『FEDEX 300ZX-GTS(JGTC)』アメリカを席巻した“Z”が日本の地へ【忘れがたき銘車たち】

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2025年03月22日 12:20  AUTOSPORT web

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全日本GT選手権第3戦仙台ハイランドを戦ったFEDEX 300ZX-GTS。影山正美と立川祐路がドライブ。
 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは1996〜1997年の全日本GT選手権GT500クラスを戦った『FEDEX 300ZX-GTS』です。

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 全日本GT選手権(JGTC)の“はじめの2年”である1994年と1995年にオリジナルのフェアレディZ(Z32型)を導入して戦ったチーム・ルマン。

 しかし、ニッサン・スカイラインGT-R(BNR32型/BCNR33型)やトヨタ・スープラ(JZA80型)といった上位ランカーのマシンには歯が立たず。1996年には次なる一手を打つことになった。

 そうして1996年のJGTC GT500クラスにチーム・ルマンが投入したマシンが、今回紹介する『FEDEX 300ZX-GTS』だ。1989年に市販車がデビューしたニッサンのZ32型フェアレディZを“モチーフ”とした外観の300ZXは、そもそも日本で生まれた車両ではない。

 その出自はアメリカのIMSAシリーズだ。1990年のIMSA GTOクラス(のちにGTS、GTS-1とクラス名が変化)にこの300ZXを投入したのは、クレイトン・カニンガム・レーシング(CCR)というレーシングチームだった。

 CCRは、ファブカーというファクトリーに車両の製作を依頼し、IMSA-GTO仕様の300ZXを仕立てると、主戦ドライバーにスティーブ・ミレンを据えて、IMSAを戦った。

 すると1992年には、ミレンがドライバーズチャンピオンに輝くだけでなく、メイクスタイトルをも獲得。その後、1994年にもデイトナ24時間レースやセブリング12時間レースといった伝統の耐久レースを制しつつ、再びドライバーズとメイクスのダブルタイトルを手にするなど、CCRの300ZXはアメリカの地で猛威を奮ったのだった。

 チーム・ルマンは、そんな名実ともにアメリカ最強の300ZXを日本に輸入して、JGTC GT500クラスを戦おうとしたのである。

 海を渡った300ZXは、いざJGTCへ参戦するも日本で搭載する4.5リッターV型8気筒NAのVH45DE型エンジンの不調に泣かされるなどで上位進出は叶わず。1997年にかけて計5戦に参戦し、1996年の最終戦MINEサーキットラウンドにて残した9位というリザルトが最上位だった。

 結果こそは振るわなかったIMSA仕様の300ZXは、シャシーがパイプフレームで構成されており、ボディカウルもFRP製のオリジナルであるなど、実は市販車のフェアレディZとほぼ互換性の無いマシンだった。それはまだ市販車ベースのチューニングカーによるレースという色を濃く残していた当時の他のJGTC参戦車両の中ではかなり異質な一台に見えたであろう。

 しかし、その後のJGTCでは、キャビン前後のパイプフレーム化などが認められていくようになる。そのようなJGTCの変遷を考慮すると、この300ZXは先進性的なGTマシンであったと言えるかもしれない。

[オートスポーツweb 2025年03月22日]

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