群雄割拠〜沖縄高校野球の現在地(4)
KBCの10年(前編)
KBC、日本ウェルネス沖縄、エナジックスポーツ、そして興南──。2024年夏の高校野球沖縄大会でベスト4が決まると、KBCの神山剛史監督は危惧を抱いた。
「よく周りから『勉強してないんじゃないか?』『学校にも行ってないんじゃないか?』と言われるんです。『そんなことはありません』と、もう10年くらい言っているんですけど......。ウェルネスもエナジックも準決勝に行ったので、今回もそう言われるのではないかと思いました」
昨年夏、沖縄の高校野球に吹いた新風は全国的にも関心を呼んだ。結局、古豪・興南が甲子園出場を決めたが、同年秋の九州大会で創部3年目のエナジックスポーツが準優勝を果たし、センバツ初出場を決めた。
「すごいな」とKBCの神山監督はそう感じつつ、「次こそは」と決意を新たにした。
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「エナジックさんが先に甲子園に行きましたね。でもKBCは、一歩一歩っていう感じで進んでいます」
【選手集めにもひと苦労した過去】
沖縄で高校野球に力を入れる新鋭私学が台頭するなか、その先駆けとなったのがKBCだ。10年前の2015年、KBC高等学院(※当時の名称はKBC学園未来高校。2024年に校名変更して現在の名前に)にスポーツコースを設け、野球部を設立した人物こそ神山監督だった。
「KBCは知ってるけど、デザインの学校でしょ?」
当時、学校の職員になったばかりの神山が選手の勧誘に奔走すると、そっけない対応を繰り返された。
学校法人KBC学園は1983年、那覇市に国際ビジネス専門学校を開校して以来、35年の間に7つの専門学校を創設。そのひとつのインターナショナルデザインアカデミーが、2007年に高校を新設する。2012年に愛媛県の未来高校と提携し、未来高等学校沖縄学習センターが開校された。
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一方、糸満高校で野球部主将を務め、九州産業大学で学生コーチを務めながら教員免許を取得した神山だが、福岡の一般企業で3年間勤務した。いずれ高校野球の指導者になりたかったが、大学まで野球しかやっておらず、視野を広げたかったからだ。
経営関係の仕事をしたあと、いよいよ夢に踏み出すべく沖縄県で高校の教員試験を受けたが、高い倍率に跳ね返される。それでも学校関係の仕事に就きたいと考え、KBCの商業科教員に応募した。
「KBCにも高校ができたので、野球部を始められるのではと思ったんです。プレゼンをさせてもらい、野球部を立ち上げましょうとアピールしました」
当時、KBCに在籍する高校生は40〜50人。通信制と全日制の混在する学校だった。
1年後の2015年に野球部を発足させる際、通信制と全日制のどちらがいいか。通信制なら月1回登校すれば、高卒の資格を得られる。2012年に長野県の地球環境高校が通信制では初のセンバツ出場を果たして話題になったが、月1回のスクーリングでは少ない。それより全日制の総合学科にスポーツコースを立ち上げたほうが、KBCの特色を生かせるのではと神山は考えた。
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「KBCはもともと専門学校なので、資格取得のノウハウは大量にあったんです。野球は午後からしっかりできるようにしつつ、県立高校にはできない、私立の特色をミックスすれば面白いのではと総合学科で立ち上げました」
【午後2時から野球に励める強み】
プレゼンの結果、学校からスポーツコースと野球部創設の了承が得られた。次は生徒集めだ。当然、うまく行くはずがない。
「ん? どこにあるの?」
中学校を回っても足蹴にされた。耳を傾けてくれる人に、自分たちの強みを訴えるしかなかった。
「午後2時から野球をできます。私立は文部科学省から認められ、体育の授業を野球に置き換えるなど、特色あるカリキュラムをつくれるんです」
神山自身は高校時代、野球に多くの時間を費やせるライバル校をうらやましく思っていた。2時から部活に励めることは、野球少年たちへのアピールポイントになるはずだ。
「学校に行かないんでしょ? 通信制でしょ?」
保護者は子どもの将来を心配したが、神山はKBCの実情と強みを丁寧に説明した。
「ウチには通信の学科もあります。でも野球部は総合学科で、朝からちゃんと勉強します。資格も取れますし、大学進学の出口指導もしっかり行ないます。かつ、野球の時間を県立高校より2時間ほど早くスタートできます」
1年間かけて沖縄県内を回り、2015年の野球部発足時には12人がやって来ることになった。神山は「奇跡の12人」と、今でも感謝している。
「理由として一番多かったのは、『先輩がいないので、夏の大会から試合に出られる。自分たちで何もかもつくっていけるのがいい』ということでした。逆に、それが不安で来なかった子もいます」
選手勧誘と同時に進めたのが、野球部の体制づくりだ。指導者がいなければ、グラウンドもない。誰も知らない新設校に選手を集めるには、実績のある指導者を据える必要がある。そう考えてリストアップしたが、人脈はなかった。
さらに、私立の総合学科スポーツコースで野球部がうまくいった前例はなく、学校経営陣からは「予算をそこまでつけられるかわからない」と制限を設けられた。
そんな折に適任者として浮かんだのが、実の父で、神山も糸満高校時代に監督として野球のノウハウを教えてもらった神山昂だった。那覇商業などで甲子園に通算3度出場した実績もあり、ちょうど宮古高校で再雇用を終えて沖縄本島に戻ってくるタイミングだった。
初代監督に父が就き、神山自身は部長に就任して2015年、KBC学園未来の野球部は発足する。2年間は練習場所を求めて転々とする日々だったが、神山と父が糸満出身だった縁もあり、同市の南浜公園多目的広場にある野球場を定期的に使えることになった。学校が資金を出して整備し、市民とうまく使い分ける条件でまとまった。
創部当初から掲げたのは甲子園出場。壮大な目標を目指して立ち上がったKBC野球部は2期生を迎えた2016年秋、1年生大会優勝という快挙を飾る。その中心が、2018年ドラフト5位でオリックスに入団した内野手の宜保翔だった。
つづく>>