「復興の証し、多くの人に」=大阪万博のシンボルに建材―福島県浪江町の木材加工会社・東日本大震災14年

1

2025年02月25日 14:01  時事通信社

  • 限定公開( 1 )

  • チェックする
  • つぶやく
  • 日記を書く

時事通信社

新工場の「福島高度集成材製造センター(FLAM)」の前で撮影に応じるウッドコア取締役の朝田英洋さん=2024年12月11日、福島県浪江町
 4月に開幕する2025年大阪・関西万博で、会場のシンボルとなる世界最大級の木造建築「大屋根リング」の建材製造を、福島県浪江町の木材加工会社「ウッドコア」が担っている。東京電力福島第1原発事故からまもなく14年。いまだ町の約8割が帰還困難区域のままだが、同社取締役の朝田英洋さん(57)は「リングは福島復興の証し。多くの人に復興を実感してもらいたい」と話している。

 「原発から上がる水蒸気が町の方に流れていくように見え、爆発の音も聞こえた」。同町内で4代続く製材会社を営んでいた朝田さんは、仕事場で激しい揺れに襲われ、避難所で原発事故を知った。避難指示を受け、県内外の避難先を転々とした後、福島市内に拠点を移したが、古里に帰還できたのは事故から6年後の17年だった。

 朝田さんは会社再建に奔走する傍ら、県の復興事業で木材加工工場を同町内に建てる計画が持ち上がると「浪江の林業を再生し、雇用を生み出したい」と参加を決意。18年に県内の同業他社と共同でウッドコアを創業し、21年には新工場も建設した。同社の高い技術力が評価され、万博の大屋根リングの建材製造も決定した。

 同リングには、品質が安定し、形の自由も効く集成材が大量に使われるが、集成材は接着に時間がかかり、量産が難しい。そのため同社は全国でも数少ない、短時間で木板を接着できる機器を導入するなどし、約8カ月間で、全体の約3分の1に当たる約6600立方メートル分の建材を製造したという。

 福島の林業復活を示すため、建材の半分以上に放射線量を厳しく管理した県産材を使ったが、浪江町の山林からは、いまだに木を切り出すことは難しいのが現状。それでも朝田さんは「浪江の木は間もなく木材として適齢期を迎える。使えるようになるまで守っていきたい」と力を込めた。 

取材に応じるウッドコア取締役の朝田英洋さん=2024年12月11日、福島県浪江町
取材に応じるウッドコア取締役の朝田英洋さん=2024年12月11日、福島県浪江町


集成材の説明をするウッドコア取締役の朝田英洋さん=2024年12月11日、福島県浪江町
集成材の説明をするウッドコア取締役の朝田英洋さん=2024年12月11日、福島県浪江町
    ニュース設定