
■『今こそ女子プロレス!』vol.26
宝山愛 前編
1月4日はプロレスファンにとって特別な日である。「1.4(イッテンヨン)」と呼ばれ、新日本プロレスが毎年、東京ドームで年間最大のビッグマッチを開催。近年は他団体もそれに対抗するかのようにこぞって興行をぶつけてくる。プロレスファンは初詣のような感覚で、1.4の興行戦争を楽しむ。
今年の1.4、マーベラス新木場大会でとんでもないことが起こった。宝山愛vs. 暁千華のシングルマッチがドローに終わり、試合後、長与千種が「全女式押さえ込みルールで再戦しろ」と言ったのである。
全女式押さえ込みルールとは、"真剣勝負"の試合である。かつて全日本女子プロレスでは、若手の試合の中に押さえ込みルールが組み込まれており、完全に実力で勝敗が決まっていた。「押さえ込みルール」と謳った試合は存在せず、観客は通常のプロレスの試合としてそれを観ていた。つまり、宝山と暁の再戦は、押さえ込みルールということを正式に発表して行なわれる史上初の試合ということだ。
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さぞかし話題になるだろうと思いきや、まったくと言っていいほど話題にならなかった。『週刊プロレス』も記事にはしなかった。理由は簡単である。専門誌は押さえ込みルールの説明ができないからだ。「押さえ込みルールが真剣勝負である」と書いてしまえば、「じゃあ、通常ルールの試合は真剣勝負ではないのか」ということになる。
週プロは記事にしないだろう。そのことはマーベラスも予測していたはずだ。リスクも大きかったに違いない。それにも関わらず、長与は禁断の全女式押さえ込みルールを復活させた。長与はこう振り返る。「あの試合は、宝山のための試合です」――。
「このままだと(後輩の暁に)普通に抜かれちゃうから、『それはよくないな』と思ったんです。だったら本気で悔しがらせたほうがいい。アスファルトって歩きやすいんですけど、足跡はつかないんですよ。砂浜は足跡がつくんです。足が埋まっていくのですごくしんどいけど、確実に足跡はつく。そういうことを宝山に経験させたかった」
宝山愛は全女式押さえ込みルールの試合で、いかに覚醒したのか。彼女のヒストリーを追った。
【「てめえ、殺すぞ!」親族に包丁を向けた幼少期】
宝山は2003年、愛知県安城市に生まれた。オカダ・カズチカ、中野たむと同郷である。
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家族は父、母、そして異父の兄。両親は宝山が小学校1年生の時に離婚した。親族は仲が悪く、それが原因となった「映画並みのヤバい話があります」という。
「玄関先で大乱闘になったことがあって、自分、親を守ろうとして、親族を包丁で刺そうとしたんですよ。親に止められなかったら、ガチで少年院に入っていたと思います。『てめえ、殺すぞ!』っていう気持ちを抑えられなかった」
ダンプ松本の半生を描いたNetflixシリーズ『極悪女王』に、ダンプが父親に対して殺意を抱いたことがきっかけで、ヒールとして覚醒するシーンがある。ドラマはフィクションだが、ダンプが道楽者の父親に殺意を抱いていたのは実話である。宝山の根っこにある「てめえ、殺すぞ!」という感情は、彼女のプロレス人生を語るうえで大きなカギとなるだろう。
母は大のプロレスファン。宝山がお腹にいる時も観戦していたため、「生まれる前からプロレスの英才教育を受けていた」と宝山は笑う。ドラゴンゲートの追っかけをしていた母に連れられて、宝山も子どもの頃から他県までプロレス遠征をしていた。小学校3年生の頃には、彼女自身もプロレスに夢中になった。
小学校では、活発でやんちゃだった。友だちとドッヂボールをしたり、授業を抜け出して遊びに行ったり。しかし、中学に上がるとクラスメイトに仲間外れにされ、友人関係を築くのに恐怖心を抱くようになった。ネガティブな性格になり、「担任の先生がいなかったら死んでいた」と話す。
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「熱い先生で、夢を持つことの大切さを教えてくれました。小学生の頃から『プロレスラーになりたい』と思ってはいたけど、口に出すのって恥ずかしいじゃないですか。でも、その先生の影響で、夢を語れるようになったんですよね」
中学2年生の時、長与千種と彩羽匠の電流爆破マッチを観た帰り道、母に「プロレスラーになりたい」と打ち明けた。微妙な反応だったが、「入るんだったらマーベラスにしなよ」と言われた。母は長与のファンで、長与の団体なら信頼が置けるだろう、ということだった。
宝山自身も彩羽のファンで、マーベラスの大会後に売店で彩羽とツーショットを撮ったこともある。彩羽のようなカッコいい人になりたい。そんな思いから、マーベラスへの入団を決意する。中学卒業後の2019年3月、マーベラスで定期的に開催されている保護犬の譲渡会に参加し、練習生となった。「譲渡会の日に"譲渡"されました」と笑う。
【令和のクラッシュ・ギャルズの出現】
小学校1年生から中学1年生まで、空手を習っていた宝山。「運動神経は平均的」と言うが、前転や後転など基本的なマット運動は最初からできた。練習は厳しかったものの、彩羽、桃野美桜、Mariaらに「愛ちゃん、愛ちゃん」と可愛がられ、楽しい練習生時代を過ごした。
コロナ禍でデビューが遅くなり、入団から2年後の2021年3月6日、「Assemble」Vol.4における神童ミコト戦でデビューした。逆エビ固めでギブアップ負けしたが、ようやく観客の前に出て高揚感を味わった。
宝山愛というリングネームには、「リングの中の宝を見つけてほしい」という願いが込められている。
「素敵な名前をつけていただいたことに感謝していますが、プレッシャーも大きかったです。『自分、どうしていったらいいんだろう?』と思い悩むこともあるけど、考えるとダメになるタイプ。思うがままプロレスを楽しんでいたら、答えはきっとリングにあると思っています」
デビュー2戦目は、3月10日、マーベラス新木場大会。橋本千紘&愛海&岡優里佳vs. 桃野美桜&Maria&宝山愛という6人タッグマッチだ。宝山はデビュー2戦目にして早くもメインイベントに抜擢され、彼女自身、「期待されている」と感じていたという。
しかしその後、目立った活躍をすることはなかった。頑張っているのは伝わってくるのだが、観客の心を揺さぶる何かが足りない。ある日、彼女のもとにファンレターが届いた。便箋4枚にわたり、丁寧な字で、「体が細いから、あなたのプロレスを観るのが怖い。別の道に進んだほうがあなたのためになる」と書かれていた。涙が込み上げてくるのを必死で堪えながら、ゴミ箱に捨てた。
2023年5月3日、後楽園ホール大会におけるAoi戦でシングル初勝利を飾るも、話題にはならなかった。マーベラスの絶対的エースである彩羽、"天才"と名高い桃野の陰に隠れ、宝山は第1試合でそつなく試合をこなす日々が続く。
そんななか、昨年末、マーベラスでふたりの新人がデビューした。赤い水着を着た暁千華と、青い水着を着た彩芽蒼空。まさに"令和のクラッシュ・ギャルズ"である。
特に暁は驚異の身体能力とプロレスセンスを持ち、業界内でも「里村明衣子以来の逸材が現れた」と噂になった。長与が彼女に、自分と同じ「千」という字を与えたこと。そして、自分と同じ赤い水着を着せたことからも、並々ならぬ期待が伺える。
宝山愛はどうなるのか――。そんな心配をしたファンが、何人いたのかはわからない。しかし令和のクラッシュ・ギャルズの誕生によって、宝山の立場がますます危うくなるのは火を見るよりも明らかだった。そんな時、宝山と暁のシングルマッチが組まれた。今年の1.4である。
暁はこの日、宝山を相手に初勝利を挙げることを宣言。試合が始まるやいなや、ものすごい剣幕で宝山を張り倒し、「立てよ!」と言い放った。
宝山の精神状態が心配だった。ここで負けてしまったら、彼女はプロレスをやめてしまうかもしれない。しかし彼女は立ち上がった。"ガチ"という言葉を使っていいのかわからないが、この日の彼女の闘いはガチだった。ガチの感情――おそらく悔しくて悔しくて、殺意に近いような感情を、彼女は露にした。誰の目にも、この試合は「異常」だった。
幼少期に抱いた強烈な感情というのは、ふとした時に蘇ってくるものである。幼い頃、親族に包丁をつきつけた時の感情が、彼女の中で蘇ったのかもしれない。「てめえ、殺すぞ!」――この時、彼女は暁に対して再びそう思ったのではないか。
結果はドロー。そして、全女式押さえ込みルールでの再戦が決定した。もし新人の暁に負けたら、今度こそ彼女は本当にプロレスをやめてしまうかもしれない。『おそらく、彼女は負けるだろう』と思った私は、彼女の最後になるかもしれない試合を見届けようと、1月12日、横浜へ向かった。
(後編:禁断の「全女式押さえ込みルール」で露わになった宝山愛の感情 長与千種は「ガチという言葉は薄っぺらい」>>)
【プロフィール】
宝山愛(ほうざん・あい)
2003年8月15日、愛知県安城市生まれ。2019年12月28日、マーベラス横浜ラジアントホール大会にて、試合前の公開プロテストに合格。2021年3月6日、「Assemble」Vol.4にて神童ミコトとのシングルマッチで、17歳にしてデビュー。2024年1月12日、暁千華と全女式押さえ込みルールでシングルマッチを行ない、敗れたものの、これまでになく感情を剝き出しにし、観客の心を掴んだ。154cm、55kg。X:@aihouzan0306