国営諫早湾干拓事業(長崎県、諫干)を巡り、潮受け堤防排水門の開門を認めない方向で司法判断が統一された最高裁決定が出て1日で2年となった。約20年に及んだ法廷闘争は一応の決着を見たが、有明海再生のために開門は不可欠との声は依然地元でくすぶる。国は2025年度以降、再生事業に総額100億円を積み増す方針を示すなど「非開門」の既成事実化を一層進めるが、「宝の海」再生への道筋は不透明だ。
続く赤潮被害
「これが色落ち。栄養がないからノリが伸びない」
2月下旬、諫早湾のすぐ北に位置する佐賀県太良町沖の有明海でノリ漁をする森田政則さん(62)は、海から引き上げた網に付いた茶色がかったノリを見てため息をついた。網を張って10日ほどが過ぎ、通常なら30〜40センチに伸びて摘み取る時期だが、毎年のように発生する赤潮の影響もあり、今年は10センチにも満たない。
森田さんは、諫干によって潮流が変わり、赤潮が増えて水質悪化が続いていると考えている。漁を取り巻く環境は年々厳しさを増しており、「40年前は約50人いた太良町のノリ漁師も今は5人に減った。自分は最後までやるつもりだが、どの漁師も厳しい」と肩を落とす。
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決定打欠く有明海再生事業
1997年に「ギロチン」と呼ばれた潮受け堤防で閉め切られて以降、有明海ではさまざまな異変が起きた。00年冬にノリが大不作となり、高級貝で知られる二枚貝のタイラギも収穫は激減した。
諫干との関係を指摘する声が高まり、農水省は02年に環境変化の原因を探るため1カ月弱の短期開門調査を実施。「有明海全体にはほとんど影響がない」とする結論だった。中・長期開門調査も検討されたが、諫干の直接的な影響を測ることが容易ではないことや、開門で干拓地の営農者に塩害被害が出ることなどを理由に、当時の農相が「開門調査に代わる方策を進める」と判断した経緯がある。
そこで農水省が力を入れたのが有明海再生事業だ。05〜24年度の20年間に年平均約15億円、計約300億円を投じて海底環境の調査のほか、タイラギの人工種苗の開発、アサリの母貝団地の造成などを進めてきた。ただ、漁獲高が上向く兆しはなく、漁業者や研究者らが「再生の象徴」と位置づけるタイラギは13季連続で休漁が続く。
「開門」「開門せず」割れた司法判断
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並行して続いたのが、法廷闘争だった。02年に漁業者が開門を求めて佐賀地裁に提訴したのをきっかけに訴訟が次々と起こされた。「開門」「開門せず」の相反する判決や決定が出て行き詰まった。こうした矛盾を解消したのが、23年の最高裁決定だ。開門を命じた10年の福岡高裁確定判決を無効化する判断を示し、司法判断は「開門せず」で統一された。
約半年後には、農水省は開門しないことを前提に新たな漁業振興基金を創設する案を福岡、佐賀、熊本の3県の漁協に提示。態度を保留していた佐賀県の漁協も支持することを決め、24年2月、農相に意向を伝えた。
これを受け、農水省は同年12月、「有明海再生加速化対策交付金」創設を発表。これまでの再生事業とは別に、25年度予算案に10億円を計上し、「今後10年間で総額100億円を措置し、漁場環境の改善を図る」との農相談話を出した。
佐賀県の漁協関係者は「原告となった漁業者の思いを無視するわけにもいかない。だが、このままでは有明海の再生につながらず、『苦渋の決断』が必要だった」と打ち明ける。
識者「再生目標と戦略もつべき」
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ただ、訴訟の原告となった漁業者らが現状を受け入れたわけではない。
1月に佐賀市で開かれた開門を求める市民団体らが主催したシンポジウムでは、出席したタイラギ漁師が「昔は漁港もにぎやかだったが、今は燃料代がかさむばかりで沖に出る船がほとんどない」と窮状を訴えた。漁業者側に立って訴訟に携わってきた堀良一弁護士は「再生事業は20年間うまくいっていない。100億円の加速化対策のゴールが何かも議論されていない」と批判し、開門も含めた議論の重要性を強調した。
農水省の担当者は「効果がないという声があるのも承知しているが、一部の海域でタイラギを確認できるようになったなど効果を実感する声もある。どちらが正しいかは取り組みを積み上げて振り返った時に分かるはずだ」と語る。
有明海の環境に詳しい佐賀大の速水祐一准教授(沿岸海洋学)は「再生事業は二枚貝の浮遊幼生の移動の解明や、タイラギの種苗生産技術の開発などで成果がある一方、海底耕うんなど効果が継続していない部分もある」と指摘。「有明海の問題が難しいのは根本的な切り札となる再生方策が見えないことだ。国は事業の効果を見極めながら、不漁となった原因解明を進めるとともに、漁業者支援や再生への取り組みをバランス良く行う必要がある。予算のばらまきを防ぐためにも地域住民や自治体全体が連携した再生目標と戦略をもつべきだ」と話す。【五十嵐隆浩】
国営諫早湾干拓事業
農地造成や高潮、洪水対策を目的に、農水省が1986年に有明海の諫早湾で着手した。97年に全長7キロの潮受け堤防で湾奥部を閉め切り、干拓農地と農業用水用の調整池を整備。総事業費は約2530億円で、2008年に完了した。干拓地の農地面積は666ヘクタールで、25年2月現在で37経営体が畑作をしている。干拓事業で国内最大級の干潟1550ヘクタールが消滅した。
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