画像はイメージです僕は上京した18歳から26歳の現在に至るまで、仕事が続かず様々な職場で働いた。その中でも比較的長く働き、多くの経験をしたのがラブホテル清掃だ。
ラブホテルでの経験なんてせいぜい単調な清掃業務だけだろうと思われがちだが、実は面倒な場面も多い。例えば泥酔客の対処、部屋前でのコスプレなどの貸し出し、AV会社やオトナのお店からの電話対応など、細々と色々やらされる。
とはいえ、都内でも屈指の回転率の悪さを誇るであろうラブホテルだったので、平日のほとんどはお菓子を食べながら昼ドラをぼんやり見ているだけだった。そんな楽な環境にも関わらず従業員はほとんど定着せず、一部の古株社員を除けば僕が働き出してから退職するまでの2年間で残っていた人間はひとりもいなかった。はじめはなぜ人がやめるのか理解できなかったが、働くうちに段々とここにいてはいけないと考えるようになり、結局僕自身も退職に至った。
そんなどこか問題のあるラブホテルの内側を実際にラブホテルで起こった出来事や同僚を交えて伝えていきたい。
◆地元から離れた場所をバイト先に選ぶ理由は…
大型ショッピングモールまで遊びにいけば必ず知り合いがいるという認識は、地方出身の方なら何となくお分かりいただけると思う。働いていればなおさらだ。これを勝手に“イオンモール現象”と呼んでいる。僕はこれが嫌で田舎から上京してきたのだが、都内出身者にも同じ気持ちの人は多いらしい。
彼らはわざわざ実家の最寄り駅から離れた場所をバイト先や遊び場に選び、決して地元で昔ながらのコミュニティを温めようとはしない。僕の働くラブホテルにバイトで来ていた女子大生「光ちゃん」もその一人だった。
「仕事してるのとか遊んでるのとか、昔から知ってる相手に見せたくないんですよね。今より芋っぽかったんで」
髪の毛を蛍光色のオレンジ色に染め、なおかつ顔面はギャルメイクでばっちりキメた彼女は、制服姿で純朴そうな笑顔を浮かべる写真を僕に見せながらそう言った。彼女のそんな少し斜に構えた選択が自身のギャルメイクを涙でぐちゃぐちゃにする結果をもたらすとは、その場の誰も思わなかったことだろう。人生は残酷で皮肉、そして青天の霹靂の連続だ。
◆ムードメーカー的存在だった彼女の身に何が?
まず、僕の勤めていたラブホテルの構造について軽く説明させてほしい。あのラブホテルは少し変わった構造をしていた。フロントの奥に休憩室があり、休憩室にいる人間は監視カメラのモニターとガラス越しから自由に客の顔を見ることができた。それをいいことに僕らは客に好き勝手あだ名をつけて暇を潰していた。
光ちゃんはフロントスタッフだったため、特に客の顔がよく見える。この暇つぶしが気に入ったのか、毎日のように「千馬さん!あのお客さんムーミンでどうですか?」「あのおばさん“サチコ”って感じですよね」「色気狂いハゲがまた来ましたよ」など、来る客来る客にあだ名をつけて休憩室を賑やかしていた。あまり品のいい笑いではないのかもしれないが、日々閉塞したラブホテルの日常の中で、彼女はまさに従業員全員にとっての“光”だったように思う。
ある日、いつものように休憩室でそんな遊びをしているとフロントにいる光ちゃんの表情が文字通り凍り付いたのがわかった。声も明らかに震えている。
◆休憩室に居続けて、なぜか更衣室に行きたがらない
「5400円です……」
そう言って部屋代を受け取って鍵を渡した後、彼女はその場に突っ伏してしまった。どうしたのか聞くと、いち早く早退したいとのこと。さっきまであんなに元気そうだったのに。早退や欠勤した従業員を社長直々に叱りに来る嫌な文化があったため、ひとまず休憩室で休ませて様子を見ることにした。
結局仕事終わりの18時まで彼女はフロント業務をこなすことなく、休憩室で横になっていた。早退したがっていたくせに、何故か屋上にある更衣室にも行きたがらない。でも、その日は男だけが出勤していて誰も荷物をとってくることができないので、僕が彼女を半ば引きずるように更衣室に連れて行こうとした。
すると「お母さんが私にお金を渡して知らない人と部屋に入っていったんです……」と言うなり泣き出してしまった。なるほど、母親の不倫現場を見てしまったわけだ。更衣室には客室フロアを通っていかなければいけないから、今の時間では母親と鉢合わせる可能性があって休憩室から出られないのだろう。
◆知り合いに遭遇することは数あれど…
「お母さんは不倫なんかする人じゃなくて!!!」と叫び、泣きわめく彼女の背中をさすりながら話を聞いた。母親が料理上手な優しい人であること、父親とはいつも仲が良く言い合いすらしていたのを見たことがないこと、母親との思い出などをひとしきり聞き終わったころ、彼女の母親が若い男とフロントに鍵を返しにきた。その姿を見て、確かにそこにいたのは母親なのだと確信した彼女は、また一時間ほど泣き、背中を丸めて家に帰っていった。
聞く限り円満な家庭だったのだろうし、知らなくてもいいことを知ってしまった地獄のような苦しみは生涯彼女を傷つけ続けることだろう。
実際のところ、知り合いに遭遇してしまうスタッフは少なくないし、これまでに何人もいた。大学の同級生が入っていったとか、よく飲み屋で一緒になるおじさんが嬢と部屋から出てきたとか、従業員の間で時々話題にあがる話のネタだ。僕自身もダブルワークで働いていたコンビニの客をしょっちゅうフロントから眺めていたぐらいだ。だが、ラブホに肉親が知らない異性を連れて来たという従業員は今までいなかったし、この出来事以降も現れなかった。
◆不倫する母を直視した衝撃は、とてつもなく…
わざと自宅から距離のあるラブホテルをバイト先に選んだばかりに、同じく自宅から距離をおいて不倫に勤しんでいた母親に遭遇してしまうとは、なんとも皮肉な話である。
僕はその日の夜、メンタルケアの意味も込めて「僕は三兄弟なんだけど、3人とも不倫がきっかけで生まれたらしいから元気出しなよ!」と善意100%で彼女にLINEをした。本当に善意だったのだが、既読無視された挙句、次の日の朝にはブロックされていた。
結局その日を境に光ちゃんはラブホに来なくなり、会社の誰とも連絡もつかなくなってしまった。ラブホテルはフロントスタッフを失って慌ただしくなり、“光”を失ったことで以前のような閉塞感が戻ってきてしまった。せめて家族仲は良好なまま、彼女自身もここで見たことは忘れて元気に過ごしていることを願うばかりだ。
<TEXT/千馬岳史>
【千馬岳史】
小説家を夢見た結果、ライターになってしまった零細個人事業主。小説よりルポやエッセイが得意。年に数回誰かが壊滅的な不幸に見舞われる瞬間に遭遇し、自身も実家が全焼したり会社が倒産したりと災難多数。不幸を不幸のまま終わらせないために文章を書いています。X:@Nulls48807788