闘莉王、大久保嘉人、ネイマール...元トップレフェリー西村雄一を成長させたレジェンド選手たち

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2025年02月10日 07:20  webスポルティーバ

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勇退・西村雄一が語る「23年間のレフェリー人生」(後編)

◆西村雄一・前編>>ワールドカップでの一発レッドカード「あれを見逃していたら...」

 サッカーの試合は、選手だけでは成立しない。

 ルールの遵守を促す審判員の存在が不可欠だ。そして、選手と審判は互いを高め合う存在である。

 Jリーグ、リーグカップ、天皇杯で通算688試合を担当した西村雄一にも、レフェリーとしての成長を促してくれた選手がいる。

 そのひとりが、田中マルクス闘莉王だ。

「ある試合で闘莉王さんのチームの若い選手が、僕に食ってかかってきたんです。その瞬間、闘莉王さんが間に入って、『ごめん、西村さん。俺があいつをコントロールするから』と言ってくれまして。

 チームの主軸で代表選手の闘莉王さんに言われれば、チームメイトは『ちゃんとやらなきゃ』となります。僕がマネジメントするよりも、チームのキーマンにマネジメントしてもらったほうが、試合はスムーズに進むということに気づかせてもらいました」

 レフェリーが1シーズンに同じチームの試合を担当するのは、1、2試合に限られる。5年でおよそ10試合、10年でもおよそ20試合である。その間に物議をかもすような判定がひとつでもあれば、それまで築き上げてきた信頼に傷がついてしまう。負けたら終わりのトーナメントのような位置づけで、西村はすべての試合に臨んでいったのだ。

「年数を重ねていくことで、闘莉王さんに限らず各チームの主軸の方々と、試合前に会話ができる関係になっていきました。『今日のゲームは難しくなるから、絶対に来てくれると思っていましたよ』と言われたこともあります。選手と一緒に試合を創り上げるというのは、こういうことなんだなと感じました」

 大久保嘉人との関わりも、西村の胸に刻まれている。

 警告数はJ1最多、退場数は同2位という元日本代表FWには、やんちゃなイメージがつきまとった。ところが、西村の印象は違うのである。

「僕自身も『あれ、どうなのっ!』と威勢よく言われたことがありますが、正直に『こうでした!』と伝えると『そうでしたか』とパッと引く。ズルズル引きずらない方ですね。

 嘉人さんは思ったことパンッと言っていただけるので、何も言わない場面は納得感が得られているのだなと、確証を得ながらゲームを進めることができました」

【選手の行動には必ず理由がある】

 もっとも、大久保のプレーを見定めるのは、簡単ではないのである。大久保へパスが出る前から、彼がパスを受ける前から、DFとのポジション争いが繰り広げられているからだ。

「パスが出てから嘉人さんを見るのでは、タイミングが遅いのです。実はDFに何かをやられたから、やり返しているということもあるかもしれません。選手は理由もなしにファウルはしないので、何か起きたらその前を見落としているかもしれない、ということも考えます」

 J1リーグで3年連続得点王となった川崎フロンターレ在籍時なら、パスの出し手となる中村憲剛らがボールを受けたあたりから、大久保の存在を意識した。その動きを視野にとらえた。

「動き出しのところで勝負している選手だと、嘉人さんや佐藤寿人さんには、かなり鍛えてもらいました。逆のパターンで、CBにも鍛えられました。たとえば、闘莉王さんや中澤佑二さんが相手のファウルをアピールしている時は、その前に何かあったのかなと。

 選手の行動には、必ず理由があります。それを見られるか、ですね」

 西村は国際主審としても活躍した。世界的なスーパースターとも、同じピッチに何度も立っている。

「外国籍選手は、レフェリーへのリスペクトを早い段階で身につけている選手が多い印象です。ですから、国際試合で悪態をつかれることはほぼありません。

 たとえば、2012年のロンドン五輪でブラジルの試合を担当しました。チームには当時20歳のネイマール選手がいて、彼からゲーム中にとても自然な感じで『Thank you,Ref!』と言われました。上から目線で何かをアピールするようなことは、まったくなかったですね」

 20年以上に及ぶレフェリーのキャリアで、心に刻まれた試合は数多い。

 審判員も表彰されるカップ戦のファイナルも、国内外で経験している。そのなかから、西村は2011年3月の震災復興チャリティーマッチを挙げた。彼にとって、日本代表の試合で笛を吹いた唯一の試合である。

【VARのデメリットとは?】

「日本代表が前半に2点取り、後半にJリーグ選抜の三浦知良さんが1点返したシーンが印象的です。その場面では、前線に残っていた闘莉王さんが口笛を吹いているんです。それに反応したGKの川口能活さんが素早く前線へ蹴り、闘莉王さんがヘディングで競り勝ち、カズさんが決めた。

 サッカーには勝ち負けがあるけれど、それを超える感動があると気づかされました。すべての人が喜ぶ瞬間に立ち会えた。レフェリーとしてサッカーに関わることを選んで、本当によかったと思うことができました」

 西村がレフェリーデビューした当時にはなかったものが、2025年のサッカー界にはある。VARと呼ばれるビデオ・アシスタント・レフェリーだ。日本では2021年から本格導入された映像によるレビューは、判定の確度を上げた。

「僕らのミスで選手の運命を変えることが、かなり少なくなりました。それは審判員が一番やりたくないことなので、VARのメリットです。

 もうひとつのメリットは、映像でレビューされることで、無用な、もったいないファウルがなくなった。CKで選手がつかみ合うような場面は、ほとんどないですよね」

 デメリットもある。

 パリ五輪・準々決勝の日本対スペイン戦で、細谷真大のゴールがVARで取り消された。

 ゴールに背を向けてパスを受けた瞬間、右足がほんのわずかにオフサイドポジションにあったという理由で、鮮やかな一撃が記録から消去された。待ち伏せを防ぐというオフサイドのルールから著しくかけ離れた解釈が、試合の行方に大きな影響を及ぼしたと言っていい。

「細谷さんは待ち伏せをしていないけれど、ルールを遵守するとオフサイドではないと言えない。ですが、それは本当に競技規則が求めているものなのか──という議論は行なわれていると聞きます」

 VARが運営される時代で、VARが導入されていないリーグもある。日本ではJ2とJ3は、主審、ふたりの副審、第4の審判員で審判団が構成されている。

 西村の表情に、険しさがにじんだ。

「ベンチの監督やコーチはタブレットで映像を確認できますが、審判団は確認できません。ですから、J2の試合を担当する際には、ベンチの主張が正しいケースが多いというスタンスで臨んでいました」

【一般社会でも重用されるレフェリー経験】

 J1とJ2では、プレーの質の違いもある。

「J1ではあまり起こらないミス、こちらからすると想定しにくいミスもあります。それもJ2を担当するうえでの難しさですね」

 かくしてJ2とJ3の試合会場では、「VARがあれば......」という嘆息が漏れることがある。ただ、J1からJ3までの全30試合で運用するとなると、VARとアシスタントVARを加えた6人の30セットで合計180人が必要となる。

 ところが、2025年のJリーグ担当主審と副審は153人だ。絶対数が足りていない。VARに必要なカメラを全会場に設置する費用も、かなりのものとなる。

「人員とカメラの台数を確保するのは、費用を考えても簡単ではありません」と西村も話す。そのうえで「他国ではVARの簡易版を運用する、という動きもあります」と付け加える。

 そもそもVARは、「最小限の介入で最大限の効果」を原則とする。さらなるテクノロジーがこれから導入されたとしても、審判員のマネジメント能力が選手、監督、観衆の納得感を左右するのは変わらないのだろう。

 西村が「実は......」と切り出す。選手や監督の心をほぐしてきた、あの柔和な笑みが広がる。

「サッカーの審判員の取り組みは、皆さんの日常に活用していただけるかもしれません。

 試合へ向けていい準備に努め、困難や難しい場面でも決してあきらめずに立ち向かい、最後までやりきる。次はもっとよくするために、自分に指を向けて改善に努める。一般企業にそういう方がいたら、きっと重宝されるのでは、と思うのです」

 トップレベルから退いた現在は、女子の試合を吹くこともあるという。「お願いできますか」と声をかけられれば、カテゴリーを問わずに「喜んで」と答える。審判マネジャーの仕事に必要なインストラクターの資格取得にも取り組んでいる。

「あの人、いつも前向きだね。なんかいいよね。なぜだろう? あっ、レフェリーやっているんだ、なるほどね──そんなふうに周りの方から思っていただける『人』になれたら。審判活動を通じて、人としてとても大切な『あり方』を学べると、僕は考えています。それは、トップリーグ担当から退いた今も、変わっていません」

 一期一会のプレーに触れたくて。

 そのすばらしさを伝えたくて。

 西村雄一はこれからも笛を吹いていく。

<了>


【profile】
西村雄一(にしむら・ゆういち)
1972年4月17日生まれ、東京都出身。サラリーマン生活を送りながら1999年に1級審判員となり、2004年から2014年まで国際審判員を務める。ワールドカップは2010年南アフリカ大会と2014年ブラジル大会で笛を吹く。J1、J2、J3、リーグカップ、天皇杯で計688試合を主審として担当し、Jリーグ最優秀主審賞は11度受賞。2024年12月にトップリーグ担当からの勇退を発表し、2025年からJFA審判マネジャーに就任した。

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