
「僕がメイクを始めたころは、メイクをしている男性はほとんどいなかったので、周囲の視線が気になったし、抵抗感はめちゃくちゃありました。
でも今はすごく増えて、街を歩いていてもメイクをしている男性を普通に見かけるようになった。素敵だなって見ています」
そう話すのは、メイクアップクリエイターのGYUTAE(ギュテ・30)。美容系ユーチューバーとして知られ、SNSのフォロワーは240万人超を誇る。その人気は今やSNSにとどまらず、先ごろ初の写真集『FULL MOON』を発売。メイクで極めた美貌とともに、ジム通いで鍛えた肉体美を大胆に披露している。
「20歳〜30歳までの10年間を振り返って、当時の記憶を作品に落とし込んでいきました。これまでの僕の物語です」
メンズメイクのきっかけは東方神起のジュンス
メイクを始めたのは14歳のとき。憧れのアイドルがきっかけだった。
「東方神起のジュンスさんがソロデビューしたとき、ビジュアルが衝撃的で。メイクで印象が全然違ってた。男性でもこんなにメイクで変わるんだって、すごくびっくりしたんです。
僕は顔のパーツが小さいとか容姿にコンプレックスがたくさんあったので、自分もメイクをしたら変われるかもしれないと思って」
今から16年前のこと。メイクをする男性は少数で、地元の広島ではほぼ皆無の時代だ。
「見つかったらバカにされるんじゃないかという気持ちがあって、周りにバレないようにしていました。母のメイク道具をこっそり借りては、一人で楽しんでいた感じです」
高校卒業後、釜山(プサン)へ留学。両親共に韓国人で、自身も韓国籍を持つGYUTAE。半年間過ごした祖国での体験が、人生を変えた。
「韓国ではすでに男性もメイクをして街中を普通に歩いていたんです。その文化に影響されて、釜山にいるときは濃いめのメイクをしてました。解き放たれた気分でした」
20歳のとき広島のアパレルショップ『スピンズ』で働き出し、個性が一気に開花する。
「顔中ピアスだらけの人とか、いろいろな人がいる店でした。あのときが一番メイクが濃かったですね。白いコンタクトレンズをして、毎日ハロウィンみたいな格好で出勤してました(笑)」
だが店では一つの個性でも、一歩外へ出れば奇異の目で見られてしまう。「おまえキモ」「オカマなの?」と言われることもあった。
「自分がしたいことだからしょうがないって開き直ってました。でも母に『どうせメイクするならきれいにして』と言われて。そうか、メイクが下手だからみんなに笑われるんだと気づかされました」
海外の動画を参考に、メイクを徹底研究。自分の骨格に合う、美しいメイク術だ。
脱毛症で全身の毛がなくなってしまう
同時に、大きな悩みを抱えていた。18歳で発症した脱毛症との闘いである。
「最初は10円玉くらいだったので、すぐ治ると思って放置していたんです。でもだんだん広がって親にも隠せなくなって。当時は病院で治療していました」
|
|
日本有数という大学病院の毛髪外来に通院。毎週、通院のたび、ステロイド剤を脱毛箇所に注射する。その数200か所にも及び、泣きながら歯を食いしばって耐えた。
さらに副作用で顔と脚がパンパンに腫れた。それでも思うような結果は得られない。
「なかなか確立された治療法ってないんですよね。結局24歳のときに全身の毛がなくなっちゃって。眉毛がなくなったのはさすがにショックでした。絶望しましたね」
メイクスキルに磨きをかけ、一本一本手描きで自然な眉に。ウィッグは高校時代から愛用し、ヘアアレンジで好みのスタイルに仕上げている。
地元では目立つ存在だった。広島のオーディション番組に合格し、その後東京の大手事務所にスカウトされる。22歳で上京。特待生として、歌にダンス、演技のレッスンを1年間重ねた。しかし道は開かれず、アパレル業界に就職する。
「就職で区切りをつけたはずでした。でもどこかで自分を見つけてほしいという願望が消えなくて。仕事に身が入ってなかったんでしょうね。職場の人から『20年後、何をしてるか考えたことある?』と言われて、20年先まで続けるのはファッションではない、メイクだと思った。それで『店を辞めます』と言いました」
ニキビを隠すメイク動画がYouTubeで大バズり!
フリーランスとしてヘアメイクの仕事をスタート。YouTubeを始めたのもそのころで、当初は自身を売り込むための手段の一つだったと話す。
「クライアントさんにメイクスキルを見てもらうために動画を上げたんです。資料の一環という感じでした」
ちょうどコロナ禍に入るタイミングで、在宅時間ができ、動画の更新頻度も増えた。そんななか、バズりを体験する。
「ニキビをカバーするメイク法をアップしたら、すごい反響を呼んで。上京したばかりのころ、顔中ニキビだらけになった時期があって、そのときのケアを公開したものでした」
メイク法に始まり、ものまねメイクにコスプレメイクと、動画を出すたび注目は高まっていく。コロナ禍が明けるころには、SNSの収入が実際の仕事を大きく上回っていた。フォロワー数は右肩上がりで、一躍時の人となる。
「こんなに人生が変わるなんて。最初はユーチューバーになりたいなんて考えてもいなかったけれど、ネットってすごいですね。本当に激変です」
動画はメイク法にとどまらず、自身の全身脱毛症から過去のいじめ、セクシュアリティまで赤裸々に告白している。これもまた大きな反響を呼んだ。
|
|
「最初は言うつもりは全然ありませんでした。でもメイクを見てほしくて動画を上げてるのに、コメント欄が『何で眉毛ないの?』『恋愛対象どっちですか?』なんて質問ばかりで。ネットの記事でも間違ったことが書かれたりして、だったら自分で言ったほうが早いなと思ったんです」
自らのセクシュアリティを世間に公表
とはいえプライベートな問題であり、とりわけセクシュアリティは繊細な題材だ。
自身の性自認と性表現を男性・女性という二つの枠組みに当てはめないノンバイナリーで、性自認にかかわらず、性愛の対象が男性であるマセクシュアルだと告白した。
「公表してよかったです。あれ以降、すごく生きやすくなりました。どうなんだろうって目で見られているより、全世界に発信しているほうが僕にとっては楽だったので」
過去を振り返れば、心ない言葉を投げられ、異質な存在として排除されたこともあった。注目されれば、そのぶんアンチも生まれてくる。それでも自分を貫いてきた。
「僕は、気にしない、期待しない、自分は悪くないと思って生きています。
自分は悪くないというのは、何の責任も取らないという意味ではなくて、価値観が全員同じではないということ。受け入れてもらえないこともあるし、10人中10人から好かれるはずはない。その気持ちがベースにあれば、そんなに傷つくことはない。
アンチにしても、考えても仕方がないことは考えないようにしています。そこに使う労力があるのなら、自分の仕事を頑張りたいから」
30歳の節目を迎え、念願の写真集も発表した。この先、彼が望むものとは?
「自分のメイクブランドを出すのが夢。海外には男性がつくったメイクブランドがたくさんあるけど、日本はあまり見かけない。僕が最初の成功例になれたらと思っていて。僕の中ではずっと前からブランド名も決めていて、いつでも準備できてる感じです(笑)。
本当にメイクが大好き。これだけコスメが好きな男性は他にいないと思う。こだわりが強いので、あとは納得できるものができるかどうか。でもそんなに遠くはないと思います。楽しみにしていてください」
取材・文/小野寺悦子 撮影/吉岡竜紀(インタビュー)