競馬を愛し日本を愛するM.デムーロ騎手。そんな彼のJRA騎手免許試験合格が発表され、2月5日で節目の10年となる。イタリアからやってきた名手はときに人々にインパクトを与える勝利を手にしてきた。
ミルコ・デムーロ騎手は1979年1月11日、イタリア・ローマの生まれ。弟は日本での騎乗経験も豊富なクリスチャン・デムーロ騎手。94年に見習い免許を取得しデビュー。97年から00年まで4年連続でリーディングを獲得するなど、若くして頭角を現した。初来日は99年なので、日本との関わりは四半世紀以上。03年にはネオユニヴァースで皐月賞、ダービーの二冠を達成するなど、日本でもあっという間に、ファンや関係者に知られた存在になっていった。
以降も中央、地方の短期免許を取得して騎乗を続け、11年には日本を勇気づける勝利も見せた。東日本大震災が襲った2週間後、ヴィクトワールピサと挑んだドバイワールドCでは、トランセンドとの日本馬ワンツー。デムーロ騎手の「日本のために勝ちたい」という強い思いが通じた勝利だった。レース後は日の丸の旗を掲げ、その目には涙。今でも忘れらないシーンになっている。
そして、もうひとつ。天覧競馬として行われた12年の天皇賞(秋)では、エイシンフラッシュを勝利に導くと、ゴール後にメインスタンド前で突然の下馬。「何かアクシデントがあったのではないか」と周囲を心配させたが、デムーロ騎手は片膝を着いて跪座のかたちで天皇皇后両陛下に向かって最敬礼を見せた。この行動にはスタンドから大喝采が起き、今でも語り継がれる一場面だ。
15年にはC.ルメール騎手とともにJRAの通年免許を取得。同年にはドゥラメンテで自身2度目の日本ダービー制覇を果たすなど、118勝を挙げてリーディング3位に付ける。翌年以降もコンスタントに勝ち星を重ね、これまでにJRA通算1320勝。ルヴァンスレーヴやアドマイヤマーズ、オメガパフュームなどとのコンビで競馬界を湧かせてきた。
そんなデムーロ騎手は日本語が堪能で、日本食を好み、納豆も食すという。また、オフには自身の子どもに世話を焼き、優しいパパとしての姿も見せている。異国での生活にすっかり溶け込んだ。今後も末永く、日本での活躍を願いたい。