「私が描いた『くるみわりにんぎょう』(E・T・A・ホフマン/徳間書店)のポップを見たおばあさんが、孫にプレゼントするから絵本と一緒にポップも欲しいと言ってくれたときは、すごくうれしかったです」
照れくさそうな笑顔を見せながらこう語るのは、「本屋さん ててたりと」書店員の佐々木貴美子さん(仮名・43歳)。小学6年生のときに統合失調症と診断された。その後、結婚、出産したが、子供が小学生のときに“ママ友”との人間関係のこじれから症状が悪化した。
佐々木さんは精神疾患のある人の社会参加を支援する施設で3年間過ごした後、’21年3月から「ててたりと」の書店員として働いている。おもな仕事は本を紹介する手描きのポップ制作だ。
「今でも人の視線や、他人からどう思われているか気になってしまいますが、ここでポップを描いているときは、病気の苦しさを忘れられます。絵本は読む人によって捉え方が違います。絵本を読んだときの私の気持ちをポップで表現したいと思っています。ほっこりした気持ちで本を手に取ってもらいたいし、私も幅をもっと広げて、お客さんを引きつけられる絵を描いていきたいです」
そう語ってくれた佐々木さんのポップは独特だ。内容や感想を紹介する文字がない。印象に残ったシーンを切り取り、そのキャラクターを彼女が感じたまま色鉛筆で描き写している。それがメッセージとなって、つい絵本に手が伸びてしまう。
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そんな佐々木さんが働く「ててたりと」は、埼玉県川口市にある“町の本屋さん”だ。
■一見、普通の本屋さん。でも、14坪の小さな店内には20人もの書店員が
かわいいロゴで飾られたガラス戸を開けると、14坪の店内には、新刊の書籍や雑誌、絵本など4千冊ほどが並んでいる。普通の本屋さんと違うのは、店員さんの数が多いこと。レジに立つ人以外にも、本の整頓をしたり、店内の掃除をしたり……。
「ててたりと」は障害者総合支援法が定める就労継続支援B型事業所。障がいがある人に働く機会を提供する福祉事業所で、書店員は施設の利用者として、本の仕入れや陳列、接客などを行う。現在、53人が利用者登録しており、毎日20人ほどが書店員として働いているのだ。
書店員の仕事は多岐にわたっている。たとえば、店の片隅でパソコンに向き合っていた工藤あゆみさん(29)。統合失調症を患い、前の福祉事業所ではチラシを折るなどの内職作業をしていたが、ここでは、得意の文章力を生かして、本の紹介を多方面に発信している。
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「もともと本が好きで、小学生のときはまわりの子がイラストの入ったライトノベルを楽しんでいる傍らで、絵のない本を読んでいました。そのころは同学年の人が苦手で、人が怖くなったことも。今はだいぶ慣れましたけど……。この場所で大好きな本に囲まれているのは居心地がいいです」
また、書棚を眺めているとき「こんにちは」と声をかけてくれた木村美穂さん(31)。彼女は、先天的な脳機能障がいがある。特別支援学校から一度は一般の企業に就職したというが……。
「切り替えるのが下手なので、疲れちゃったり、うまくいかなかったりして。ここに来て、4年ちょっとですね。お仕事は、お掃除したり、シュレッダーしたりしています。チョキチョキと、大変だと、根気がいるなと思いました。ポップを描いたりもしています。今でもうまくいかないことがけっこうありますが、前の会社のときよりは泣かないで頑張っています。ファッションや美容が好きなので、そんな本で学んで、本当にできるかどうかわからないけど、いつかはオシャレ関係の仕事がしてみたいです」
本の案内にとどまらず、自らの夢を笑顔で語ってくれた。
書店名の「ててたりと」は、逆さに読むと「とりたてて」。“とりたてて意味はない”など、否定的な文脈で使われる「とりたてて」という言葉を、ひっくり返して命名したという。
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■「自分で気に入った本を読んでからポップを作るのは、やっぱり楽しい」
「ててたりと」では、書店員の個性に合わせて分業が行われている。その仕事の一つが、地元のコミュニティ局「FM川口」のラジオ番組への出演。毎週月曜のコーナーで、4〜5人の書店員が交代でお気に入りの一冊を紹介している。
家族愛をテーマにした本を紹介するのは田代朋司さん(59)。大手百貨店でバイヤーをしていた50歳のときに脳出血を発症。体に障がいは残らなかったものの、記憶力や注意力などが低下する高次脳機能障がいに。倒れたときは、20代前半を筆頭に4人の子供がいた。
「医師から、本来ならばあなたは死んでいました、と言われました。気がついたらベッドの上。何も覚えていません。長期記憶はあるのですが、短期記憶がないんです。10年前のことはなんとなく覚えていても、今朝何食べた、昨日何食べたという記憶はパッと消えてしまう。医師からも『治らないよ』と言われました。それまでは、酒もたばこもやっていて、家庭を顧みずに、ストレスの多い仕事をしていましたからね。妻は、病気になってからの僕を見て『コロッと変わった』と笑っています。不摂生な生活をやめたし、本など一冊も読まなかった人間が、読書して人に紹介していますからね」
田代さんが最近紹介したのが、家族の形態が17年間で7回も変わった17歳の少女が主人公の『そして、バトンは渡された』(瀬尾まいこ/文藝春秋)。《読み終えた時のすがすがしさは、きっと誰かに伝えたくなる物語だと思いました。ほっこりします。私も娘がおりますので、親目線で読んで感動しました》と紹介している。
働き盛りで生死の境をさまよい、障がいは残ったが生きている。4人の子供は田代さんがリハビリに励んでいるなか次々と独り立ちしていった。生活は妻が支えたという。田代さんがこう続ける。
「本を読むと、人間って、愛だなと思います。僕は、仕事、仕事だけで生きてきましたが、家族愛や友情を描いた本を読んで、人生にはもっと大切なものがあると思うようになりました。『ててたりと』と出合わなかったら、気づかなかったことでした。これから先、就職は難しいでしょうけれど、妻が運転する車で一緒に運送業などをやって稼げたらいいなと思っています」
田代さんのように、「ててたりと」で働くうちに個性が花開いた人も少なくない。
インパクトあるイラスト入りの手製のポップを手がける中嶋健さん(38)もその一人。発達障がいのある彼は、高校卒業後、父親をがんで亡くしたことがきっかけで精神的に落ち込み、別の就労支援施設に。そこでは、清掃や調理補助などの軽作業をこなしていたという。
「6年前からここで働くようになりました。それまで家では絵を描いていましたが、施設で絵を描いたことはありませんでした。こんなに絵を描くようになったのはここに来てからです。昔から美術系や建築系、あとは漫画が好きで大きな書店には行っていました。ここでポップを描くまでは、やりたいことやなりたい人とかなかったけど、今は、僕のポップを見て、本を買ってくれる人がいればいいなと思っています」
油性ペンを使い、大胆な色使いで本を紹介するのが中嶋さんのポップの特徴。たとえば、極寒の荒野の朽ちたバスの中で亡くなった青年の軌跡を描いた『荒野へ』(ジョン・クラカワー/集英社文庫)のポップ。背景にバスを描き《一人の恵まれた青年が、アラスカの大地にぽつんとあったバスの中で一人死んでいた。幸せであった青年に何があったのだろうか……全米ベストセラー・ノンフィクション》と文字を躍らせている。
「自分で気に入った本を読んでからポップを作るのは、やっぱり楽しいですね」
と、中嶋さんは人懐っこい笑みを見せた。
■「なにかお探しですか?」お目当ての本が見つからなくても温かな気持ちに
1月のある日の午後。いつも必要以上に書店員がいる「ててたりと」に20代の女性と、その母親らしき女性がやってきた。2人は書棚を見回し、目的の本を探しているようだ。
「なにかお探しですか?」
さっそく、看板娘で店内清掃や本の整頓を担当する知的障がいのある書店員が声をかける。どうやら2人は、子、丑、寅という十二支の順番ができた由来を描いた絵本を探しているようだ。
「じゃあ、こっちです」
と、看板娘は、絵本のコーナーに2人を案内する。そこにほかのスタッフも加わる。
「どんな絵本ですか?」
「牛の背中に乗ったねずみが、最後にちょこんと飛び降りて一番にゴール……みたいな。私が小さいときに読んでいた絵本なんですが」
20代の女性客は、子供に十二支のことを教えるために探しているという。
「どんな表紙ですか?」
別の書店員からも質問が飛ぶ。どうやら、お目当ての絵本『十二支のおはなし』(作:内田麟太郎、絵:山本 孝/岩崎書店)は在庫がなく、結局、取り寄せに。それでも満足そうな顔で20代の女性はこう語った。
「目的の本は、ショッピングモールの大型書店なら見つかるかもしれないし、アマゾンで注文すれば翌日に届くかもしれません。でも母からこんな店があるよ、と教えてもらい『ててたりと』に来てみたかったんです」
渡部さんが、「いい仕事したね」声をかけると、看板娘である書店員は、満面の笑みを見せた。温かな空気が漂う「ててたりと」。今日も色とりどりのポップとたくさんの書店員がお待ちしています。
(取材・文:山内 太)
【後編】「なぜ本屋さん?」障がいのある書店員が働く「本屋さん ててたりと」パン屋さんでもお菓子屋さんでもダメだった理由へ続く
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