元プロもポテンシャルに太鼓判! 高校野球未経験、支援学校出身の18歳が独立リーガーに 「勇気を与えられる選手になりたい」

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2025年03月07日 10:21  webスポルティーバ

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 創設4年目の北海道フロンティアリーグに今年、異色のプロ野球選手が誕生した。工藤琉人、18歳。高校野球部に所属しなかったが、夢の独立リーグ入団を実現させたのだ。

「3年間のブランクがあるから、まずは1年頑張りたい。日本には支援学校に通う子たちもいるので、勇気を与えられる選手になりたいです。今まで僕みたいな野球選手はいなかったので、先頭を切っていきたい」

【元ロッテのクローザーも大絶賛】

 北海道出身の工藤は軽度の知的障がいを抱えている。直接話しても、事前に言われなければわからないレベルだ。

 小中と軟式野球チームに所属したが、進学先の日本体育大学付属高等支援学校(網走市)には野球部がなく、陸上部に所属した。第61回北海道障がい者スポーツ大会の陸上競技ではソフトボール投(障害区分27−少)で優勝、記録97m67は全国記録を6メートル以上も上回るほど高いスローイング力を誇っている。

 ポテンシャルに太鼓判を押すのは、ロッテで2000年代後半にクローザーを務めた荻野忠寛氏だ。

「工藤くんは高校1年生で球速130キロ近くのボールを投げ、バッティングも左打席からスタンドに放り込めました。当時は強豪校でも通用するレベルで、高校3年間しっかり野球をする環境があれば、大学や社会人で活躍する可能性もあったと思います」

 荻野氏は、知的障がいのある生徒が甲子園出場を目指せる土壌づくりを目的とする「甲子園夢プロジェクト」で指導した際、高いポテンシャルを感じたという。

 野球をあきらめられない工藤に願ってもないチャンスが訪れたのは2024年、高校生活最後の夏だった。『リーガ・サマーキャンプ』という、甲子園の地方大会で敗れた高校3年生が個人参加するリーグ戦が北海道で立ち上がったのだ。

 この舞台でアピールした石田充冴(北星学園大学附属高校)が同年秋のドラフト会議で巨人に4位、澁谷純希(帯広農業高校)が日本ハムに育成2位で指名された。

 一方、リーガ・サマーキャンプの7試合で打率.278、5打点を記録した工藤の道も開けた。「卒業後、独立リーグでプレーしたい」という記事をKAMIKAWA・士別サムライブレイズの球団関係者が見つけ、入団に至ったのだ。菅原大介球団代表が明かす。

「2025年は在籍する選手の道内出身率を高めようという目標を掲げ、いろんな情報を集めている頃に出会いがありました」

【球団は二刀流挑戦も視野に】

 球団は9月中旬に学校を通じてコンタクトし、オンラインでの家族や本人とのやり取りを経て、10月に士別でトライアウトを実施。菅原代表は想像以上の好印象を受けたという。

「監督や選手とのコミュニケーションに重きを置いて見ると、普通の元気な高校生という感じでした。すごく印象に残ったのは、野球をやりながらキラキラしていたことです。少し肩を痛めていたようですが、影響ないくらい勢いのある球を投げていて、ピッチャーとしてすぐに使えるのではと。外野手としては肩も強いし、足もある。守りでは硬式球への慣れが必要と感じましたが、『2カ月くらいあれば、モノになるのでは』と球団の指導者は話していました」

 工藤は本来、打撃が持ち味の外野手だ。球団が投打の二刀流で考えているのは、実戦での判断が必要になるからだという。菅原代表が説明する。

「起用法は監督に一任していますが、実戦でサインが出た際や塁間で判断を求められた時にどこまでできるか。学校の先生や保護者からは、『普段は問題ないけれど、どうしても落ち込んでしまった時などに判断力に影響が出る』という話がありました。そうした場合のリカバリーを注意深くサポートする必要があるので、監督とは『ピッチャーから始めたほうが、チームに入りやすいのでは』と話しています」

 対して、工藤は野手一本を希望している。

「僕は上を目指しています。外野もやりながらピッチャーとして投げるなんて、NPBでもいません。(大谷翔平さん?)あの選手は例外です(笑)。二刀流は、そんなに簡単なことではありません。自分としては外野で生き残りたい」

 独立リーガーになれた時点で快挙だと周囲は喜ぶ一方、工藤はその先を見据えているのだ。

【指先の感覚がない】

 昨夏のリーガ・サマーキャンプでは12日間、周囲の選手たちと共同生活を問題なく送ったが、士別では拠点を置いて生活していく。球団独特の環境が「ウィズ・キャリア」だ。チームの練習が行なわれるのは15時から17時で、その前にはシーズン中でも仕事をする。菅原代表が社長を務めるイトイグループホールディングスで、建設、介護、飲食などの業務にあたるのだ。

 NPBのドラフトに即戦力や有望株を送り出している四国アインランドリーグPlusやBCリーグと比べ、創設4年目の北海道フロンティアリーグはレベル的に劣る。7割以上の選手が本州から野球を続ける機会を求めてくるなか、「地域の担い手」や「移住定住者の促進」をいかに増やしていけるか。それらがリーグのミッションだ。

 当初、工藤は働きながら野球をすることに難色を示したという。彼には独自の事情があるからだ。

「身体的に指先の感覚がないんです。士別でのインターン中にもあったけれど、土木の仕事で縁石を運んでいる時、指をはさんだことに気づかず流血していました。結局、野球は指先でリリースするじゃないですか。土木の仕事は楽しかったけれど、ケガして野球をできなくなったら怖いという気持ちのほうが強くて......」

 昨夏のリーガ・サマーキャンプでは不利を感じさせないプレーを見せたが、小学生の頃は苦労したと振り返る。指先の感覚がないために送球のコントロールをうまくできず、リリースポイントもつかめなかったというのだ。中学入学のタイミングで動画を撮影して研究し、徐々にコントロールできるようになったと明かす。

 ちなみに、工藤はこの事実を周囲の選手に言っていない。「そこを言い訳にしたら、やっていけないという気持ちがあるから」だ。もちろん、士別のマネジャーには伝えたうえで、独立リーガーとしてチャレンジする。

 仕事の配属はこれから決まるが、菅原代表によれば、2日半の建設業のインターンでは「ハキハキしていて、社員の反応もすこぶるよかった」。入団1年目の選手たちは入寮するルールで、一緒に働きながら野球をプレーする。

【チームにとっても大きな挑戦】

 工藤が夢の第一歩を踏み出す一方、球団を含むイトイグループにとっても大きな挑戦になる。

 本拠地を置く旧朝日町(※2005年に士別市と合併)は人口約1000人という規模のなか、2023年12月にブレイズアカデミーという小中学生のジュニアチームを立ち上げた。地元の少年野球チームが解散するなか、子どもたちに活躍の場をつくろうと立ち上げ、市内外から約50人が参加している。そうしたジュニア選手を含め、工藤は希望の星になるのではと菅原代表は期待を寄せる。

「エンタメの少ない地域ですが、選手たちは地域のおじいちゃん、おばあちゃんの推しになり、差し入れをすごくいただきます。煮物や漬物、混ぜご飯、おでんなどを鍋で持ってきてくれ、昔の日本を見ているようです(笑)。おそらく、工藤は相当応援されるのではないでしょうか。彼を追う選手もたくさんいると思います」

 高校時代に大好きな野球をプレーできなかった工藤だが、陸上部に在籍しながら「野球のために」とウエイトトレーニングに励み、パワーアップを果たした。そして母親が見つけてくれたリーガ・サマーキャンプというチャンスを生かし、夢を実現させた。

「リーガでは初めて会った選手たちとチームを組んで野球ができ、これからも頑張ろうと思いました。プロ(NPB)に行った子もいるし、負けないようにこれからも努力していきます。家族のおかげでリーガに参加でき、独立リーグにも入れたので、そういう感謝をプレーに込めていきたいです」

 努力と幸運の巡り合わせで夢の独立リーガーになれた工藤琉人は、この先、どんな活躍を見せてくれるだろうか。楽しみな挑戦が、もうすぐ始まる。

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