絶品カニと外湯めぐりで人気の城崎温泉 100年前の大震災を乗り越え、スタンプラリーに水着バスなど若旦那のアイディアでピンチを救った「共存共栄」の精神とは!?

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2025年02月22日 06:40  まいどなニュース

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大阪関西屈指の温泉地、兵庫県の「城崎温泉」©テレビ大阪

関西屈指の温泉地、兵庫県の「城崎温泉」。川沿いの柳並木が美しく、冬は「カニ王国」とも言われ、多くの観光客が訪れる温泉街ですが、この温泉街は旅館同士、横のつながりが強いという特徴があることをご存知でしょうか。100年前、大災害に直面した城崎町がどのように乗り越え、今の人気温泉街を作りあげたのか…その復興ヒストリーに迫ります!

【動画】かに王国・城崎温泉!オススメお手軽かにグルメ&城崎を揺るがした100年前の大震災

100年前、城崎温泉を襲った巨大地震が発生

街の中心を流れる大谿川(おおたにがわ)を中心に約80軒の歴史ある旅館が立ち並ぶ城崎温泉。まちづくり会社「湯のまち城崎」代表を務め、旅館つばき乃の会長である椿野仁司さんにお話を伺いました。

「街全体が大きな旅館・ホテル」という理念に則って今も栄えているそうで、城崎温泉駅が玄関、道路が廊下、旅館が客室、土産物屋が売店、外湯が大浴場という位置づけだといいます。基本的な精神は「共存共栄」で、およそ100年ぐらい前から受け継がれてきたのだそうです。この理念を誓ったきっかけは100年前の大震災が関係しているといいます。

大正14(1925)年5月23日、午前11時9分。城崎町を震源とするマグニチュード6.8の「北但大震災」が発生しました。広範囲に火災が発生し、城崎町の大半が全壊、全焼し、辺り一面焼け野原になったといいます。

町の人口3410人のうち、死者272人と人口の8%が亡くなるという絶望的な状況に、旅館西村屋の4代目の当主で前年に就任したばかりの当時の町長、西村佐兵衛は「湯が枯れない限り、城崎は復活できる」「これだけきれいさっぱり無くなったのだから、新しい温泉地を作る」と逆転の発想で町民を鼓舞。復興に向けて立ち上がります。

震災の教訓を生かし、火に強い町を目指す!

城崎では古き良き景観を守るため、鉄筋コンクリートの建築を避け、木造建築が軒を連ねている町を形成してきましたが、それが火の回りを早める原因となりました。

しかし、城崎といえば「木造建築」というこれまでの景観を守るため、町長が取った方法は鉄筋コンクリート製の防火壁、「火伏壁」を随所に作ること。さらに銀行、警察、郵便局などを鉄筋コンクリート製の建物にし、建物自体に「火伏壁」の機能を持たせました。

防火壁だけでは不十分と考えた町長は、今後自動車なども通ることを想定し、道路も拡張して余裕を持たせたほうがいいと考えます。そこで、住民から少しずつ土地を町に寄付してもらうことに。町の大半が全焼したからこそ可能な荒技ですが、必死で懇願し続けた結果、「町長が言うなら」と城崎町のすべての施設、すべての住民が土地の提供に同意してくれたそうです。

こうして車も通れるようになりつつも、震災以前の昔ながらの風情ある街並みで再建することができました。また水害対策として大谿川の拡張も行い、城崎温泉のシンボルである太鼓橋と柳並木はこの時に完成したといいます。

この震災復興をきっかけに町全体で「共存共栄」の精神が強くなったのだそうです。

その思いは現在にも受け継がれています。「自らの商売も大切だが城崎温泉を売ってなんぼというような意識があり、それがお客様を魅了する城崎の強み」と語るのは西村町長のひ孫にあたる西村屋旅館の西村総一郎さん。2025年は震災から100年に当たることから「北但大震災復興100年プロジェクト」を立ち上げ、未来を見据え、観光客にとってより快適な温泉街を目指しているそうです。

人気低迷の時期を支えたのは若旦那たちのアイデア

震災を乗り越えてきた城崎温泉。昭和中頃、観光レジャーブームが到来し城崎の温泉街も賑わいを見せていた。しかし、50年代に入ると主流は団体旅行になり、他の温泉地には大きく設備の整ったホテルが建設されて行きます。大規模なホテルや旅館を持たない城崎温泉は人気が低迷してしまいました。

そこで立ち上がったのが、若旦那たちの「二世会」(城崎温泉旅館経営研究会)。みな、都会で就職したのち、跡を継ぐためにUターンしてきた20代の若者たちでした。

先代たちが守ってきた城崎温泉の良さを守りつつ、観光客を呼び込む起爆剤はないか...。城崎温泉の魅力は7つある「外湯」だと考えた若旦那たちは、「七福神めぐり」になぞらえて、それぞれの湯にご利益を設けることに。こうして誕生したのが「外湯七福神スタンプ帳」。全てめぐった方には記念品をあげるという体験型のスタンプラリーはお客さんにも好評となりました。

さらに、温泉街には他にも課題が…。2月〜8月は閑散期に当たるため、夏にお客さんを呼び込むことが命題でした。その頃、昭和60年代は海水浴ブーム真っ只中、城崎温泉にも近い海水浴場があったので、若旦那たちは城崎温泉から海水浴場へ直行する「水着バス」を運行することに!

海で遊び終えたらバスで外湯へ直行という至れり尽くせりのサービスが人気となりました。バス会社もシートにビニールをしいて浜茶屋券をつけてくれるなどしてくれたそうです。

こうした取り組みで城崎に活気を取り戻すことに成功したのです。

今も受け継がれる「共存共栄」の精神

1300年前に道智上人が開湯して以来、湯治場として栄えてきた城崎温泉。湯治場の誰でも受け入れるという精神から外湯はタトゥーOKのため、海外からも注目を集め、外国人観光客数は8年間で45倍に急増。年間で国内外の観光客100万人を迎え入れている小さな世界都市となった城崎温泉を支える現在の「二世会」のみなさんにポイントを尋ねると「仲間意識が未来をつくる」ということ。

町の大半が失われた震災をチャンスに変えて町全体で乗り越え、さらに仲間同士のつながりで発展を続けている城崎温泉。カニのシーズンであるこの時期、絶品のカニ料理と温泉を堪能しに訪れてみてはいかがでしょうか。

番組情報

〇番組名
日経スペシャル もしものマネー道もしマネ
〇内容
『もしもの時』に備えるマネー道!マネー活用バラエティ!
〇放送日時
テレビ大阪 第1〜3日曜日 午後2時放送!放送終了後はYouTubeチャンネル、TVerで無料見逃し配信中。

(まいどなニュース/クラブTVO編集部)

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