最近、現代の木を用いることで知られる著名な建築家が批判されている。装飾に好んで使う木の部材が腐蝕したり、変色しているということに対し、“劣化”と批判の声が上がっているのだ。しかし、全国各地を取材して木造建築、もしくは木を外装に使った建築をいろいろ見てきた経験から言えば、突出して劣化しやすいとは思わない。
むしろ、批判されている問題は、木を使った建築であればよくある出来事だ。伝統的な木造の工法で本堂を再建した寺院でも、柱が割れたり、カビが生えたりしている事例はいくつも見ている。寺院などには杉や松などと異なり、腐食しにくいとされる檜や欅などの高級な木材が使われている。そんな建築ですら、トラブルに見舞われるのである。
木材を使った建築は、メンテナンスをしながら使っていくのが基本である。劣化と指摘されている建築のほとんどは構造が鉄筋コンクリートであり、木はあくまでも装飾のために用いているものだ。むしろ、場合によっては柱をまるまる交換する必要がある純粋な木造建築よりも、メンテナンスが楽なのではないかと思えてくる。
変色するのが問題という指摘もあるが、木材はそもそも変色するものだ。そして、日本人はそういった変色に味わいを見出し、愛でてきたのである。法隆寺の五重塔も完成した当初は柱も梁もピカピカだったが、長い年月を経て独特の風合いに変化した。雨や風に吹かれて木の色合いが変わっていく過程を、“劣化”と表現してしまうのは残念である。
確実に言えるのは、木造にしても、鉄筋コンクリート造にしても、メンテナンスを適切にやっていかなければ“劣化”は免れないということだ。日本の場合、建築を完成させた後にメンテナンスを十分に行っていない例が非常に多い。酷いケースでは、適切な管理もろくにせずにそのまま放置している事例まである。
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木はデリケートな部材であり、気候の変化に弱い。どうしても維持管理には手間がかかる。そのため、大規模な市庁舎の外装に木材を大量に使うのは確かに問題なのかもしれないが、それも発注者側が建築家に注文をつければ防げる事例だ。日本の発注者は建築家やゼネコンに全て任せてしまう例も多いのである。
繰り返すようだが、建築は木造にしても、鉄筋コンクリート造にしても維持するためには費用がかかる。完成して終わりではないのだ。法隆寺や薬師寺などの歴史的な寺院が残ってきたのは、最初から頑丈でメンテナンスが不要な造りだったからでは決してない。それぞれの時代の人々が費用を出し合い、適切な維持管理を行ってきた成果なのである。
建築を町の財産にするか、負の遺産にしてしまうかどうかは、結局のところ、その建築に関わる人々が愛情をどれだけ注げるかということにかかっているといえよう。
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