
■『今こそ女子プロレス!』vol.26
宝山愛 後編
(前編:マーベラスの「陰」の存在になっていた宝山愛が、「令和のクラッシュ・ギャルズ」暁千華を相手に見せた異常な試合>>)
マーベラスの絶対的エースである彩羽匠、"天才"と名高い桃野美桜の陰に隠れ、第1試合でそつなく試合をこなしていた宝山愛。暁千華と彩芽蒼空という"令和のクラッシュ・ギャルズ"の誕生によって、ますます立場を危うくした。
今年1月4日、宝山と暁のシングルマッチが組まれ、結果はドロー。試合後、長与千種はふたりに「全女式押さえ込みルールで再戦しろ」と言った。かつて全日本女子プロレスで行なわれていた、真剣勝負の試合である。勝敗は完全に実力で決まる。
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もしも真剣勝負の試合で宝山が負けたら、彼女はプロレスをやめてしまうかもしれない。彼女の最後になるかもしれない試合を見届けようと、1月12日、私は横浜へ向かった。
【禁断の「全女式押さえ込みルール」の全貌】
会場となる横浜産貿ホールは、異様な空気に包まれていた。初めて目にする全女式押さえ込みルールの試合を前に、誰もが緊張の面持ちを隠せなかった。
第1試合で、川畑梨瑚が彩芽蒼空を相手にコミカルな試合をすると、会場には笑いが起こった。そして第2試合。早くも全女式押さえ込みルールの試合が始まる。
ゴングと同時に、ドロップキックを放つ宝山。かわして持ちあげようとする暁。踏ん張ってこらえる宝山。
グラウンドでの首の取り合いから、宝山はネックロックに。しかし暁も、コーナーに押しつけてフロントキックからロープに振ろうとする。しかし、こらえた宝山が暁を座らせて、ランニングヘッドバット。フォールしようとするが、暁はすかさずロープに逃れる。
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立ち上がるふたり。コーナーへの振り合いから宝山がドロップキックを放つも、暁は食らった反動によるタックルで倒し、フォールにいく。ロープに逃れる宝山。しかし宝山が徐々にペースを握り、フライングメイヤーを連発。スリーパーで攻め立てる。何度もコーナーに叩きつけられても離さず、奇声を上げながら締め上げる。しかし攻めてはいても、余裕は感じられない。
一時は締められながらうずくまった暁がなんとか立ち上がり、首投げで返すと逆にスリーパーで捕える。スタンドのまま締め上げ、そのまま倒れて胴締めスリーパーに。動きが止まる宝山。締め上げたまま5分が経過。
ここで離した暁がエルボーにいくも、返した宝山がボディスラムから押さえ込み。しかしロープに逃げる暁。暁はとにかく押さえ込まれた瞬間から、ロープに逃げることを徹底している。
ロープに振ってショルダータックルから押さえ込む暁。暴れて逃げる宝山。ドロップキックから宝山が押さえ込むも、暁はロープに逃げ、ボディスラムから押さえ込む。宝山が何度カウント2で返しても、押さえ込み続ける暁。宝山は奇声をあげて逃れる。
ラスト2分。ボディスラムから押さえ込み続ける暁。どんどん余裕がなくなってくる宝山。雄叫びを上げながら逃げ続けるも、カウント2で肩を上げるのが精一杯。獣のような、切実な涙の咆哮に、客席からは声援とすすり泣きが聞こえる。
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ラスト1分のコールを聞くとほぼ同時のタイミングで、カウント3。暁の勝利を告げるゴングが鳴った。
長与がリングに上がって、マイクを持つ。
「ひとつだけ忘れないでほしい。人から一本取ることが、どれだけ尊くて、どれだけ大変なことか、今日おまえ(暁)はよくわかったはずだ。そして取られることが、負けることがどれだけ悔しいか、おまえ(宝山)はわかったはず。勝つことも難しいけど、負けることも難しいから。そんな思いでリングに上がってほしい」
【勝利した暁が「あんまりうれしくなかった」とポストした理由】
プロレスは、観客に対して"魅せる"スポーツである。プロレスラーは試合をしながら、常に観客に見られていることを意識する。しかしこの日、宝山は観客の目を一切意識しなかったという。目の前の暁を倒すことだけを考え、感情が爆発した。「こんなに感情が出たのは初めてかもしれない」と話す。「それは押さえ込みルールだったからですか?」と聞くと、「わからない」と答えた。
「千華との押さえ込みルールでの試合が決まった時から、『頑張ってね』『応援してるよ』と言ってくださるお客さんが本当にたくさんいらっしゃった。それに応えることができなかった自分に対して、情けなさと、悔しさと、『本当にごめんなさい』という気持ちでいっぱいでした」
無気力になった。誰にも会いたくなかった。情けない自分の姿を、人に見られるのが嫌だった。道場に帰ってから、彩羽匠と1対1で話をした。彩羽に「今日は落ち込んでいいけど、明日は元気になりなさい」と言われ、「今日、あと半日だけは落ち込ませてください」と言った。そのとおりに部屋に籠もり、ありったけの涙を流し、翌日には立ち直った。
「プロレスが嫌いになりそうになりました。千華のことも嫌いになりそうになった。しばらく千華の名前を見るのもつらかった。でも、頑張ればお客さんはきっと喜んでくれると思うし、いつかベルトを獲りたいと思っているので。それに向かって、どれだけ頑張れるか。今、本当にチャレンジの時なのかなと思っています」
今までは感情をうまく出すことができなかった。どうしてもここぞという場面でブレーキがかかり、表情に出せない。しかし1月12日の試合で感情を爆発させたことで、観客の心を動かせたという手応えがある。これからもっと感情を剝き出しにして、もっと観客の心を掴みたいと考えている。
勝利した暁は、試合後、Xでこんなポストをしている。「あんまりうれしくなかった。勝つってなんだろう」――。なぜ暁は勝ったのにうれしくなかったのか。長与はこう分析する。
「押さえ込みの練習で千華は何回も勝っているので、勝てると思っていたと思うんですよ。でも、宝山のあの泣き方を目の前で見た時に、『さあ、あなたはどんな感情になりますか?』ということです。勉強しなさい、と。"赤を継ぐ"というのはそういうことです」
【プロレスにおいて"真剣勝負"とは何か?】
全女式押さえ込みルールは、実力勝負である。簡単な言葉で言うならば、"ガチ"ということだ。しかし長与は「ガチとかガチじゃないとか、そういう言葉で収めないでほしい」という。
「技をなくして押さえ込みだけで勝つというのは、至難の業なんです。プロレス式に言うと、高角度からスープレックスを決めたほうがよっぽどラク。食材がないのに『フルコース料理を作れ』と言われているようなものです。ガチという言葉は薄っぺらいですよ。もっと深いところで私たちは経験しているんです。リングに立つということ自体が、真剣勝負なんです」
総合格闘家であり、プロレスラーでもある青木真也は、「真剣勝負とは、存在を懸けているかどうか」という言葉を残している。格闘技にも真剣勝負の試合はあるし、真剣勝負じゃない試合もある。プロレスにだって真剣勝負の試合もあるし、真剣勝負じゃない試合もある。
私たちファンも、「簡単に」プロレスを観てはいけないと思った。もちろん気楽に楽しむのもいいが、それでも簡単に観てはいけないと思った。なぜなら選手たちにとって、プロレスは簡単ではないからだ。
全女式押さえ込みルールは専門誌が記事にすることが難しく、話題になりにくい。プロレスにおいて「勝敗が完全に実力で決まる」という点も、リスクが大きい。それでも長与はこれからも続けていきたいと考えている。感情を出すのが苦手だった宝山があれほどまでに泣き狂うのを目にしたら、続けない手はないだろう。
禁断の押さえ込みルールが、またひとつプロレスの可能性をこじ開けた。
【プロフィール】
宝山愛(ほうざん・あい)
2003年8月15日、愛知県安城市生まれ。2019年12月28日、マーベラス横浜ラジアントホール大会にて、試合前の公開プロテストに合格。2021年3月6日、「Assemble」Vol.4にて神童ミコトとのシングルマッチで、17歳にしてデビュー。2024年1月12日、暁千華と全女式押さえ込みルールでシングルマッチを行ない、敗れたものの、これまでになく感情を剝き出しにし、観客の心を掴んだ。154cm、55kg。X:@aihouzan0306