「石巻を知るきっかけに」=宮城の呉服店経営者、こけし職人に―震災機に一念発起・東日本大震災14年

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2025年03月03日 14:02  時事通信社

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時事通信社

石巻こけしの絵付けをする林貴俊さん=2024年12月10日、宮城県石巻市
 車に乗ったこけしに鬼の形相のこけし。伝統にとらわれない形やユニークなデザインが特徴の「石巻こけし」は、宮城県石巻市の呉服店経営林貴俊さん(50)が、東日本大震災後の2014年から制作を始めた。「石巻のことを知り、訪れるきっかけになってほしい」。全くの素人からスタートしたこけし作りだったが、今では海外から注文が入るほど知られるようになっている。

 林さんはもともと、親の後を継ぎ、石巻市内で呉服店を営んでいた。震災前から商店街の人通りが年々少なくなる状況に「何か新しいことをしなければ」と思案していたところ、古里を震災が襲った。林さんの呉服店も津波で床上が浸水する被害を受けた。

 連日のように地元のことがニュースで報じられたが、内容は震災のことばかりで、もんもんとした思いを抱えていた。「石巻は震災だけかと言えば、そうではない。実際に見て、感じてもらいたい」

 震災の翌年、呉服店の仕入れで訪れた山形県西川町で行われていた工芸展で、これまで見たことのないキノコ形のこけしに出合い衝撃を受けた。「こんなふうに形を変えてもいいんだ。石巻っぽいデザインでやったら面白いんじゃないか」とひらめいたという。

 その後は東北各地のこけしに関するイベントに足を運んでは、作業の様子を見学。通信販売で買いそろえた道具を使って、独学で試行錯誤を繰り返した。

 たどり着いたのは、一般的なこけしよりも頭の形状がやや平べったく、海の青と魚の赤をイメージし、港町を想起させるような彩色を施したこけしだった。古里のことを知って、来てほしいとの思いを込め、名前に「石巻」を加えた。

 当初は「(こけし作りが)駄目なら、違うことをやればいいと思っていた」。制作活動は10年を過ぎたが、SNSでの発信をきっかけに、実際に石巻へと足を運んでくれる人や、米国やドイツなど海外からも注文が相次ぐなど、着実に知られるようになった。

 「多くの人たちとつながれたことはすごくありがたい」と笑顔で語る林さん。石巻の名を冠したこけしは今や、古里を発信する「顔」になっている。 

林貴俊さんが作った石巻こけし=2024年12月10日、宮城県石巻市
林貴俊さんが作った石巻こけし=2024年12月10日、宮城県石巻市
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