自作のダンボール製エンジェルギターを抱えるゆっきーさん 2025年の元日、Xであるポストが話題になりました。
「32歳独身女性、元旦暇すぎるがあまり、実家の庭で高見沢さんごっこしてみた 私レベルになると、高見沢さんのギターが自宅にあるんですよ。(ダンボールです)」
日本庭園のようなお庭でポーズを決めているのは、THE ALFEEのファンであるゆっきーさん(@yukkiy_daccha)。
彼女が抱えているのは、2024年末の『NHK紅白歌合戦』でTHE ALFEEが「星空のディスタンス」を披露した際、リーダーの高見沢俊彦さんが使用していたエンジェルギター「Ultimate Archangel II」!
……ではなく、エンジェルギターを模したゆっきーさん手づくりのダンボール製ギターです。
常軌を逸したゆっきーさんの“ALFEE愛”が興味深いので、ご本人に話を聞いてみました。
◆ダンボールギターを見た高見沢さんが絶叫「なに、これー!?」
――ポストを拝見しまして。
ゆっきー:すみません、バカなことをして(笑)。
――いやいや、すごく素敵だと思います(笑)。そもそも、なんでギターを自作しようと思ったのでしょう?
ゆっきー:高見沢さんが出演している『高見沢俊彦の美味しい音楽 美しいメシ』(BS朝日)という番組にゲスト出演したコミックバンド・四星球(スーシンチュウ)のまさやんさんが、ダンボールギターをつくっていたのがきっかけです。
それを見て、「私もエンジェルギターをダンボールで作ったら楽しいんじゃないかな?」と思い、「Ultimate Archangel I」(「Ultimate Archangel II」の先代モデルにあたるエンジェルギター)をつくってみました。
製作作業はすごく楽しくて、そのお礼を言おうと「おかげで楽しい時間が過ごせました」というメッセージをダンボールギターの写真と一緒にまさやんさんへDMで送りました。
返事なんて期待していないし、一方通行のファンレターのつもりだったんです。すると、まさかの返信をいただいてしまって(笑)。
実は、偶然にも四星球が再び番組に呼ばれていたタイミングだったんです。そして、「スタッフさんに写真を見せたらすごく反応が良かったので、番組で取り上げさせてください」と。
――ゆっきーさんがつくったエンジェルギターが、高見沢さんご本人に届いたわけですか?
ゆっきー:はい! 高見沢さんには写真だけ見てもらったんですけど、「えーっ、なにこれ!?」と目を見開いて驚いていました。
もう夢かと思って(笑)。本当に、そんなつもりはなかったので。つくっているときは高見沢さんに見てもらえるなんて1ミリも思っていなかったです。
――高見沢さんが驚くほどの出来栄えだったということですね。
ゆっきー:でも、私はすでにこのギターに見慣れていたので、驚かれたときに逆に驚きました。「そんなにびっくりすることを私はやったんだ」って(笑)。
◆「これは私への挑戦状だ!」と製作を決意する
ゆっきー:Iのダンボールギターの画像をXに上げたとき、フォロワーの方々からは「すごいね」と言ってもらえたんです。でも、私のなかでは「もっとできたんじゃないか?」という心残りがあって。
――なにが足りなかったんですか?
ゆっきー:「Ultimate Archangel I」はTHE ALFEEのライブに初参戦したご新規さんがびっくりする、高見沢さんの代名詞的なエンジェルギターです。
どの部分にびっくりするかというと、ギター本体が光るところ。でも、私はギターを光らせられなかったんです。そんなことできるわけないと思っていました。とりあえず、この複雑な形が再現できれば及第点じゃないか?って。
その後、2024年夏にKアリーナ横浜で開催された「50年目の夏祭り」のステージで、高見沢さんがしれっと新しいエンジェルギターを持って出てきたんです。
――ファンは「あのギター、見たことない!」と気づいちゃうわけですか?
ゆっきー:最初、私は「いつものギターかな」と思っていました。でも「なんか、今までと違うなあ」と思って双眼鏡で見てみたら「あれ、新しくない!?」と気づいて。実は、それが後に高見沢さんが紅白で使用した「Ultimate Archangel II」初お披露目の日でした。
この瞬間、直感的に「これは作んないといけないやつだ!」「私への挑戦状だ!」ぐらいの気持ちになってしまったんです。
――挑戦状(笑)。こんな複雑なギター、どうやってつくったんでしょう?
ゆっきー:高見沢さんのギターのメーカー・ESPさんのホームページに「Ultimate Archangel I」の大きさが紹介されているんです。そこから縮尺を自分で計算し、羽根の長さやギター全体の大きさをまずは決めました。
その後、「こうやってつくろう」というなんとなくの設計図をiPadで描いて、「何センチの段ボールを用意すればいい」など設計図で決めたとおりにつくっていきました。ダンボールの下絵はフリーハンドで描きました!
――細かい羽根の部分は?
ゆっきー:1枚1枚、フリーハンドでダンボールを切って羽根をつくり、木工用ボンドで貼っていきました。Iをつくったときに「もうちょっと立体感が欲しいな」と思ったので、IIは細かい羽根がよりたくさん貼ってあります。
そこから光るようにLEDをつけ、強度が不安な部分はダンボールを足してガムテープで補強しました。裏側から見ると、こうなっているんですけど。
――おおーっ、苦労の跡が!
ゆっきー:すっごく大変でした。拡大コピーではなく、全部フリーハンドで本物の写真とにらめっこしながらつくったので。
――2台を横に並べて見比べるとよくわかります。難易度が上がっているし、ゆっきーさんの技術も格段に向上していますね。
ゆっきー:「人間って進化するんだな」って私も思いました(笑)。
◆出来栄えには満足していない
――ダンボールギターのクオリティを見るととても素人の腕前とは思えないのですが、なにかものづくりのお仕事をされているのですか?
ゆっきー:いえ。私は全然違う仕事をしていて、工作は小学生以来だから約20年ぶりです(笑)。
――ちなみに、製作にはどのくらいの日数を要しましたか?
ゆっきー:Iのほうは2024年4月から作業を始め、5月の頭には完成しました。とは言ってもずっとギターづくりに集中していたわけじゃなく、仕事をしながらの1ヶ月です。
IIのほうは2024年9月に作業を始め、仕事が忙しかったので完成したのは11月の中頃でした。でも、実際の作業時間はIのときとほとんど変わらず、だいたい1ヶ月弱ほどです。
――結構、早くできるものなんですね。
ゆっきー:たぶん、皆さん同じぐらいの早さでつくれちゃいますよ。私自身、それほどすごいことをしたとは思っていなくて、その気になれば皆さんもできると思います。
――Iをつくったときに「もっとできたんじゃないか?」と思ったそうですが、その心残りはIIの製作で払拭されましたか?
ゆっきー:う〜ん、ある程度はですね。やっぱり、IIについても「もうちょっと、こうすればよかったな」という心残りはあります。
高見沢さんが持っている本物はボディとポジションマークの部分が光るのに、私のギターが光るのはボディだけなんです。「もうちょっとこうすれば、ポジションマークも光ったんじゃないかな」という後悔は、私のなかにあります。もう少し工夫すればできたはずなのに……。
――ダンボールギターの3代目をつくるときは、ぜひその部分にも挑戦してください!
ゆっきー:ダンボールギターをつくるのは大変なので、いつかは……(笑)。
◆小学5年生で高見沢さんに一目惚れ
――32歳のゆっきーさんがそこまで熱烈な“高見沢ファン”になった経緯が興味深いです。きっかけは?
ゆっきー:出会いは小学5年生のときでした。
当時、THE ALFEEがアニメ『ドラえもん』(テレビ朝日系)のエンディングテーマ「タンポポの詩」を歌っていて、その曲がすごく心に残ったんです。
「諦めないで頑張り抜く」「雨にも風にも負けないタンポポのように」という歌詞が、本当に私を励ましてくれて。
――その歌詞は高見沢さんが書いたんですか?
ゆっきー:そうです。作曲も高見沢さんでした。ただ、私はどんな人が歌っているか知らなかったんですね。それまで、THE ALFEEを知らなかったんです。
そしたらある日……昔、『ドラえもん』をやって、『クレヨンしんちゃん』をやって、8時から『ミュージックステーション』をやる流れがありましたよね?
――テレビ朝日、金曜の黄金の流れですね!
ゆっきー:その流れで、『ドラえもん』を見て『クレヨンしんちゃん』を見て「ドラえもんの歌、いい歌だったな」と思っていたら、ある日、『ミュージックステーション』にTHE ALFEEが出てきたんです。そこで初めて見た3人が、もう衝撃で!
――どう驚いたんですか?
ゆっきー:「王子様がいる!」って、高見沢さんに一目惚れしてしまいました。夜も寝られないぐらい好きになっちゃって! 私にとって、ほぼ初恋です。
――小学生が高見沢さんに一目惚れ! たしかに、あのルックスは現実に現れた王子様ですよね。
ゆっきー:お母さんに「ちょっと、テレビに王子様いたんだけど。私、もうあの人と結婚するわ」ぐらいの勢いで思いを伝えたんですね。もう、「結婚、結婚!」みたいなテンションになっちゃって。そしたら、母のほうはそんな私にショックを受けたみたいで。
――なぜ?
ゆっきー:当時、高見沢さんは49歳でした。だから、「50になるおじいちゃんだよ、やめなさい!」って(笑)。事実、高見沢さんはうちの母より14〜15歳年上なんです。
で、同級生もTHE ALFEEに興味がないんですよ。いくら『ドラえもん』の曲を歌っていると言っても。
年齢差、そして周囲との熱量のギャップですね。誰にも話が通じないし、お母さんにも反対されるし。お母さんより年上という事実は、私にとっても衝撃でした。「おじいちゃんじゃん!」ぐらいな。「私はなんて人に惚れてしまったんだろう」って。
――その後、ゆっきーさんの“ALFEE愛”は続きましたか?
ゆっきー:続きませんでした。心が折れた、という表現が正しいかもしれないです。当時の小学生の間ではモーニング娘。が流行っていたので、どうしても話題はそっちへ話題は流れていくし。
だから、一気に燃え上がって一気に失恋したみたいな。私は「初恋と失恋のダブルパンチ」と呼んでるんですけど(笑)。
その後、中学、高校、大学と学年が上がっていき、THE ALFEEのことは私のなかで一つの思い出になりました。ショックが強かったので、ある意味、記憶に蓋をしていたかもしれません。
――トラウマに近いですね。
ゆっきー:そうですね。否定され、学校では誰にもわかってもらえず(笑)。ある意味、なかったことにしていました。
中学以降は亀梨和也君を好きになったり、アニメをいっぱい見たり、興味を別の方向へ持っていきながら生活していました。たまにテレビにTHE ALFEEが出てきたときは、逆に見て見ぬふりをするぐらいの態度で(苦笑)。
なぜなら、それはつらい思い出だから。おっしゃるとおりトラウマに近いですね。学校で誰にも通じないって、子どもにとってショックじゃないですか? と同時に、お母さんに年齢差を聞かされて余計にショックで。だから、「これは危険な恋だからやめよう」と……。
◆約20年ぶりに“ALFEE愛”が再燃
――でも、今のゆっきーさんは自他ともに認めるTHE ALFEEファンです。
ゆっきー:コロナ禍に出会った友だちが、たまたまTHE ALFEEのファンだったんです。彼女から「私、THE ALFEEのファンなんだ」と言われ、「私も、実は昔……」と打ち明けたら「見てごらんよ」とDVDを貸してくれて。そうして楽曲をどんどん聴いていったら、蓋をしていた感情がちょっとずつ開き始めたんです。
当時は、コロナ禍で不安なこともいっぱいありました。仕事で落ち込むことももちろんあったし、「これからどうしようかな?」と思うこともいっぱいあった。そのときに、THE ALFEEが私を癒してくれました。彼らの音楽を聴き、私はすごく励まされたんですね。
――“ALFEE愛”が再燃したわけですか?
ゆっきー:いえ。そのときは「まだ、ここで踏ん張るぞ」ぐらいの気持ちでした。「まだ、これ以上いかないぞ」って(笑)。
そのタイミングでコロナの規制が緩和し、2021年末にTHE ALFEEがコンサートを再開したんです。行くことにしました。
「1回、生で見ておいたらもう満足して終われるかな?」と思ったからです。「小学生のときに受けたショックを良い思い出に変えて、次に進めるんじゃないか?」という期待もありました。でも、いざコンサートが始まると衝撃を受けてしまって!
――なにが衝撃だったのですか?
ゆっきー:一言で言うと、想像以上でした。友だちからDVDは借りていたからどういうライブかは知っていたし、曲もちゃんと知っていました。67歳(当時)だからって、舐めていたわけでは全然なかった。
でも、THE ALFEEは生のほうが何倍もすごくって。生で聴くとCDの何倍もいい。で、しっかりこっちに語りかけてくれるような歌い方をしてくれたんです。お客さんはTHE ALFEEを待っていたし、THE ALFEEもライブをしたかったというのがすごく伝わってくる熱いコンサートでした。レジェンドのライブってすごいです!
ライブ前は1回行けば満足すると思っていたんですけど、結果的にすごい衝撃を受けて、「来年の春ツアーから私も参加します!」と心変わりしました(笑)。
◆高見沢俊彦の最大の魅力は「男気」
――改めて、高見沢さんの魅力ってどんなところでしょう?
ゆっきー:小学生の頃の私は、完全に高見沢さんのビジュアルの虜でした。そして、あの頃の私は『ドラえもん』の歌の歌詞にすごく助けてもらったんです。
当時、私は中学受験と向き合っていました。頑張れないとき、THE ALFEEの曲は「頑張れ」と言ってくれているような気がしました。
また、実は学校で少しいじめられていて……、そんなつらい状況下の私を「タンポポの詩」がすごく助けてくれたんです。それ以降もTHE ALFEEの記憶に蓋をしたとは言いつつ、つらい局面ではなんとなく思い出していた気がします。
――32歳のゆっきーさんの目から見た高見沢さんの魅力も教えていただけますか?
ゆっきー:数えきれないぐらいあるんですよ(笑)。そのなかでも、特に「男気」です。「どうやったらファンが1番喜んでくれるか」を考えながら常にパフォーマンスしてくれます。
高見沢さんは小説も書いていて、今までに3冊の作品を発表しました。そのうちの2作目『秘める恋、守る愛』(文藝春秋)を出版した際、開催する予定だったサイン会がコロナ禍で中止になってしまって……。そのとき、予約受付分の4000冊すべてに直筆のサインを入れてくれたんです。
サインつながりで言えば、男気エピソードはもう一つあります。去年の8月25日にTHE ALFEEはデビュー50周年を迎えました。それを記念し、年会費を払ったファン限定で行われるコンサートが開かれたのですが、そのときに来場したファン全員にプレゼントが配られたんです。なかでも、特に衝撃を受けたのは3人全員のサイン色紙でした。なんと、メンバー全員が1万人分の直筆サインを書いてくれていたんです。
こういうところの男気。ファンファーストというか「みんなが喜ぶと思って」ということを絶対にやってくれる。すごく大事にしてくれるんですよね。これは高見沢さんに限ったことじゃなく、坂崎(幸之助)さんと桜井(賢)さんもですけど。
◆「メリーアン」のヒットも、Xでバズったのも“事故”
――ダンボールでエンジェルギターをつくるなど熱烈な“ALFEE愛”を燃やすゆっきーさんに対して、ご家族の反応は?
約20年前、「高見沢さんと結婚したい!」と言っていたゆっきーさんを制止したお母様もいらっしゃいますが……。
ゆっきー:今、母とはたまに一緒にコンサートに行っています。結局、母にとってTHE ALFEEは世代でもあるので「これ聴きたい、あれ聴きたい」って言っているし、私に「やめなさい!」と言ったことは覚えていないらしいです(笑)。
私にとってはショックだったけれど、母にとってはただの日常会話だったんですね。
――今、ゆっきーさんはなんの気兼ねもなくTHE ALFEEとともに楽しく生活しているわけですね。
ゆっきー:はい。元日のポストも「32歳独身、楽しく生きてます!」ぐらいのすごく軽い気持ちで投稿したんです。そうしたらバズってしまって……。
――いや、あれはバズりますって(笑)。
ゆっきー:いやいや、事故です、事故! 高見沢さんが「メリーアン」のヒットを「事故みたいなものです」とおっしゃっていたのですが、私のポストが話題になったのも事故です。
――バズリ方も高見沢さんにあやかっていますね(笑)。
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ゆっきーさんの“ALFEE愛”あふれるお話を聞いているうちに、なんだかこちらまでTHE ALFEEをドンドン好きになっていく不思議な取材でした。
ちなみに、ゆっきーさんは「#100日後にエンジェルギターを作る高見沢さんガチ恋女」というハッシュタグで「Ultimate Archangel I」の製作過程を、「#高見沢俊彦さんからの挑戦状」というハッシュタグで「Ultimate Archangel II」の製作過程を、それぞれXにアップしています。
気になる方はチェックしてみては?
高見沢さんのことが、THE ALFEEのことが、ドンドン好きになっていくこと請け合いです!
<取材・文/寺西ジャジューカ>