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2025年シーズンのサガン鳥栖はJ2を戦う。13シーズンも守ってきたJ1の座から滑り落ち、正念場を迎える。
現在の鳥栖は新たに時代を動かす力を必要としている。
その候補のひとりが、鳥栖U−18出身の生え抜きの18歳のストライカー、鈴木大馳か。2023年ルヴァンカップでは大会最年少ゴール(16歳7カ月10日)を決め、久保建英の記録を更新した。ターンひとつとっても、間合いやタイミングが非凡。昨季はチームの不振もあって、J1デビューするも4試合1得点に終わったが、主力FWが放出されたことで、むしろ今季は飛躍の好機だ。
では、新生・鳥栖はたくましく生まれ変わるのか。その質問をぶつけるに一番ふさわしいのが、豊田陽平だろう。
豊田は鳥栖時代にJ2得点王に輝き、クラブ史上初のJ1昇格へ導いている。その後も、5シーズン連続で15得点以上を記録(カップ戦も含めて)。10シーズンの在籍で鳥栖をJ1に定着させただけでなく、一時は優勝争いに参加させ、クラブ初のJリーグベストイレブンや日本代表にも選ばれるなど、脚光を浴びた。
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「サガン鳥栖の栄光=豊田陽平の活躍」――そんな等式が成立するほどだった。
豊田は昨シーズン限りで現役を退き、鳥栖にクラブスタッフとして戻ってくる。彼がいなかったら鳥栖の栄光はなく、同時に鳥栖という土壌がなかったら、豊田の成功もなかったかもしれない。それほどの"相似形"だ。
金沢で、「引退か、現役続行か」を最後まで迷っていた当時、彼に鳥栖の現状についての意見を訊いている。その答えは提言でも批判でもない。矜持のようなものだった。
「最下位のままで降格は残念で......正直な気持ちを言えば、意地を見せてほしかったですね。いてもたってもいられなかったというか」
そう言って唇をかんだ豊田が見据える鳥栖のあるべき姿とは?
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鳥栖が豊田というゴールゲッターとともに"栄光の時代"を過ごしたことは間違いない。
「自分は人に活かされる選手。王様、スター選手ではない。鳥栖のおかげでここまで来られたし、この町だから成長できたと思っています。鳥栖では、犠牲心を持てるか、隣の選手のために倍、働いたら、次は必ず助けてもらえるというか......。その結びつき、助け合いが大事なんです」
【「練習で100%やるのは当たり前」】
豊田はそう繰り返し、発信してきた。それが彼にとっての「鳥栖らしさ」なのだろう。
「鳥栖というクラブは、最後までみんなであきらめずに勝利をつかむのがいいところ。一体感というか、"お互いのために"という献身性というか。それが勝利にも伝統にもつながる」
その粘り強さが、試合終盤の逆転劇「鳥栖劇場」に結びついた。土俵際の強さだ。
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事実、2018年シーズンはリーグ戦で「降格間違いなし」と言われる状況から、蔚山現代から復帰した豊田がチームを決起させ、最後は5試合を3勝2敗と戦いきって残留した。2019年シーズンは最下位にまで転落したが、そこから巻き返しを見せ、降格を回避。そもそも、J1に居座り続けること自体、決して平たんな道ではなかった。
しかし昨シーズンのチームには、その粘り強さが消えていた。
「"どういうプレースタイルか"よりも、どういう姿勢で取り組んでいるのか。その土台が大事だと思います」
今回、豊田は率直な提言を口にしている。最近のプレースタイルの変化が降格理由ともされるが、クラブの旗印だった男はスタイルを支える土台の話をした。
「現場の選手や指導者は全力で戦っていたと思うんです。でも、厳しい言い方をすれば、練習で100%やるのはプロとして当たり前のことでもありますよね。それで結果が出ないなら、それ以外のところを見つめ直すしかない。たとえばピッチ外のことはどうなのかって。結果が出ないチームって、たとえばクラブハウスでスリッパを揃えなかったり、水浸しにしていたり......そういうのって、みんなでパスをつないでゴールをする、というサッカーの基本的なところで出てしまう。次の人を思えるか、というところで」
彼はプレースタイル云々よりも、信条やマインドの話をした。
「サガンは『砂岩』って言いますけど、それこそ自分も含めて、それぞれが驕らずに"砂の一粒"になって戦っていたと思います」
今でも鳥栖で愛される男は、あらためて当時をそう振り返る。
「僕がいた当時の鳥栖のサポーターは、そうしたチームの戦いを"見守る"というよさがありました。ブーイングとかはしない。それはJリーグで、たぶん鳥栖特有の環境でした。その美学で、僕たち選手は"支えられている"と感じていました。同時に、自分は責任を感じましたね。サポーターの思いを汲み取って、"全力で走らないと"って。おかげで積極的なチャレンジもできました」
その寛容さと自立心と責任感は、むしろ最先端の関係だったと言えるかもしれない。
「地域に愛されるのがクラブの選手として必須ですが、お互いを尊重した関係が鳥栖らしさにつながっていたと思います。選手は、"自分たちが何とかする!"と思って戦っていました。『罵声を浴びせられるのもプロで、ブーイングがあって当然』って意見もあるかもしれませんが、自分は、ともに戦っている選手がひどい言葉を浴びた時は嫌だったし、怒ったこともありますよ」
いずれにしろ、争いはどこにも行き着かない。
「いいところは残さないと。それは思います」
豊田はそう言って"願い"を込めた。新たな鳥栖の戦いに注目だ。