kmすぎに3分20秒にペースアップして揺さぶりをかける。併走は8周目(約36.2km)まで続いたが、その後は徐々に山口がリードし、50km過ぎからは独走状態に。85kmくらいで脚が攣りそうになったものの、少しペースを落とすことで乗りきった。「ジャパン!ジャパン!」と大声援が飛ぶ、すばらしい雰囲気の中で山口はゴールテープを切った。
自身二度目となる世界選手権出場で初優勝。この偉業を達成した山口という選手は何者なのだろうか。
小中学時代の山口はサッカー少年だった。中村俊輔にあこがれてボールを蹴っていたが、中学では陸上部の顧問に声をかけられ、サッカー部とかけもちで駅伝に出場するようになった。中2の時には全国中学校駅伝にも出場した。
「走ることは嫌いじゃなかったんですけど、速くなるために練習するのは嫌でした(苦笑)。練習をサボって怒られたりもしましたが、正直、走る時間があるならサッカーをやりたかったので、中2くらいまでは陸上に興味はなかったです」
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それでも中3になり、サッカー部を引退すると陸上にシフトしていった。駅伝の関東大会で区間賞を獲ったことで、強豪の山梨学院大附属高校(現・山梨学院高校)から声がかかった。当時の同校はひとつ上の世代が3年時に都大路(全国高校駅伝)で優勝するほど強く、山口も都大路を目指して練習に励んだ。
「先輩方をはじめレベルの高い選手が多かったので走力を高めることができました。高3の時には都大路で4区を走れて(34位)、悪くない3年間だったと思います」
【箱根を走れなかった大学4年間】
大学でも都大路のような歓声がある中で走りたいと思った。何より箱根駅伝には興味があった。小さい頃からテレビで見ており、5区を駆けた柏原竜二(東洋大)の走りに強い印象を受け、あこがれた。また、高校時に箱根を走る山梨学院大の選手の付き添いをする機会があり、身近に感じていたこともある。山口は大学でも競技を続けることにした。進学先は国士舘大。高校と同じ場所で練習をする山梨学院大ではなく、異なる環境を求めた。
大学入学後、山口は順調に練習をこなし、夏には箱根駅伝予選会の出走候補20名が参加する選抜合宿のメンバーに選ばれた。
「夏合宿までは順調でした。でも、そこから大事な(強度の高い)ポイント練習で外したり、レースで結果を出せなくなって......。予選会を走りたいので、ひとつひとつの練習をがんばってやりきっていたんです。そのせいか、いざレースになると、疲れもあって走れなくなってしまった。今考えると本当に弱かったなと思います」
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結局、箱根予選会には出場できず、チームも11位で予選敗退。続く2年時、国士舘大は予選会を突破して本戦に出場したが(総合20位)、山口の出番はなかった。3年時も同様に予選会、本戦(総合19位)ともに出場できなかった。
「2年も3年も夏合宿まではいい感じでいけるんです。でも、そこからポイントになる練習やレースで結果を出せなくて......。例えば5000mを3本というごまかしがきかないような大事な練習があるのですが、そこで(集団と)離れてしまったり、10000ⅿのレースで30分を切れなかったり。なぜ結果を出せないのか、自分なりに考えたのですが、大事な練習やレースになると、緊張して必要以上に構えすぎてしまう。メンタル的に未熟だったんだと思います」
4年時は箱根出場のラストチャンス。だが、エントリー14名に入った予選会は出走できなかった。また、トラックのレースでも結果を出せず、高3時にマークした5000m14分34秒56という自己ベストを大学4年間で更新することができなかった。それでも最後の箱根ゆえに簡単にあきらめることはできなかった。出身地である東京の街をアンカー(10区)として走りたいと思っていたからだ。
だが、最終的に、箱根のエントリーメンバー16名に入れなかった。レース当日は複雑な思いを抱えながら5区、6区の応援にまわった。
「4年間、自分なりに一生懸命にやってきたつもりだったんですけど、高校の時の自己ベストすら超えられなかった。自分には才能がなく、そこまでの選手なのかなって考えてしまいました。同時に、もっと自分の思うようにやってもよかったかなと。後輩とかはわりと自由に動いていたんですが、チームとしてやっていますし、やりたいことがあっても自分は4年生なのでチームに合わせないといけないと思っていたんです。そうしていたとしても、結果は変わらなかったのかもしれないですけどね」
国士館大は総合18位に終わった。山口が入学し、箱根に出場できるようになってから毎年ひとつずつ順位を上げてきたが、走りでチームに貢献できなかった。進学時や在学中にお世話になった人への恩返しができず、その悔しさを抱えたまま大学での競技生活を終えた。
【1kmのコースをひとりで100周】
大学卒業を迎えるにあたり、山口はやりたいことを思いつかなかった。そんな折、大学の添田正美監督(当時)とスポーツアパレルブランド「ELDORESO」を展開する株式会社タイムマシーンの阿久澤隆社長が先輩後輩の関係にある縁から、同社への入社を勧められた。
「阿久澤さんから、『タイムを縮めるとかではなく、楽しみながら走ってみないか』と言われたんです。大学時代は走ることで追いこまれていたので、自由に走らせてくれるならと思いましたし、やはり走るのが好きなので、入社を決めました」
2019年3月に大学を卒業すると、4月には市民ランナーとして、自身初マラソンとなる前橋・渋川シティマラソンに出場。山口はレース1週間前に50km走をしてから臨んだ。結果は2時間21分10秒で優勝。その後は山を駆けるトレイルランニングのレースにも出場した。
「マラソンはとりあえず走るみたいな感じで出たら優勝してびっくりでした。トレイルはそれまでやったことがないので、こんな山道を上るんだとか、こんな景色がいいところを走れるんだとか、面白く感じたんですけど、自分は下りが苦手なんです(苦笑)。これを続けていたらケガするな、上りも速くないので上位を目指すのは難しいなと思いました。でも、マラソンは最初に出たレースで結果が出たので、適性があるかもしれないと感じました」
その後もロード、トレイル問わずいろいろなレースに出場する中で、ある手応えを感じるようになった。
「トレイルの70kmレースとかも出たりしたんですけど、やっぱり苦手でした。でも、長い距離はある程度いけそうだなという感覚を発見することができたんです。そこで阿久澤さんと『得意なロードで長い距離はどうだろう』という話になり、ウルトラマラソン(100km)につながっていったのです」
ウルトラを走るからには、練習で自分自身を納得させられなければ走れないと思い、社会人1年目の12月、ひとりで100kmを走ることにした。そこである程度走れたらウルトラをやってみようと考えた。
「1kmの周回コースを100周しました。30kmで用意していた給水がなくなり、しかも、お金を持っていなかったので残りの70kmは給水を我慢して走ったんです。午後2時くらいにスタートして、夜10時ぐらいに終わったのですが、7時間40分で走れたので、手応えは悪くなかったです」
周回コースを単独で100周するとはどういう感覚なのだろう。ペースを把握し、何も考えずに走れるメリットはあるかもしれないが、景色や他ランナーから受ける刺激がなく、モチベーションを維持しにくい。相当メンタルが強くないと走りきれない。
「確かにキツかったですけど、なんとか走れたので、これが100kmを本格的に目指そうと思った最初の走りになりました」
その約2年後、山口はいよいよ100kmのウルトラマラソンに初挑戦する。
後編につづく>>ウルトラマラソンの世界王者・山口純平に聞く 100kmを6時間余りで走るということ「残り30kmからが本当に長い」
■Profile
山口純平/やまぐちじゅんぺい
1997年2月5日生まれ、東京都出身。中学時代にサッカー部とかけもちで陸上競技の大会に出場し始める。山梨学院大付属高校(現・山梨学院高校)3年時には主将として全国高校駅伝出場(4区34位)。国士舘大学に進学し、箱根駅伝を目指すも4年間出場ならず。卒業後はアパレル会社に勤務するかたわら、市民ランナーとして活躍。フルマラソンのベストは2時間16分31秒(2022年東京マラソン)。徐々に超長距離の大会に挑戦するようになり、2023年サロマ湖100kmマラソンで6時間6分08秒の日本記録を樹立。そして昨年12月、自身二度目の出場となる100km世界選手権(インド)で初優勝した(6時間12分17秒)。