人生100年時代とはいうものの、50代あたりからはあちこちに不調が出てきて、元気に年を重ねていくことの難しさを感じている人も多いのでは? そんななか、「私は大人になってから病気らしい病気をしたことがないんです」と語るのは、この1月に89歳を迎えた生命誌研究者の中村桂子さん。
ありのままの暮らしが長寿のヒケツ
57歳の時に創立した「生命誌研究館」の館長を84歳まで務め、退任後もできる範囲で仕事を継続。今も仕事を始めたころとまったく同じ気持ちで日々を過ごしているという。元気のヒケツを伺うと、中村さんが研究を続ける「生命誌」の基本である「人間も自然の一部である」という考え方と、それを実践する暮らしぶりが見えてきた。
「根がのんびり屋で。私の辞書に〜ねばならないという言葉はないんです。子どものころからあるがままに生きてきて、その時その時の今が好き。誰かと自分を比べたり、競争することもまったく考えませんでした」(中村さん、以下同)
そうした考えは、生まれ持った性質もあるが、両親の影響も大きかったという。
「両親から、〜しなさいとか、〜してはいけませんと言われたことはありませんでしたね。私が学生だったころは、女の子だからこれをしてはいけないと言われることも世間では多くあったんです。女の子は学校なんか行かなくていいと親から言われ、悔しい思いをしているお友達もたくさんいました」
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しかし、中村さんが大学を終え、大学院に進学したいと伝えた時も、父は「ということは、花嫁姿はないということかな……」とつぶやいたのみで、反対はしなかった。
「当時はまだ、職業を持つ女性が結婚をするのはなかなか難しい時代でしたから。その後、時代の変わり目を迎えて結婚はしましたけど(笑)。やりたいことをやってはいけないと言われなかったおかげで、自分の好きなことをひたすら一生懸命やってこられましたし、誰かに勝とうという気持ちもないから、すごく気が楽。それはとてもありがたかったですね」
薬は一切飲まない
制約が多かった時代の中でも、熱中できる仕事に就き、競争社会のストレスを抱えることもなく過ごしてきた中村さん。そうした心の健やかさは、身体の健康状態にも表れている。
「今も薬は一切飲んでいません。日常暮らしている限りでは、必要性を感じないので」
その根底にあるのは、「人間も生き物の一種。特別なものではない」という考え方だ。
「もちろん私も、視力や聴力など、加齢による機能の衰えや変化は感じていますよ。でも、これまでずっと働き続けてくれた身体ですから、少しずつ疲れてくるのは仕方ないと思っています。そもそも生き物はみな、生まれる、育つ、成熟する、老いる、死ぬという一生をたどるもの。それぞれの時期を楽しまないと損な気がするんです」
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老いることをネガティブに捉えず、常に今に向き合って生きる中村さんの暮らしは、シンプルでナチュラル。
「朝起きるとまず、家中の窓を開けて、空気を入れ替えるんです。冬は必要なところだけ開けてしばらくしたら閉めますが、夏はそのまま開けっぱなし。自然の風が通って気持ちいいので」
豊かな緑に囲まれた高台に立つ家という環境のよさもあり、猛暑が続いた昨夏も、来客時以外はエアコンを使わずに過ごしたという。
「もちろん暑いとは感じますよ。でも、眉間にシワを寄せて我慢したわけではなく、家族みんなが、開けると風が気持ちいいねと言って暮らしています。そこで窓を閉めてエアコンをつけようという気持ちにならないんです」
また、天気のいい日はほぼ毎朝、600平米ある庭の掃き掃除をすることで心地よく身体を動かしている。
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「落ち葉は秋というイメージですが、実際には一年中葉っぱが落ちてくるので、必要不可欠な作業なんです。集めた落ち葉は階段下にある落ち葉だめへ。集めておくと自然に腐葉土になり、1年ほどたったものを下から取り出し、庭に戻します。庭がきれいになってすっきりするだけでなく、自然の循環を感じられるのも楽しいですね」
3食すべてを手作り
館長を退任して時間にゆとりができてからは、食事はすべて自炊。
「毎日通勤していたころは、お昼は勤務先の食堂で外食でしたし、仕事の状況によって時間も不規則になりがちでした。それが退任してから新型コロナウイルスの感染拡大で外出ができなくなったため、3食自分で作って食べるように。朝食は庭仕事を終えてから、昼食は12時、夕食は19時と、毎日決まった時間にとるようになってから、お通じも体重も安定して、身体の気持ちよさを感じています」
食事の内容は、栄養バランスなど細かいことにはこだわっていないという。
「ごく普通の家庭料理です。朝はパンと野菜とヨーグルト、お昼は焼きそば、夜はしらす丼とおみそ汁にしましょう、といった感じで。気をつけていることといえば、冷蔵庫にあるものを残さず使い切ることぐらい」
時には誘われて外食を楽しむこともあるが、店屋物や市販の惣菜が食卓に並ぶことはない。
「子どものころからなんでも作って食べるのが当たり前でした。仕事で忙しくしていたころに一度、おせち料理を注文してみたことがあって。見た目はとてもきれいでしたが、食べてみたら自分たちが慣れ親しんできた味とはまったく違って、濃いやら甘いやらで箸が進まなかったんです。やっぱり家で作る味がいいと、一回で懲りました」
スポーツは好きで、子どものころから楽しんできたという。大学時代にはテニスでインカレに出場した経験も。
「今も時々テニス仲間からお誘いがかかってコートに立つことがあり、ボールを追いかけると本当にすっきりします。スポーツは見るのも好きで、大谷翔平選手の笑顔に元気をもらっています。将棋の藤井聡太棋士もそうですが、誰かと競争してやっているのではなく、自分の好きなことに思い切り打ち込んでいる姿に心を打たれます」
「健康のために意識してやっていることは何もありません。自然の一部として、普通に生きてきただけ」
ほほえむ中村さん。最後に週刊女性PRIME読者に向けてアドバイスをお願いすると。
「私が若い方によくお伝えしているのは、その時にはやっているとか、すぐに役立ちそうなことよりも、本当に自分が好きなことや面白そうと思うことを一生懸命やったほうがいいということ」
中村さん自身、生物学に興味を持って勉強を始めたころはDNAが解明されておらず、遺伝子学も周囲から理解を得られなかった。
「大学のクラスメートたちからは、将来どうなるかもわからない分野の勉強をするために大学院まで行くなんてばかだと言われて。でも21世紀になって、生き物のさまざまなことがわかってきました。そんな時代を生き、研究を続けてこられたことが私にとってどれだけ幸せだったか。夢中になることがある。年齢による不安の解消はこれではないかと思うんです」
中村桂子 1936年、東京都生まれ。理学博士。国立予防衛生研究所を経て、'71年、三菱化成生命科学研究所に入り、日本における「生命科学」創出に関わる。'93年「JT生命誌研究館」設立に携わり、2002年から'20年まで館長、現在は名誉館長を務める。著書に『老いを愛づる 生命誌からのメッセージ』(中公新書ラクレ)など。
取材・文/當間優子