Text by 沼田学
Text by 廣田一馬
18世紀末、フランス革命の時代に、ひたむきに生きる人々の姿を描いた漫画『ベルサイユのばら』。
貴族の家に生まれて、「息子」としての役割を期待されながらも、一人の人間として揺れる心を抱え、誇り高く自らの進むべき道を見出すオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ(以下、オスカル)や、政略結婚によって少女の頃にオーストリアからフランスへ嫁ぎ、時代や環境に翻弄されながら、やがて悪しき王政の象徴となっていくマリー・アントワネットら、魅力的なキャラクターたちが息づくドラマチックなストーリーは、時代を超えて共感や憧れを生んできた。
池田理代子によって1970年代に原作が描かれ、以降もテレビアニメ版や宝塚歌劇団による舞台版など、さまざまなかたちで半世紀以上にわたって親しまれてきた『ベルサイユのばら』の新たな劇場アニメが、1月31日から公開される。
同作でオスカルを演じたのは、声優の沢城みゆき。声優として、たしかなキャリアを積み重ねてきた沢城が、『ベルサイユのばら』やオスカルというキャラクターをどのように読み解き、演じたのかを聞いた。
沢城みゆき(さわしろ みゆき)
6月2日生まれ、東京都出身。『ルパン三世』の峰不二子役や『鬼滅の刃』の堕姫役などを演じてきた。1月31日公開の劇場アニメ『ベルサイユのばら』ではオスカル役を演じる。
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沢城:オーディションの話があって、遅ればせながら原作を拝読したんです。テレビアニメ版も拝見しましたし、宝塚が好きな友達から宝塚版の『ベルサイユのばら』のDVDを貸してもらったり、フェルゼン編の公演を観に行かせていただいたりして、ファンになっていきました。
─どんな部分に魅力を感じましたか。
沢城:原作はルソーの『社会契約論』のメディアミックスなんじゃないかと思うくらいの作品で、人が言葉によって解き放たれていく時代があったことに、すごく熱いものを感じました。テレビアニメはまた別の魅力があって、とくに出崎統さんによる、詩的な言葉の連続によって彩られていく演出の大ファンになってしまって。宝塚の舞台は、生身の人間がこの作品を演じて成り立つことへの感動や、すごみを感じます。少しずつエネルギーの方向性は違うけれど、どれにも圧倒されますね。
─作中では、オスカルの内面的な変化の描き方が印象的でした。前半は、与えられた使命をまっとうしようとする意識の強さを感じる場面が多かったですが、後半は、オスカルが1人の人間として、意志を持ってより主体的に動く場面が増えていきます。沢城さんはオスカルというキャラクターやその変化を、どのようにとらえて演じられましたか?
沢城:オスカルは小さなころから、自分の生きる目的はアントワネットをそばで守ることだと親から言われていたし、オスカル自身もそこに誇りを持ってそばで支えようとしてきたんですよね。だから自分の人生の主役が自分ではなくて、アントワネットだったんです。
原作ではロザリー(オスカルが引き取った貧しい少女。オスカルに対し、恋慕に近い感情を持つ)という大切な存在との出会いによって、市民というものが見えてくるようになりますが、もちろんそこにはアンドレ・グランディエ(以下、アンドレ)の存在も大きくて。彼、彼女たちへの愛情が増していくことによって、「自由な自分」について思いを馳せ、初めて自分の人生が開けていくような流れでした。本作では時間の流れの積み重ねもありますが、それ以上に「なにと出会ったのか」が、オスカルのなかで価値観が変わっていくポイントだったと思います。
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沢城:アンドレと2人のシーンは、出来上がったものを観たら、結果的にすごく柔らかく喋っていました。というとおかしいかもしれないですけど、つまり、私としても意図していなかったんです。
アンドレとのシーンは、アンドレ役の豊永利行さんと一緒に録ることができたのですが、豊永さんのお力を借りて無意識に起きたことでした。親友であり、恋心を抱いているアンドレの前にいるときのオスカルは、素敵な自分でいようとしたり、対等でいようとしないと気持ちが瓦解してしまうので、気の張り方が全然違うんです。なにを軸にしたらあんなことが起きたのか、ちょっと思い出せないですけど、これは自分でもすごくびっくりしました。
─あとからご自身でも驚くような演じ方をしているというのは、沢城さんのこれまでのご経験のなかでも珍しいことなのでしょうか。
沢城:アニメのアフレコって時間がかなり限られていて、舞台のように何度もお稽古を重ねていくやり方ではないので、結果的にこういう出来事が起きて、キャラクターがこういう状態になる、ということをある程度逆算したうえで、次のセリフはないもののようにして演じていく技術が必要だと思うんです。
ただ、オスカルの価値観を宿らせて演じていった結果、セリフと同じ気持ちになれていたら最高で、そういうことをまだ諦めきれていなくて。だから「あれ、なぜかこのセリフを言えなかったな」ということがあってもいいかなと思うんです。
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沢城:説明が難しいですが、自分がオスカルを演じるにあたり、いま持っている要素だけでは心情的にたどり着けないセリフがあった場合に、結果としてそのセリフにたどり着ければ、どのルートから行ってもよくて。蛇行したときにラッキーが起きたらいいなと思うんです。トッシー(豊永利行)とやっていたときには、それができたのかもしれないですね。
ただ無意識に、自分が一番安心する相手だと思いながら話していたら、ああいう仕上がりになったという感じです。逆にフェルゼンと話していると緊張するんですよね。フェルゼンといるときの緊張感があったからこそ、そのあとアンドレと話してほっとする部分があったと思うので、フェルゼンなくして、アンドレの愛に気づけなかったところはあると思います。
─オスカルとアントワネットはとても対照的な生き方をしていますが、沢城さん自身は演じるなかで、オスカルにとってアントワネットはどのような存在であると感じて演じられていましたか。
沢城:オスカル自身も言っていますが、「そばにいる」というのは、物理的に守るだけではなくて、心を理解することが大切だったのに、それができなかったという大きな挫折が途中であったと思います。
オスカルにとって、自分のなかではまだ恋みたいなものが始まっていないのに、アントワネットは愛の話をしてくる人なんです。ここで、2人がものすごくかけ離れたんですよね。目の前の全部がアントワネットでできていたのに、急にふわっと霧に包まれ、見えなくなったんだと思います。
─最終的に立場をたがえてしまいますが、オスカルはアントワネットの生き方にも理解を示そうとしますね。オスカルは本作のなかで、貴族でありつつも市民側に立ったり、自分とは異なる存在を分かろうとする姿勢を見せたりします。沢城さんはこれまでに多くのキャラクターを演じてこられたなかで、必ずしも共感しづらいキャラクターもいたのではないかと想像するのですが、そうした場合に、どのようにキャラクターと向き合って演じられていますか?
沢城:役と対峙しているときはあくまでも私の価値観で、共感できること、できないことが確かに存在するんですけど、役を演じるというのは、自分の価値観そのものを彼、彼女たちのものに入れ替えて、共感を超えて同化していくことなんです。
─入れ替える作業というのは、どうやって行うのですか?
沢城:私の場合は、インナーピクチャーという舞台の手法を使っています。まず物語が始まる時点で、そのキャラクターが知っていることや、どんな価値観を持っているかの「絵」をつくるところからスタートするんです。
その絵のなかに別の誰かが入ってきたときに、曇ったような絵になるのか、ぱっと花が咲いたようになるのか、どんな風に変化していくのかによって、キャラクターがとるリアクションが変わっていきます。最初の絵を有益につくれれば、一回パチンとまばたきをすると、もうその役の価値観に入っていけるんです。この絵をつくるためには、最初の下ごしらえがすごく大事で、これを誤らなければ安心です。
でもその絵が、監督側の意図しているものと違ったりすると大変で、最初につくった箱庭からこの要素はやめて、こっちの要素を入れてみよう、こうやって進めればどうも監督が描いているものに対応できそうだ……という作業をやっていきます。いかに自分がやりやすいように、最初に絵をつくれるかが大事ですね。
─かなりロジカルに組み立てられるんですね。
沢城:例えばこのキャラクターは短パンと長ズボン、どちらを履いている方が走りやすいのかなど、自分がアクトしやすいように初期設定だけはロジカルにつくります。ただ、あとはわからないんです。
─「わからない」とおっしゃっている部分が、先ほどアンドレとの場面についておっしゃられていたような、「思いがけずこんなふうに演じていた」部分に表れるような余白なのでしょうか。
沢城:そうですね。そこは相手がどう来るかによって変わってくる部分です。最初に自分のなかでアンドレという存在を設定したときには、常に温かく穏やかに自分のなかにいてくれる柔らかい光だと感じていたのですが、トッシーが演じると情熱があって、もうひと声ふた声、明るく、眩しくなりました。最初はともしびのように丸く暖かかった光が、トッシーの声が入ると、だんだん白色系の色になっていく感じがしましたね。
─最終的にオスカルは自分の信念を貫く生き方をしたと思いますが、沢城さんには譲れない信念や価値観はありますか。
沢城:うーん……これは譲れない信念とは少し違うと思いますけど、練習はたくさんしたいです。今回の『ベルサイユのばら』は歌のシーンがたくさんあったので、「歌を練習する時間をとにかくありったけくれ」と事務所に言いました。事務所は大変だったと思います(笑)。
すごく才能のある人たちがたくさんいるなかに自分も入れてもらっていて、できないことは明らかにわかっているから、とにかく人よりたくさんやらないと、同じ土俵に上がれないんです。たくさん練習すればなんとかなるということはわかっているから、もうできるだけの準備をするしかないんですよね。
─沢城さんが「できない」と感じていらっしゃることに驚いたのですが、先ほどの役づくりの話も含め、土台を踏み固めることを大事にされているんですね。
沢城:本番ではそれを手放してしまうんだけど、自分の安心感のみならず、大事に準備したものは、ここぞというときに爆ぜるのを待っていると思うんです。だから、奇跡を待つために、できることは全部やったと言えるくらいまで、捧げるしかないですね。