かつての名騎手と伯楽の引退/島田明宏

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2025年02月27日 21:00  netkeiba

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▲作家の島田明宏さん
【島田明宏(作家)=コラム『熱視点』】

 今週末の競馬を最後に、東西8人の調教師が現役を退く。

 村山明調教師以外の7人は、みな定年による引退で、そのなかに、騎手として3度リーディングとなり、JRA通算2111勝を挙げて殿堂入りした河内洋調教師がいる。河内師は、史上初の牝馬三冠馬メジロラモーヌの主戦騎手としても知られ、1980年代後半からの「第二次競馬ブーム」の主役となったオグリキャップが中央入りしてから7戦の鞍上もつとめた。

 名騎手の多くに共通していることなのだが、この人の悪口を、私は一度も聞いたことがない。誰からも慕われ、敬われていた。

 それに関して、デビュー前の1971年から85年まで師事した武田作十郎元調教師の「誰からも好かれる騎手になりなさい」という教えを守った結果なのかと訊くと、こう答えた。

「馬の上では嫌がられて、馬を下りたら好かれるようにと、武田先生の教えをぼくはそう解釈していました」

 馬に乗っているときは隙を見せず、容赦なく勝利を狙うので他馬の関係者には嫌われる――と考えていたという。しかし、実際はそうではなかった。

「あそこで河内さんが引いたから、レースが壊れなかった」といったことを他の騎手が話すのを何度聞いたことか。「騎手・河内洋」は、勝つことが至上命題であることを大前提としながらも、互いの安全を担保し合う騎手という職業において、他者も危険な状況に陥らないようレース全体をコントロールすることもできる名手だったのだ。

 また、「河内が東を向けば、田原は西を向く」と言われたほど熾烈なライバル関係にあった田原成貴元騎手が「日本一の美しさ」と評したように、流麗な騎乗フォームはすべての騎手にとってのお手本だった。

 自分たちの安全を誰よりも正確な「危険予知能力」により確保し、馬乗りのお手本でもあったのだから、悪く言う騎手がひとりもいないのも頷ける。

 騎手時代に出席したパーティー会場で、多くの関係者がグラス片手に場所を移動して立ち話をするなか、緋毛氈が敷かれた床几台に腰掛けたまま最後まで動かず、挨拶する人たちに静かに笑みを返していた姿は、あまりに決まっていて、かっこよかった。

 あの人が怒鳴ったり、声を荒らげたりするところをもちろん見たことがないし、聞いたこともない。

 騎手にとってのレースは「引き算」と考えていたようで、こう話したことがある。

「水を馬の能力として、それを一杯に入れたコップを持ってコースを走る。なるべくこぼさないでゴールするのが上手な騎手」

 馬の能力というのは上げることはできず、いかにマイナスを少なくするかが勝利につながる、と考えていたのだろう。

 サッカーボーイやダイイチルビーなど、脆さにもつながる気性面の難しさや激しさを持った馬の爆発力をフルに引き出し、凄まじいパフォーマンスを見せつけた。小さな扶助で大きく馬を動かす名手だった。

 騎手時代に21番人気のノアノハコブネでオークスを制した音無秀孝調教師も引退する。

 騎手としては一対一で取材をしたことはなかったのだが、調教師として2007年の皐月賞馬ヴィクトリーを管理していたころから何度か話を聞く機会を得た。

 オレハマッテルゼで高松宮記念を勝ち、GI初制覇を遂げた2006年は41勝、私が初めてインタビューした2007年は40勝と、当時からリーディング上位の成績をおさめていた。

「私がなぜ成績がいいかわかりますか。わかったら教えてください」

 そう本人に訊かれた。こちらを試す意図があったのか、それとも本当に無自覚だったのかはわからない。

 そのとき、私は何も答えることができなかったが、2000年に坂路小屋の前にできた角馬場で集団運動をするようになるなど、様々な工夫をしていたようだ。

 騎手としては通算84勝にとどまったが、調教師としては先週終了時でJRA通算996勝(うちGI・14勝)、地方と海外を合わせると1024勝もしている。

 本人は気にしていないとコメントしているが、あと4勝でJRA通算1000勝の大台となる。

 と、ここまで書いたところで、月刊フリーマガジン「うまレター」編集長の浜近英史さんからメールが来た。

 なんと、創刊以来取り引きしていた印刷会社が今月10日に倒産し、急きょ、他の印刷会社に依頼することになったため、配布が1週間ほど遅れるとのこと。であるから、毎月1日には競馬場などに置かれているのだが、次号は、目安として、3月8日ごろから本格的に配布されることになりそうだ。

 このところ、紙の値段が爆上がりで、文庫本で1000円を超えるものも珍しくなくなるなど、紙媒体をめぐる環境が大きく変わってしまった。倒産した印刷会社は大正元年創業の老舗だということを聞いて、余計に切なくなった。

 netkeibaのようなネット媒体はいつでもどこでも好きなときにアクセスできる手軽さがある。それとは別の、手にとって重さを感じてみたくなるもので、後戻りして何かを探したり、ぱっとひらいたところで予期せぬ文字や写真などが目に飛び込んできたりというランダムさのある本や雑誌のような媒体も、なくてはならないと思う。

 紙が高いのなら、薄いプラスチックだとか、エゾシカやイノシシなどを駆除しなければならないのならその毛や皮を原料にしたものとか、何か、紙とネットとの間に来てくれる新素材が開発されてくれないものか(余計に高くなるか)。

 当たり前にあると思っていたものが、ほとんど前兆を感じさせないうちになくなってしまうことが、このところ多すぎる。

 私が今使っている日本語入力システム「Japanist」のサポートも、来年6月には終了する予定だという。キーボードをまともに打てなくなったら、手書きに戻すしかない。となると、今より紙をたくさん使うことになるのか。その前に、編集者たちに嫌がられることは間違いなさそうだ。

 愚痴ばかりになってしまいそうなので、このくらいにしておこう。

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