窪塚洋介を目指した先で【池袋駅・友誼食府】/カツセマサヒコ

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2025年02月28日 16:01  日刊SPA!

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挿絵/小指
ただ東京で生まれたというだけで何かを期待されるか、どこかを軽蔑されてきた気がする――そんな小説家カツセマサヒコが“アウェイな東京”に馴染むべくさまざまな店を訪ねては狼狽える冒険エッセイがスタート。願いは今日も「すこしドラマになってくれ」
◆窪塚洋介を目指した先で【池袋駅・友誼食府】

当時の池袋っていうのはつまり、窪塚洋介だった。

ドラマ『池袋ウエストゲートパーク』が放送された2000年、私は中学2年生という、人生で最も多感な海を泳いでいた。

同作に熱狂した私たちは、ドラマの聖地である池袋からほど近くに自分たちの学校があることを、勝手に誇りに思った。窪塚洋介は、池袋のストリートギャングのボス・キングを演じていて、それに影響された私たちは、学校帰りに池袋西口公園に寄り、数時間立ち尽くしてみたりした。

ギャルに声をかけられる未来を望んでいた。実際は、ヤンキーからのカツアゲに遭っただけだった。

ヤンキーに絡まれたとき、私の心臓はひゅんと小さくなり、確かに命の危機を感じた。

あれから25年近くたった。今更そんなことを思い出したのは、池袋駅西口から北口に向かって徒歩2分。訪れた裏路地で、突如暴力を振るわれてもおかしくなさそうな重々しい空気に触れたからだった。

周りの古い雑居ビルのテナントには、エロそうな店か、危険そうな店しかなかった。そんなエリアに用事があった。私は小さなエレベーターに乗り込み、4階で扉が開くのを待った。その先でマフィアの事務所が広がっていて、すぐに殺される未来を想像した。

しかし、実際にそこにあったのは、そっけないのに温かな、異国の灯りだった。

すべてが中国語と思しき言葉で書かれている、小さなスーパーマーケット。見慣れぬ食品や香辛料、店先に置かれたドリアンから発せられる、刺激的な甘い匂い。

ここが、今回の目的地「友誼商店」であった。

「池袋は『ガチ中華』が流行していて、とくに、中国や台湾の方々に人気の『友誼商店』は超名店なんですよ。知らないなんてダサいですよ」

担当編集が、打ち合わせの場でそう言った。私は窪塚洋介から「ダサいことすんな」と教わっていたので、黙って現地に足を運ぶしかなかった。

スーパーに入ってみると、店員さんもお客さんも、私以外はみんな異国の方たちだった。見たこともない野菜が売られていて、そのタグに「国産」の文字を見つけたが、ここでいう「国産」は日本と中国どちらを指すのか、しばし考えたりして過ごした。

スーパーに隣接している、小さなフードコートに寄った。「友誼食府」と呼ばれるフードコートでは、6つの小さな飲食店がテーブルを囲んでいて、どの店も料理写真やPOPを大量に店先に貼り出して、猛烈な主張を見せている。

突然の異国の空気に触れ、私は緊張した。真冬なのに大量の汗をかいた。

しかし、ここで何も食べないのはダサい、と自分の中の窪塚洋介が言うので、店員さんにどれが美味しいかを、恐る恐る尋ねてみた。

店員さんは、やや迷惑そうな表情をしたかと思うと、ぐるりとメニュー全体を指で囲って、それで終わり、という顔をした。

私は慌てふためいて、とりあえず視界に入った「バーワン」という料理を頼んだ。『千と千尋の神隠し』で千尋の両親が食べていたものと紹介されている。

初めて食べた「バーワン」は、デミグラスソ―スのかかった水餃子のような味と食感で、わりと好みと言えた。これで『千と千尋の神隠し』の世界を少し知ることができた、と一瞬安心したが、しかし、私にとっての池袋は窪塚洋介だったはずで、それがいつの間にか千尋の両親に擦り替わっていることに気づき、ほんの少し寂しくなった。

蛍光灯の明かりが、さらにそっけなく感じられた。エレベーターのむこうは、不思議の町でした。

―[いつだってアウェイな東京の歩き方 すこしドラマになってくれ]―

【カツセマサヒコ】
1986年、東京都生まれ。小説家。『明け方の若者たち』(幻冬舎)でデビュー。そのほか著書に『夜行秘密』(双葉社)、『ブルーマリッジ』(新潮社)、『わたしたちは、海』(光文社)などがある。好きなチェーン店は「味の民芸」「てんや」「珈琲館」

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