写真はイメージ “野次は鉄火場の華”と言われたのも今や昔。ここ数年、特にコロナ以降は怒号に包まれるレース場はとんと珍しくなってしまった。
筆者が学生時代、初めて公営競技に触れたのは新宿の場外馬券売り場。レースが始まりゴール近くなると、場外売り場のビルが震えるほどのざわめきと野次が飛び交ったことを覚えている。モニター越しに騎手を罵倒するオヤジ、誰にむかって言っているのかわからないが大声で「ふざけんな、バカヤロー!」と絶叫する30代くらいの男性など、まさに鉄火場であった。
しかし、そんな野次も最近はあまり聞かれなくなった。客が上品になったのか、それともネット投票が主流になったために本場に人が来なくなったからなのか……。今回は公営競技と野次について、いろいろな人に話を聞いてみた。
◆選手に野次は届いているのか?
まず、そもそもの話になるのだが、観客の野次や声は選手に聞こえているのだろうか。聞こえているのなら、どう感じているのだろうか。筆者は以前、とあるSG優勝経験もあるボートレーサーに「観客の声はどのくらい聞こえるのか」と聞いたところ、そのレーサーは「むちゃくちゃ聞こえますよ(笑)」と即答した。
「レース場にもよりますが、待機行動中はかなり聞こえます。SGとかG1みたいなお客さんが多いレースだと何を言ってるのかわかんないんですが、断片的には聞こえますね。むしろダイレクトに聞こえるのは一般戦の午前中に乗ったとき。スローに入ると特に聞こえます」
では、そういった野次は気にならないのだろうか。
「慣れですかね。昔は気になることもありましたけど、言われてるなぁ〜くらいな感じですが、さすがに誹謗中傷レベルのことを言われるとイヤですね。あと、プライベートなことに踏み込んだ野次もイヤです。応援されるとやっぱり頑張んなきゃって思いますから、できればプラス思考になれることを言われたい(笑)。一度、とあるレース場で『おい、〇〇(※この選手の名前)、スタート集中しろ!』って名指しで言われて、ビッと気が引き締まってメイチのスタート決めて5コースから捲ったことがあります(笑)」
聞こえてはいるが、それを聞き流す胆力とプラスに捉える気持ちで野次に打ち勝っているということだろうか。とはいえ、「選手には聞こえている」ということは、我々ファンは肝に銘じておいたほうがいいだろう。
◆野次の殿堂、競輪界を変えたガールズケイリン
公営競技で最も野次が激しいといわれる競輪も、ここ数年は“健全化”が進んでいる。競輪記者歴25年のベテランスポーツ紙記者に話を聞いた。
「私が記者デビューをした2000年前後はまだまだ野次がすごかったですね。よく『昔の野次は愛があった』なんて言いますけど、それは嘘です。スタートラインについた選手に向かって大声でずっと暴言を吐き続けているおじさんとか普通にいましたから。でも、そんな人、今はもうほとんどいませんね」
この記者の考察によると、競輪が健全化した要因は、コロナとガールズケイリンの存在が大きかったという。文字通り鉄火場の華となった彼女たちの存在は、どのような影響を与えたのだろうか。
「コロナで大声出すのが禁止になったことはもちろんですが、客層の若返りと競輪にいなかった人たちの参入でしょうね。ガールズのファンって、ちゃんと応援するんですよ。スタートラインについたら、野次じゃなくて応援しますから。一般的な常識を持ってる人なら、そういう状況下で汚い野次はなかなか言えません。ガールズケイリンが始まったばかりの頃は『サドルになりたいな〜』など、気持ち悪いセクハラを言いまくるおじさんはいましたけど、今はもうだいぶ減ったと思います」
◆ミッドナイトの存在も大きい
さらに記者は続ける。
「ミッドナイト競輪の存在も大きいと思いますね。ミッドナイト競輪って車券を現場で買えないし7車立てで、一般のレースとは少し異なるレース形態になるんで、既存のおじさんファンはほとんど参入しなかったんです。そこに参入したのが若い動画配信者など。彼らは6番車をメロンと呼び、それまでの競輪の予想とは異なる予想や買い方をして、競輪に興味のなかった人たちをうまく引き込んでいったのです」
そしてミッドナイト競輪から始めた若者たちは、日中開催されるレースにも手を出すようになり、競輪は大きく客層を変えることに成功した。
◆元気に野次を飛ばしていた人も今ではオーバー60
こうした流れは他の公営競技でも同じことが起きているようだ。競馬雑誌編集者も同じ意見だ。
「野次がキツかったのって、00年代半ばくらいまでだと思うんです。当時の公営競技のメイン客層って40〜50代で、その人たちは今、60〜70代ですからね。もう、元気に野次を飛ばす年齢じゃないんです。今の若いコたちは平たく言えばおとなしいんですよ。SNSで常に他人の評価や炎上リスクを気にする世代ですから、そりゃ、公衆の面前で口汚く野次なんて飛ばすことはしなくなります」
◆SNSが野次を淘汰したのか
また、公営競技だけではなく、プロスポーツの現場でも野次は淘汰されつつあるようだ。スポーツ紙でプロ野球やサッカー・Jリーグの取材経験がある記者は、独自の分析をする。
「阪神ファンの野次がすごいとか、よく言われますけど、昔と比べると最近はおとなしいもんです。Jリーグなんて、応援したチームが負けてブーイングするとSNSで叩かれますからね。特にJリーグはちょっとお行儀が悪いとすぐに炎上します。中指立ててるヤツがいた、選手を口汚く罵ったとか、丁寧に動画まで撮ってSNSで晒されることも珍しくない。熱くなって迂闊なことをすると、SNSで総スカン。野次が淘汰されたのはマナーが向上したというのもあるけど、他人の目を気にしすぎるようになったってのもあると思うんだよなぁ」
◆野次がない世界を選手はどう見るか
どうやら野次が淘汰されつつあるのは、SNSの存在が多少なりとも影響しているようだ。誹謗中傷や心ない野次が減ったことは、選手たちにとっては概ね「いいこと」と認識しているようで、あるA1級のボートレーサーはこんなエピソードを紹介してくれた。
「公営競技の選手って、負けたりミスすると『何やってんだバカヤロー!』って言われるのが当たり前の世界じゃないですか。やっぱりお金を賭けられる存在なので、それは仕方ないとは思うんです。でも、やっぱり人間って叱咤よりも激励されたいんですよ。
デビューして間もない頃、アウトコースからとにかく握っていたんです。着も5,6着ばっかでダメダメだったんですが、蒲郡で5着だったときに『攻めっぷりはよかったぞ! がんばれー』って言われたのは本当に救われた。舟券に絡んでないし、たぶん僕の舟券も買ってないのに見てくれてる人がいるんだって。それからですね、自分は見られている存在だって意識してレースに臨むようになったのは」
◆「バカヤロー!」よりも「がんばれー!」
とにもかくにも、レース場やスタジアムで大声を張り上げると選手の耳にはけっこうな割合で届くのである。
選手やチームを愛するがあまりに、不甲斐ないミスを責めたくなる気持ちはもちろんわかる。そんなときこそ「バカヤロー!」ではなく、「がんばれー!」と声を張り上げてみてはいかがだろうか。
文/谷本ススム
【谷本ススム】
グルメ、カルチャー、ギャンブルまで、面白いと思ったらとことん突っ走って取材するフットワークの軽さが売り。業界紙、週刊誌を経て、気がつけば今に至る40代ライター