絶滅危機…国内わずか6ヶ所「デパートの屋上遊園地」が“名古屋で復活”のワケ。レトロ遊具も再登場

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2025年03月03日 16:21  日刊SPA!

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2014年に再開発のため閉園した松坂屋上野店南館(現・上野パルコヤ)の屋上遊園地。都心に残る屋上遊園地として知られており、閉園発表後は多くの人が写真を撮影していた(2014年撮影、写真:若杉優貴)
 昭和レトロブームの昨今だが、昭和の時代に「街なかの憩いの場」として親しまれた、昔ながらの「レトロ屋上遊園地」の閉園が止まらない。
 一昨年(2023年)には横浜高島屋(横浜市西区)の屋上プレイランド、スズラン百貨店高崎店(群馬県高崎市)の屋上遊園地、矢尾百貨店(埼玉県秩父市)の屋上遊園地が、そして昨年(2024年)には浜屋百貨店(長崎県長崎市)の屋上プレイランドが相次ぎ閉園。日本百貨店協会の加盟店舗数とかつてあった高層スーパーの数から推測すると、最盛期には全国各地に数百軒あったといわれるレトロ屋上遊園地はついに1ケタとなってしまった。

 そうしたなか、今年(2025年)3月には改装により休園していた松坂屋名古屋店(名古屋市中区)の屋上遊園が久々に復活。そのほかにも、近年は遊園地ではなくともリニューアルによってさまざまな活用方法が採られるデパートの屋上――デパオクが見られるようになった。

 今回は、かつては全国各地にあった「デパートの屋上遊園地の歴史」と、「デパオクの今」を辿っていきたい。

◆「デパオク」の始まりは明治時代!

 日本国内における「デパートの誕生」は、1904年12月に東京・日本橋に本店を置く「三越呉服店」が得意客に向けて(さらには翌年の1905年正月には新聞広告上で)呉服店から西洋風のデパートメントストアとして生まれ変わるという告知を華々しくおこなった「デパートメントストア宣言」にさかのぼる。

 明治の時代、それ以前から呉服店の「デパート化」は少しずつ進んでおり、1898年に大阪高島屋がショーウィンドウとマネキンを導入、1903年に白木屋日本橋店(のち東急百貨店に合併)が食堂などを備えた多層型の複合ビルを建設するなど、呉服店系商業施設の大型化・近代化の動きが起きていた。そうした「呉服店の大型化」のなかで生まれたのが「屋上遊園地」だ。

 早くも明治末期には日本橋三越本店をはじめ、日本橋白木屋(のちの東急百貨店日本橋店、現在コレド日本橋がある場所)、名古屋のいとう呉服店(松坂屋の旧名、当時は栄に立地)などが「ビル化」したことに合わせて屋上庭園を開設しており、のちに「デパオクの定番」となる簡単な遊具や商売繁盛を祈る神社、展望台が設置される例もあった。

 そうしたなか、現在に繋がるデパートの本格的な屋上遊園地となったのは、1931年に開業した「松屋浅草支店」(松屋浅草/専門店街エキミセとして現在も営業中)の屋上(8階)に設けられた「スポーツランド」だといわれる。

 この松屋スポーツランドはロープウェイや木馬といった電動の大型遊具からいわゆるアーケードゲーム、神社、さらにはミニ動物園までをも備えるもので、こうした本格的な屋上遊園地は戦争が激しくなる1930年代後半までに全国各地へと広がった。ちなみに、この時に松屋の屋上遊園地を手掛けた日本娯楽機械(のちニチゴワールド)は戦後も長らく一般遊園地や屋上遊園地などの遊具を手掛けていたものの、残念ながらコロナ禍の2020年に廃業している。

 このようなデパートの屋上遊園地・屋上庭園の広がりは、当初は富裕層のみをターゲットにしていた呉服店がデパート化し、そして社会が豊かになるにつれて家族連れや若者へと客層を拡大していったことがうかがえる出来事の1つであった。

◆おなじみのあの大企業、出発は「屋上遊園地」だった

 戦時中は殆どの屋上遊園地が閉園となったものの、戦後復興期から高度成長期にかけて屋上遊園地は再び活況を迎え、1970年代にはデパート(百貨店)のみならず総合スーパーやショッピングセンター屋上での開園も目立つようになった。

 屋上遊園地が増え続けるなか、商業施設の屋上遊園地やゲームコーナーを専門に手掛ける企業も増えた。実は現在のバンダイナムコHD(東京都港区)――ナムコの前身「中村製作所」も最初に手掛けたのはデパート屋上遊園地の木馬であり、屋上遊園地の拡大に伴い成長を遂げた企業の1つだ。

◆バブル崩壊、防災、耐震化、少子高齢化――さまざまな要素が重なり閉園へ

 高度成長期に全盛期を迎えた屋上遊園地だったが、1970年代後半になるとオイルショックに加えて、デパートやスーパーでの火災が頻発したことで避難設備・避難場所の設置が求められるようになったこともあり、屋上遊園地は早くも縮小の時代へと入った。

 それでも、バブル期前後には「企業メセナ(文化活動支援)の一環」「競合企業との差別化」のため新たに屋上遊園地を設けたとみられる例も少なくなかった。例えば、バブル期前後の再開発計画に合わせて多くの店舗を出店した百貨店「そごう」は、すでに屋上遊園地が縮小しつつあった1980年代から90年代でも多くの新店舗に屋上遊園地を設けており、さらに開園から間もなかった千葉県浦安市の大型遊園地をはじめとした全国各地のテーマパークのオフィシャルスポンサーとなることで、一部店舗の屋上遊園地にそうした「大人気テーマパークの意匠・デザイン」を取り入れて人気を集めた。

 実は、バブル期前後は旧・大規模小売店舗法(大店法)による大型店の出店規制・営業規制が厳しかった時代。このころの「屋上遊園地の拡大」の動きは、デパート・スーパー各社の「売場以外の施設を充実させて地域社会貢献の姿勢を見せることで有利な営業条件を得たい」「新規出店・増築が思うようにできないぶん売場以外を充実させることでライバル店に差をつけたい」という思惑もあったのだ。

 しかし、そのようにして生まれた新しい屋上遊園地も、バブル崩壊による「百貨店・総合スーパー不況」、さらには少子高齢化の進行もあって「合理化の対象」となり、減少の一途をたどっていく。

◆レトロ遊具の宝庫だったあのデパオクも

 21世紀になると、わずかに残った屋上遊園地は、「レトロブーム」もあって貴重な存在としてメディアなどで取り上げられる機会も多くなった。しかし、1990年代以降は各地で大きな地震災害が相次いだこともあり、老朽化した百貨店の建て替え・再開発、耐震補強工事などが活発になると、店舗の大規模補修に合わせて屋上遊園地も「閉園」となる例が相次いだ。

 例えば2013年には東急百貨店東横店(東京都渋谷区)と松坂屋銀座店(東京都中央区)、2014年には松坂屋上野店(東京都台東区)と阪神百貨店うめだ本店(大阪市北区)、2023年にはスズラン百貨店高崎店(群馬県高崎市)の屋上遊園地が大型再開発・店舗建て替えのために閉園したほか、2008年には福屋百貨店八丁堀本店(広島市中区)の、2019年には東急百貨店吉祥寺店(東京都武蔵野市)と丸広百貨店川越本店(埼玉県川越市)の屋上遊園地が、老朽化した建物の補修・耐震化工事をはじめとした改装リニューアル工事の実施を理由として閉園している。

 現在残る屋上遊園地も、多くが施設の老朽化や運営企業の後継者不足・人手不足などといった問題を抱えており、「今後も安泰」とはいえないところもある。

◆デパオク、「コト消費」「屋上緑化」で復活するか?

 昔ながらの屋上遊園地が減り続ける一方、近年は体験に価値を見出す「コト消費」が注目されるなか、スポーツ施設や文化施設を導入することで遊休資産となっていた屋上の再活用をおこなうデパートもみられるようになった。また、大都市圏を中心に行政によって屋上緑化の推進・補助事業がおこなわれていることもあり、屋上緑化に合わせて簡単な遊具やイベント施設、ミニ農園などを備えた新たなかたちの「体験型屋上庭園」が生まれ、屋上に子供たちの声が戻る例も相次いでいる。

◆昔なつかしい屋上遊園地が復活

 こうしたなか、今年(2025年)3月2日には、改装工事により休園していた松坂屋名古屋店の「屋上遊園」が全面リニューアルされて営業再開を迎えた。

 先述したとおり、松坂屋名古屋店の屋上は前身をたどれば明治時代から続く歴史あるもの。百貨店の館内にあるアートフロアとの連携がおこなわれるなど様々な世代が楽しめるようになった一方、なんと永年活躍してきたレトロ遊具たちも再登場。ふたたび昔なつかしい屋上遊園地の雰囲気が味わえるようになった。

 2025年時点で、この松坂屋名古屋店を含めて、昔ながらの大型遊具を備えた「レトロ屋上遊園地」は国内にわずか6ヶ所のみとなっている。もはや風前の灯火となってしまったデパートの屋上遊園地。今後、松坂屋名古屋店に続く「レトロ屋上遊園地の復活」はあるのだろうか。

<取材・文/若杉優貴(都市商業研究所)>

【若杉優貴(都市商業研究所)】
『都市商業研究所』。Webサイト「都商研ニュース」では、研究員の独自取材や各社のプレスリリースなどを基に、商業とまちづくりに興味がある人に対して「都市」と「商業」の動きを分かりやすく解説している。Twitter:@toshouken

このニュースに関するつぶやき

  • デパート�ǥѡ���の屋上は遊園地�����から庭園に変わって久しいですね。伊勢丹や日本橋三越の屋上が好きです。
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