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毎年1月末から2月上旬に開催されるカリビアンシリーズは、中南米各国のウインターリーグ王者を決める大会だ。メジャーリーガーが地元ファンの前で勇姿を見せる大舞台であると同時に、フリーエージェント(FA=自由契約)の選手たちがアピールするショーケースという色合いもある。
メキシコで今年開催された第67回大会のメンバー表を見ていると、懐かしい名前を発見した。プエルトリコ王者として出場した「インディオス・デ・マヤゲス」の一塁手で、2023年に西武でプレーしたデビッド・マキノンだ。
【復帰するチャンスを待っていたが...】
「(韓国のサムスンから)昨季途中にリリースされ、あと150〜200打席欲しくてウインターリーグに参加したんだ。そうしなければ、半年間も打席に立たずにスプリングトレーニングに臨むことになるからね」
アメリカ人のマキノンは2022年にエンゼルスでメジャーデビューを飾った翌年、西武に加入。127試合で打率.259、15本塁打という成績に加え、球場に通う"通勤電車"でファンと積極的に交流するなど、フレンドリーな人柄で人気を博した。
だが翌年は条件面で折り合わず、韓国のサムスン・ライオンズに移籍。新天地では72試合で打率.294を記録したが、4本塁打とパワー不足を露呈して、7月中旬に自由契約の憂き目に合った。
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「ヒットは出ていたけど、求められるような長打力は発揮できなかった。1年間プレーさせてもらいたかったけど、ベースボールはビジネスだから。僕をリリースすれば、球団はほかにプレーさせたい選手を連れてくることができる」
マキノンが所属球団をなくした頃、西武はどん底に沈んでいた。5月末に松井稼頭央監督を事実上の解任とした渡辺久信GMがチームを引き継ぐも、チーム状態はまるで上向かない。当然、古巣の苦境はマキノンの耳にも届いていた。
「ライオンズの苦戦する様子をチェックしながら、僕もつらい気持ちになっていたよ。復帰するチャンスを待っていたんだけどね(笑)」
じつは、マキノンは西武と接触を図ったと明かす。
「復帰できないかと交渉を持ちかけたんだ。でも、僕の望んでいたようにはならなかった。無茶苦茶な金額を持ちかけたわけではないけど......彼らは反応しなかった」
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マキノンは来日した2023年、推定年俸9000万円で西武と合意。そして翌年、サムスンと1億4000万円(契約金10万ドル=約1400万円、年俸90万ドル=約1億2600万円)で契約した。西武とマキノンの条件面の開きは、両チームの金額から想像できる。
一方で西武は2024年、ヘスス・アギラーと推定2億1000万円、フランチー・コルデロと同1億円で契約。二人はまるで活躍できず、大金をドブに捨てる結果となった。
マキノンが西武に加入したのは、森友哉がFAでオリックスに移籍したタイミングだった。打線の中心として期待をかけられ、残した数字は"助っ人外国人"として物足りなく映ったかもしれない。
だが近年、NPBでは極端な"投高打低"が続いている。2024年のパ・リーグで言えば、外国人打者で最もアベレージを残したのはネフタリ・ソト(ロッテ)で打率.269。同じロッテのグレゴリー・ポランコは打率.243、日本ハムのアリエル・マルティネスは打率.234。規定打席に到達したのはこの3人しかいなかった。
【韓国プロ野球は日本よりも厳しい】
外国人打者が活躍しにくい要因は各媒体で分析される一方、言葉の壁に阻まれる外国人選手の胸の内はなかなか語られる機会がない。マキノンは難しいシーズンを過ごしていたと明かす。
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「日本、韓国で過ごした数年は、プレッシャーを感じていた。チームが勝とうとするなかで、外国人選手は手助けにやって来ているわけだから、チームが納得する成績を残さないといけない。プレッシャーはかかるよね」
西武を退団し、2024年に移籍した韓国プロ野球(KBO)の環境はより難しかったと続ける。
「チームで唯一の外国人野手だったから。日本のように、多くの外国人選手がやって来るのとは違う。日本にはいいピッチャーがたくさんいるし、多くのチームでは柳田悠岐、近藤健介(ともにソフトバンク)、村上宗隆(ヤクルト)のようにいい日本人バッターがたくさんいて、常に外国人打者に負担がかかるわけではない。ドミンゴ・サンタナ(ヤクルト)のようにすばらしい打者もいるけどね。一方、韓国では外国人バッターは誰よりも期待される。日本とは環境的に異なるんだ」
初めてのKBOで好打率を残しながら、パワー不足によりシーズン途中で自由契約に。マキノンは自らの打撃を取り戻すべく、30歳で初めてウインターリーグでプレーした。
希望どおりに151打席に立ち、打率.269を記録。自分のスイングを取り戻せたことに加え、英語の通じる環境でプレーし、気持ち的にもリフレッシュできたと語る。
「自信を取り戻すことができ、プレッシャーからも解き放たれて再び野球を楽しめるようになった。僕は新しい環境や人々とうまくやっていくのは得意なほうだと思うし、機会が増えるたびにそのスピードは速くなっていると感じる。プエルトリコでもアメリカとの違いはあるけれど、みんな英語も話すから適応しやすかった」
プエルトリコのウインターリーグでは藤浪晋太郎(マリナーズ傘下)や松本晴(ソフトバンク)とも対戦した。
「藤浪からヒットを打ったけど、三振も喫した。ストライクを投げれば、彼はすばらしいピッチャーだね。松本からはヒットを打つことができなかった。速球がとてもすばらしく、変化球もより生きていたよ」
カリビアンシリーズに日本代表として出場した「ジャパンブリーズ」との試合では5打数2安打。ライトに流し打つバットコントロールに加え、レフト前の当たりでは打球の弾み方を見てセカンドを陥れるなど、相手のスキを突くプレーは健在だった。
「ありがとう。足は決して速くないけど、全力を尽くすスタイルは変わらないよ(笑)」
【寿司と焼肉が恋しい】
当面の目標はアメリカの球団と再契約し、メジャーリーグに復帰することだ。同時に、再来日も視野に入れている。
「日本でまたプレーする機会が訪れるといいね。十分にホームランを打つパワーはないから、韓国に戻ることはないだろうけど(笑)。僕の妻も子どもも日本が大好きだ。第二子が生まれ、今は4人家族になった。ただ、復帰するにはチームが必要だけど(笑)」
"助っ人"と言われる外国人選手は活躍の場を求め、「ジャーニーマン」と言われる者もいる。腕一本でキャリアを築けるのはプロ選手の特権である一方、それほど簡単なことではないとマキノンは語る。
「日本のチームメイトたちが懐かしいよ。外国人選手でいるのは変な感覚もあるしね。いつでもその場に戻り、再びプレーできるわけではないから。いつも新しいチームに行って自己紹介し、みんなと仲良くなる必要がある。常に"新人"であるのは大変だ。そろそろひとつのチームに落ち着きたいね。でもチームを移るのは大変であると同時に、すばらしい経験でもある。僕は韓国での時間を楽しんだし、日本も大好きだ。寿司と焼肉が恋しいよ。本当にいい時間だった」
マキノンはいつも献身的にプレーし、勝負強い打撃で得点を挙げ、取材ではユーモアを欠かさない。残した成績以上に、西武で愛された理由だ。筆者にとっても、マキノンは特別な取材対象だった。率直な胸の内を包み隠さず、ダイレクトに伝えてくれたからだ。ある意味、日本人選手よりコミュニケーションを図りやすかった。
西武ファンが今もマキノンを惜しむのは、真摯な姿勢が伝わってくるからだろう。同時に彼にとっても、ファンとの交流は特別な時間だったという。
「ライオンズファンのみんな、デビッド・マキノンは元気にやっているよ。日本で過ごすことができ、みんなに感謝を伝えたい。日本に戻り、またみんなの前でプレーしたいね。本当は去年復帰したかったけど、実現しなかった。君たちは最も応援してくれたファンだ。試合後に電車で会ってサインをしたり、遠征先に来てくれたりする姿はうれしかった。2023年は本当に楽しい1年だったし、またいつか君たちの前でプレーしたい」
バハ・カリフォルニア州を照らす太陽の下で再会を懐かしみ、撮影を終えたあと、「またどこかで会おう」とマキノンに伝えた。
「日本かもしれないな」
屈託のない笑みを浮かべて言うと、戦いを控えるベンチ裏に消えていった。