群雄割拠〜沖縄高校野球の現在地
話題の新鋭校・エナジックスポーツ高等学院(後編)
2024年秋の九州大会で準優勝し、創部3年目でセンバツ初出場を決めたエナジックスポーツ。その代名詞のように語られるのが「ノーサイン野球」だ。
【ノーサイン野球にたどり着いた理由】
昨年末、旧久志(くし)小学校の跡地に開校した同校のグラウンドを訪れると、その真髄を目撃できた。各選手が守備位置につき、ノッカーがボールを打つ代わりに打者役が打球に見立てたボールを投げて、塁上の走者が打球判断して次の塁を狙っていく。グラウンドが狭くてシートノックはできないが、工夫して練習しているのだ。
たとえばセンターフライでは、どのくらいの距離までタッチアップを許すか。浅いセンターフライに見立てたボールを投げて、三塁走者がホームを狙う。
センターはサードに送球。すかさずホームに投げ、タイミング的にはアウトだったが、捕手が落として生還を許した。
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「ごめん」(捕手)
「この距離だったら大丈夫くさい」(三塁手)
「この距離、三塁ランナーは、行けはしないんじゃん?」(周囲)
「行かないから、オーバンランをもらって(アウトにできるかも)」(三塁手)
ホームに投げてランナーをストップさせるのではなく、三塁に投げれば三塁走者をアウトにできるかもしれない。そうした可能性を探っていたのだ。
練習を見守っているコーチは、特に口を挟むわけではない。選手たちが自分で考え、チーム全体で判断の基準を一致させていく。筆者の隣で見ていた神谷嘉宗監督が、その意図を説明した。
「がっぷり四つの横綱野球では勝てない、弱者の兵法なんですよ。負けないためにどうするか。相手の意表を突くためにはどうするか。美里工の監督をしていた後半くらいからそういう野球をやってきて、こっちに来てから一度もサインを出してない。サイン自体がないので、ないものは出すわけにいかないので(笑)」
ノーサイン野球は、神谷監督がたどり着いた「理想」だ。1981年に沖縄県教職員となって以来、公立の八重山、前原、中部商、浦添商、そして美里工を指揮しながら、強豪校に勝つべく闘志を燃やしてきた。
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「『いい選手が来てくれたら勝てる』と思っている監督はけっこういると思う。じゃあ、自分のチームにいい選手が来なければ、勝てないのか。それを勝てない理由にしていますよね。それなりのメンバーでも、それ以上の成果を出していかないと自分の付加価値は上がっていかないし、周りも認めてくれません」
今は「打倒・沖縄尚学&興南」、それ以前は「打倒・沖縄水産」を掲げ、知恵を巡らせてきた。どうすれば県内トップを上回ることができるか。
「今でも沖縄尚学、興南がメンバー的に上だと思うけど、それをひっくり返せるのが野球です。公立でずっと戦ってきて、どうすればいいかと研究して今の野球にたどり着きました。甲子園でベスト4に行った時も、機動力野球が徹底していたんです」
【浦添商時代はサイン無視OK】
2007年のセンバツでバントをほとんど使わずに初優勝した常葉菊川を参考に翌年夏、浦添商で自身初の甲子園に出場して準決勝まで勝ち上がった。「奇想天外の攻撃」とも言われたが、その裏にあったのが「サイン無視はOK」という方針だった。
「サインは出すけど、『根拠のあるサイン無視はOK』。バントのサインでも、100%盗塁できると思ったら行っていい。エンドランの場合でも、キャッチャーの動きなどを見て行かなくてもいい。そういう作戦ってけっこうハマるんですね。スクイズのサインを出したら、打ったとか。『なぜか』と確認すると、『こうだったから、こうしました』という根拠が必ずありました」
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そこから発展していったのが、現在のノーサイン野球だ。
「美里工だって。神谷も終わったな......」
2012年、浦添商から美里工への赴任が決まると、周囲から憐れむ声がこぼれた。当時の自宅から徒歩5分に美里工はあるが、学校に入ったこともない。いわゆるヤンチャな学校で、転勤することになるとは夢にも思っていなかったからだ。
「定年まであと5年しかない。そこで終わってしまったら、今までやってきたことがすべて消える。『神谷も終わったな』ってなるじゃないですか。その後も終わってしまうので、そのまま引き下がれないなと思って」
授業もまともに成り立たないほど荒れていた美里工で、野球部をどう強くしていくか。
「3年で甲子園に行くから、協力してくれ」
神谷監督はOB会などにホラを吹いて回った。
同時に、熊本工や福岡工、佐世保実など九州の有名校を回って工業高校ならではの文武両道を探し求めた際、足を伸ばしたのが山口県の高川学園だった。東亜大時代の1993年明治神宮大会で初出場初優勝を飾った中野泰造監督に「ノーサイン野球」を学ぶためだった。
「東亜大が明治神宮大会で連覇した頃(2003・2004年)、神宮で試合を見たことがあるんです。小さい子たちが早稲田大や東北福祉大とか、全員180センチ以上あるようなチームに勝つわけです。すごい。我々の目指す野球はこれだと、ずっと頭にありました」
【失敗を容認できるかどうか】
ノーサイン野球とは何か。最初は雑誌の記事を見ながらマネしたが、真髄を理解していたわけではない。美里工に赴任した2012年冬、初めて中野監督を訪れ、教え子の宮本龍監督が受け継いだ東亜大にも学びに行き、選手を送るような関係になった。
そして2014年春、美里工を率いて同校初のセンバツ出場。定年後の再任期間まで勤め上げた後、「監督人生の集大成」と位置づけるエナジックスポーツで貫くのがノーサイン野球だ。
「ずっと失敗だらけです。ノーサイン野球って、失敗を容認できるかどうか。失敗をいっぱい経験して、何がいいかを自分で選んでいくわけですから。常に状況を考えながら、先のことも考えて、相手の動きも見ながらスキをつく野球なので。やればやるほど成長していくわけですよ。だから、最後の夏に仕上がればいい。(2024年)秋に九州で準優勝できたのもできすぎなんですよ。彼らは春、夏と成長していくので。この子たちが夏になった時に、どれぐらいまで仕上がってくるのか。毎年こういうのが楽しみになってくるんですよね」
ノーサイン野球は、選手各自が好き勝手にプレーするわけではない。どういう判断をすれば、相手の意表を突いていけるのか。チームで基準を統一し、一致団結して強敵をなぎ倒していくのだ。
さらに言えば、攻めるだけではない。神谷監督が続ける。
「そういう野球をやれば、もちろんピッチャーも鍛えられます。相手との駆け引きがずっとあるので。ノーサイン野球は攻撃に特化されがちだけど、点を取られないための守備も、相手との駆け引きのなかで訓練していかないといけない」
エナジックスポーツは、野球部の目的に「人間形成」を掲げている。ノーサイン野球は勝つためにたどり着いた戦法だが、部の目的にも通じている。早起きして勉強に励み、自分たちならではの文武両道を追求するのも、同じゴールを目指してのことだ。
なぜ、体育科体育コースの高校生にも勉強を頑張らせるのか。その裏には野球部を率い、同時に教員でもある神谷監督の信念がある。
「プロ野球選手になって引退したあと、路頭に迷って苦労しているというテレビ番組があるじゃないですか。そういう生き方にはなってほしくない。潰しが利く人生。生きる力を身につけるのは、高校しかないと思っています。私の教え子はみんな、その力を持って卒業したと自負しているんですね。確かにうまくいかなった子もいるかもしれない。だけど私としては、そういう教育をやってきたつもりです」
69歳のベテラン監督が率いる、創部3年目のエナジックスポーツ。「疾風迅雷」というモットーを掲げるチームは、初の甲子園でどんな姿を見せるのか。
高校野球ファンの興味・関心を呼んできた新鋭が、一気に話題をさらっても不思議ではない。