パリコレに出演した視覚障がいの実業家「目が見えないから人の視線は気にならない」

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2025年01月26日 06:10  週刊女性PRIME

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視覚障がいのある実業家・成澤俊輔さん 撮影/渡邉智裕

 カラフルな服や靴で身を包み、颯爽と街を歩く男性。彼の手には“白杖”が握られていた──。

僕は、少しずつ視力を失う難病『網膜色素変性症』を3歳のときに発症して、15年前に失明しました。今は、かろうじて“光”を感じる程度なので、自分では着ている服の色や髪の色はまったくわかりません。

 でも、こんな格好をしていると『服や靴はどうやって選ぶんですか?』と話しかけてくれる人がいて、そこからコミュニケーションが始まる。僕は常に“積極的受け身”の姿勢で生活しています」

保育園に通う娘との外食

 そう話すのは、自他共に認める「世界一明るい視覚障がい者」として、講演会やコンサルティング、メディアで活躍する成澤俊輔さんだ。

 現在、2児の父でもある彼は「子どもたちとのコミュニケーションがとにかく楽しい」と話す。

「娘が保育園に通っている年齢のころは、2人だけで外食をするたびに事件が起きていましたね。僕は目が見えないし、当時の娘は文字が読めないから、メニュー表を渡されてもオーダーできないんです。

 四苦八苦したのちに店員さんを呼び、メニューを読んでもらってやっと注文できる。
あのころの僕らは2人でいても『大人1人』にも満たないのが面白かったですね」

 そうした経験から「寿司店はひらがなが多いので子どもでも注文できる」「漢字が多い店はNG」など、成澤家のライフハックが蓄積されていったという。

「いずれ僕たち家族の日常を4コマ漫画にしたいんです。めっちゃ笑えますよ」

 何げない毎日もユーモアに変えるのが成澤流だ。

 そんな彼も、昔から“世界一明るい視覚障がい者”だったわけではない。

大学時代は、自分が世の中に必要とされていないような疎外感を覚えて2年間“ひきこもり”になりました。家族の支えもあって立ち直り、新卒で経営コンサルティング会社に入社したのですが、うつ状態で退職。挫折も味わいました。

 そうして自分と向き合い続けた今は、目が見えない人生にしょげるのではなく、自分で価値を見いだせるようになったんです。人生は“自分がどう意味づけするか”で大きく変わるんですよね」

人生の音程を整える“調律師”として

 そんな成澤さんの本業は、経営コンサルティング業。'09年に独立し、現在は妻と二人三脚でギター塗装の100年企業からお坊さんが経営する電力会社など、多種多様な業界の企業、約60社のコンサルタントを担っている。

「自分の仕事は『経営者の調律師』と表現しています。経営者の多くは、資本主義や他者からの期待にがんじがらめになって、人生の“音程”が狂ってしまうときがあるんです。
 
 音程が狂ったときに僕との対話を通して自由な感覚を取り戻してもらう。僕は、どの会社に行っても異分子になるので“ちょっとしたざわつき”を感じてもらえる提案をします。

 例えば、その企業では当たり前の慣習に対して『無駄だからやめよう』と僕が提案するとみんな驚くんです。たとえそれが実現しなくても、社内で小さな“違和感”として残れば何かしら変化につながります。そんな気づきのチャンスを投げかけるのが、僕の仕事ですね

 最近はコンサルティング業の傍ら“仕事以外の活動”にも、全力で取り組んでいる成澤さん。'24年9月には、パリコレのランウェイを歩き、話題を集めた。

パリコレで“モデルデビュー”!

『パリコレに出たい』といろいろな人に言っていたら夢が叶いました(笑)。きっかけは、世界的に有名な講演イベント『TEDxYouth@Kumamoto』での登壇。そのときに衣装を提供してくれたブランドがパリ・ファッションウィークにも出ていると知り、パリコレに出たい! と思っちゃったんですよね。

 僕は何かを思いついたら、すぐ人に話す癖があって誰かに会うたびにパリコレの話をしていたんです。すると、ファッションデザイナーの、けみ芥見(あくたみ)さんとのご縁があり、パリコレのモデルに起用してもらいました」

 観客たちは白杖を持ってランウェイを歩く彼に目を奪われ、大きな拍手が湧き起こったという。

目が見える人は恥ずかしくて『パリコレに出たい』とは言えないんですよ。笑われたらどうしようとか、舞台で転ぶのを見られたくないとか、そんな感情が先行する。

 でも僕は目が見えないから、人の視線が気にならず、あまり恥ずかしいという感情が湧かない。恥ずかしさを理由にチャンスを逃すのはもったいないですよ


 成澤さんは「目が見える人は、周りが気になって大変そうですよね」としみじみ語った。

 そんな彼が、3年前から取り組んでいるのが光るキックボクシング、名づけて「ローヴィジョンボクシング」の開発。

 グローブやすね当て(レガース)に光るライトを仕込み、目が見えずとも相手の光の動きを捉えてガードや攻撃をする、新感覚のキックボクシングだ。
 
 成澤さんとともにプロジェクトを進めている筑波大学准教授・落合陽一さんはこのローヴィジョンボクシングの社会的な意義について次のように話す。

私たちは視覚障がいに対するアプローチの一環として、このプロジェクトに取り組んでいます。成澤さんがキックボクシングに挑み、テクノロジーとともに新しい感覚や挑戦を開拓する姿を応援する喜びを共有しています

 成澤さんと落合さんは、雑談の中で「ローヴィジョンボクシング」のアイデアを思いついたという。創造力と実行力に富んだふたりが手を組めば百人力。昨年は、東京タワーの下でデモンストレーションを行うなど、着々と実用化に近づいている。

視覚障がい者のためのボクシング

目が見えない人は鏡で自分の体形を他人と比較できないし、安全に運動できる場所も少ない。その環境では僕のように食べるのが好きな人は、どんどん太ってしまうんです。

 もしも、テクノロジーを駆使して目が見えない人も楽しめるスポーツがあれば運動不足解消につながるはず、というのが発想の原点です」

 ローヴィジョンボクシングでは、光の残像が放物線を描く中、グローブで打ち合う音が響く。目が見える人はグローブの光を追い、視覚障がい者は打った直後に耳に届く“音”を楽しむ。まさに、誰も取りこぼさないスポーツといえる。

 成澤さんのトレーナーを務める元プロキックボクサーの大久保彰さんは、彼の変化についてこう語る。

「初めて会った3年前に比べて、かなり身体が引き締まりましたね。何より、目が見えていないとは思えないほど反応がいい! 視覚障がいのある人からの問い合わせも多く、今後さらに『ローヴィジョンボクシング』は広がっていきますよ」

 さまざまな挑戦を続け、もはや自分が何者かわからない、と笑う成澤さんだが「今の自分がこれまでの人生で一番好き」と断言する。

「『努力は夢中には勝てない』という言葉がありますよね。僕にとっての努力は、得意分野であるコンサルティング。でも、パリコレに出たり、ローヴィジョンボクシングを開発したりするのは夢中になれる“好きなこと”なので、ずっとワクワクしてます。

 今は監督として映画を撮りたい。『視覚障がい者が撮った映画』って面白そうですよね?」

 好きなことにまっすぐ突き進む成澤さん。彼には、自分が歩むべき道は見えているのかもしれない。

なりさわ・しゅんすけ 1985年、佐賀県生まれ。実業家。徐々に視力を失う難病・網膜色素変性症を患う。大学卒業後、経営コンサルティング会社での経験を経て'09年独立。'16年にNPO法人FDAの理事長に就任し、'20年に事業承継。現在は経営者の調律とアーティストとして「世界一明るい視覚障がい者」をキャッチフレーズにさまざまな活動を行う。

取材・文/大貫未来

 

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